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2022年4月21日

2022年共通教育科目「女性とキャリア形成」第一回に、OGのアフラック生命保険株式会社取締役専務執行役員の木島さんをお迎えしました!

本学卒業生を含む企業トップをお招きし、ご自身のキャリアや仕事で人生を充実させるために必要なことを語っていただく全6回のリレー講座がスタートしました。記念すべき第一回は、アフラック生命保険株式会社取締役専務執行役員の木島葉子さんです。「まだ校舎が古かった」という1986年に本学を卒業した木島さんは、女性の社会進出が今ほど叫ばれていなかった時代にどうキャリアを形成していったのでしょうか。

参加者全員の集合写真

1986年に家政学部食物学科を卒業し、アフラックに入社

学生時代の話をする木島氏

本学の卒業生である木島さんは、学生時代は趣味のスキーに熱中し、お花屋さんでアルバイトに励む、アクティブな学生でした。卒業論文のテーマは「高血圧予防に関する主婦の意識と健康管理状況の調査」。この時代はまだパソコンやインターネットがなかったため、卒業論文はすべて手書きで清書が大変だったそうです。

新卒の木島さんがアフラックに入社した1986年は男女雇用機会均等法が施行され、企業が女性の採用に本腰を入れ始めた年でした。多様性や女性の活用がごく当たり前のこととなっている現代と異なり、「4年制の女子大卒が入れる会社は少なかった」と木島さんは当時を振り返ります。

仕事で初めてのことやわからないことに遭遇したとき、どう対処するか

「大学ではあまり勉強しませんでした(笑)」と謙遜する木島さんは、アフラックの新人時代はバイトの延長のような意識しかなく、目の前の書類を処理する日々でした。そんな木島さんに転機が訪れたのは入社3年目にメンバー10人を束ねるチームリーダーになったときでした。

「事務処理ではない新しい仕事を担当することになり、会社にはいろんな仕事があることを実感しました。営業出身の女性上司だったんですが、出張同行や代理店研修の講師など、多くのことにチャレンジする場を与えてもらいました。上司は厳しかったですが、幅広い仕事を経験できて、いまでも感謝しています」

入社13年目には、当時まだ企業では少なかったコールセンターの立ち上げを担当。お客様からの電話にマニュアル通りに応えるだけでなく、お客様の声をもとに自社のサービスを設計していく仕事だと気付き、大きな感動を覚えたそうです。そして入社15年目の2001年に課長に昇進。その翌年、課長として実務経験がない部署に異動しました。 「部下に相談にこられても、その部署の業務がわからないから答えられないんです。二か月間、悶々と過ごしました。でもある時、わからないなら聞こうと思ったんです。上司、部下、他部署など、上下横斜めあらゆる方向の社員に質問し、部署の業務を理解していったんです。この経験で初めての仕事も、恐くなくなりました」

目の前の危機に対応することが、自分を成長させキャリアを上げていく

アフラックでの仕事を振り返るとき、木島さんの印象に残っているのは危機への対応です。そのひとつは2011年に発生した東日本大震災です。このとき木島さんが在籍していた調布オフィスは、計画停電でコールセンターの電話やPCが使えず、業務ができない状態になっていました。そこで大阪オフィスと提携し、なんとか業務を復旧。保険契約者の安否確認とお見舞いという、それまで体験したことがないボリュームの仕事に直面することになりましたが、無事乗り越えることができました。

「危機に対応する火事場の馬鹿力って、それまでの自分の集大成だと思うんです。想定外の大変なことに直面すると不安ですが、以前危機を乗り越えた経験が少しでもあれば、たとえ前例がないことでも『今回も何とかなる』と思えるんです。アフラックで長年勤める中で、震災をはじめとしたいくつかの危機に対応することで、自分が変わり自信がつきました。困難に積極的に取り組むようになったと思います」

どんなにすごいキャリアでも、それは日々の積み重ねの先にある

入社以来、遭遇したハードルを1つひとつ乗り越えることで着実にキャリアを形成し、今では取締役と専務執行役員という重責を務めるようになった木島さん。次は社長を目指し、自分にプレッシャーをかけていると語ります。木島さんは、キャリアをこう考えています。

「キャリアを上げるということは、日々の積み重ねだと思います。組織において責任あるポジションは、一足飛びに得られるものではありません。いま自分がいる場所で、目の前にある課題に真摯に取り組むことが、キャリアになっていくと私はとらえています。

経験がない新しい仕事に直面すると、自信を喪失しがちですよね。でも必要な情報や能力は、集めればいいんです。自分が完璧を目指すのではなく、得意な人を集めてチームで取り組むという視点も組織では重要です。大きな仕事こそ、自分1人だけではできません。人をまとめて動かす、チームビルディングが必要なんです」

会社で誰かと衝突しても、コミュニケーションを諦めない「対話」の積み重ねが解決につながる

学生からの質問

木島さんの講演後は、5人のグループ(CUBE)から1つずつ質問が寄せられました。真剣に聞いていた学生ばかりだったこともあり、たくさんの学生が手を挙げ、それに木島さんが丁寧に、時にユーモアを交えて答えていました。

「チームで誰かとぶつかったときは、どうすればいいでしょうか?」という質問には、木島さんが過去に仕事仲間と衝突した体験がユーモアを交えて披露され、教室に笑いが巻き起こりました。「どんな組織にも、嫌な人はいる」「いくら嫌でも仕事は一緒にやらなければならない」「その人から逃げるのは時間の無駄」という木島さんによれば、相手の意見をしっかり聞き、その背景を理解する「対話」を重ねることで、対立を解決する答えが見えてくるといいます。

また「女性の社会進出のために、学生である私たちがいまやっておくべきことは?」という問いの答えは、意外にも「自然体であること」。社会でいろいろな人に会う中で、時には女性だからといって差別されることもありますが、そういう時こそ「自分はどうしたいか」を考え続けることが大切だと強調しました。

このほかにも「自信を失いそうになったときはどうすれば?」「社長の次は何を目指しますか?」など、学生から次々と手が挙がりました。OGという共通点を持つ木島さんの言葉は、これから社会で活躍する学生達の支えになっていくことでしょう。

深澤晶久教授の話

昨年度から始まった本授業も2年目に入りました。今年は62名の学生が履修、学部も学科も学年も異なるメンバーが集まり、まさにダイバーシティクラスの様相を呈しています。今年の最初のゲストが本学卒業生の木島様ということもあり、クラスの雰囲気も柔らかく、学生たちの真剣な表情も印象的でした。木島様が醸し出される温和の雰囲気と、一方常にアグレッシブに生きてこられたそのお姿から、学生たちは沢山のことを学ばせていただきました。そして驚いたのがご講演の後のインタラクティブセッションです。時間内に全ての質問にお答えいただけない数の手が挙がりました。初回の授業から主体性を大いに感じる学生たち、これからの授業が楽しみです。最後に、今年もご講演いただいたアフラック生命保険株式会社の木島専務に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2022年3月4日

ルイ・ヴィトンのビジネスパーソンに、キャリア形成のヒントを学びました!(12/10)

高級ブランド「ルイ・ヴィトン」日本法人で人事を担当するビジネスパーソンに、キャリア形成のヒントを学ぶ授業が12月10日(金)、渋谷キャンパスで行われました。同社と本学の社会連携授業として実施され、今年度で4回目となります。同社コーポレートHRマネージャーの真名垣喬氏が講師として登壇。真名垣氏は「挑戦は必ず挫折を伴う。痛い失敗をすればするほど、その後の人生がより豊かになる」などと、学生たちにエールを送りました。

ルイ・ヴィトンと社会連携授業

講師の真名垣氏は、現在、LVMHグループの日本法人「ルイ・ヴィトンジャパン」に在籍。同社の人事を担当しています。LVMHグループは、ラグジュアリー・ビジネスにおける世界的リーダーとして知られ、ルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシー販売の両社が合併して1987年に誕生しました。仏パリにグローバル本部があり、ルイ・ヴィトンほかセリーヌ、ジバンシィ、ヘネシーなど70を超える高級ブランドを世界で展開しています。

皆さんのMissionは?

真名垣氏は、授業を通して「皆さんのMission(ミッション)=使命は何ですか?」と繰り返し学生たちに問い掛けました。例えば、「大学を卒業したら就職するというのが日本の常識というものだ。だから自分も就職するというのは、それでいいのですか?」。根源的な問いを何度も提起しながら、「卒業したら、どんな仕事(What)をしたいのですか?」「どうやって(How)、仕事選びをしますか?」「なぜ(Why)、そう思うのですか?」などと学生たちのキャリア観を質しました。思わぬ質問の連続に学生たちも戸惑い気味でしたが、真名垣氏は「一番大事なのは自己分析」と強調。「まずは自分に向き合うことから始めてはどうか」とアドバイスを送りました。

翻って、真名垣氏自身のキャリア観はどうなのでしょう。それによると、同氏にとりミッションとは「自分らしく、美しく幸せに生きる人を増やすことで世界を豊かにしたい」。そのための手段として仕事があり、同氏にとり仕事とは「人に関わる仕事(人事)全般で、仕事を通じて充実感を得られる人を増やすこと」と意義付けています。この結果、今携わっている人事という仕事について「やっぱり自分がやるべきことは人事だなと強く思う」「その仕事が楽しくできるようにルイ・ヴィトンという会社を選んだ」などと語り、人事という仕事に対するやりがいや誇りを強く滲ませました。

私のミッション

楽しかった名古屋支社の営業

講義をする真名垣氏

もっとも、人事という仕事に対する同氏の情熱は、就職後すぐに形成されたものではありませんでした。今日に至るまでの同氏のキャリア観は、転職を経てルイ・ヴィトンに入社したという真名垣氏の経歴と深く関わっています。

真名垣氏は、大学を卒業して2002年4月に資生堂に入社。ほどなく名古屋支社に配属され、営業職としてのキャリアをスタートさせました。資生堂を就職先に選んだ理由は「ファッション的な仕事がしたかった。金融とかいろいろと考えてみたが今一つ自分の姿と合致しなかった。一番しっくりくるのが化粧品業界だった」と明かします。また、職種も「今は人事の仕事をしているが、当時は人事の仕事にあまり興味はなかった。営業とか商品開発、マーケティングをやるつもりで化粧品会社に入った」と述懐しました。

名古屋時代は、後に「無茶苦茶、楽しかった」と懐かしがるほどの充実した日々を重ねました。化粧品を売るための提案をしたり、化粧品の売り場を巡りお店と交渉をしたり…。「自分がやりたかった仕事に携われた」という満足感があったからでしょうか。本人が「名古屋時代は、結構、頑張った。業績も上げた」と自負するぐらい、頑張りが際立つ新人時代でした。

3年目に人事部に異動

転機は入社3年目に訪れました。東京・汐留にある本社人事部への転勤辞令です。2週間前には、支社が管轄する店舗の事業計画(3年間)をつくり、支社長に意見具申したばかり。真名垣氏にとり、「さあ、これから名古屋でもっと頑張るぞ」と思った矢先の異動命令でした。

名古屋時代、真名垣氏の本社人事部に対する印象がどうだったかというと、「正直、嫌いだった。なんとなく人のことをチェックする仕事だなと。そんなイメージがあった」。それどころか「人事部?何も分かっていないじゃないか」と事あるごとに文句ばかり繰り返していたと言います。なのに、人事部に呼ばれてしまい異動。職務命令である以上、従わなければなりません。他の会社に転職し、同じ営業の仕事を続けるという選択肢もありましたが、真名垣氏はしませんでした。「この時は、資生堂という会社が大好きだったので。人事部の仕事もやってもいいかなと思ったから」だそうです。

学生の意見は?
ファッションは大好き?

人事部では、新入社員の研修やリーダーシップのトレーニングなどを担当。中国やシンガポールにある資生堂の現地法人の窓口の仕事などグローバルな業務にも携わりました。いきおい英語を使う機会が増え、自費で英語を英会話学校に通うなど猛勉強。その流れで米国の現地法人にも短期研修で赴任しました。

ルイ・ヴィトンに転職

2017年、真名垣氏は、意を決して資生堂を退職、ルイ・ヴィトンに転職しました。37歳の時でした。

真名垣氏によると、その理由は次のようなものだったそうです。「自分のやりたいことと、会社が自分にやらせたいことの間のずれが、転職の一番大きな理由だった。資生堂のことは嫌いじゃないが、価値観にずれを感じていた。一生のうち、ずうっと同じ会社と付き合っていくのにも、疑問があった」。

ちなみに、「転職それ自体は、30歳の頃から考えていた」とか。この間は、「自分の人生のミッションは何か」という自問自答を悶々と繰り返す日々。その答えが「最終的にバチっと来た」というのが、37歳の時というわけです。

他方、真名垣氏は転職先を選ぶに当たり「企業の価値観を大事に考えた」と語りました。同氏が考えるルイ・ヴィトンが大事にする価値観とは、「クリエイティビティやイノベーションを探求する会社」「起業家精神を大事にしており、失敗を恐れず初めにやってみようと提唱している会社」。多くの企業の価値観を調べるなか、真名垣氏はこの価値観に惹かれ、ルイ・ヴィトンに入社を決めました。

ルイ・ヴィトン

「どんな仕事をするか」が重要

転職もあり、真名垣氏にとり、仕事の価値は「どこで働くか」が重要ではなくて、「どんな仕事をするか」に変容しました。つまり、ミッションにいう「人に関わる仕事、つまり人事の仕事を通して充実感が味わえる人々を、いかに増やしていくか」。化粧品というコンシューマー系の会社からラグジュアリ系のビジネスに転じても、人事という仕事に携わっていきたいことに変わりはありません。資生堂には「資生堂で働きたい」と入社しましたが、ルイ・ヴィトンには「人事の仕事がしたい」「その仕事が楽しくできるように」と転職。かつて新卒の際「正直、名前で会社を選んだり、何となく知っている会社を選んだりしていた」と振り返る会社選びの基準は、いつしか「社名は変わってもいいと思う」「どんな仕事をしたいかということで会社を選んだ方が、満足度が高い」に変化していました。

「自分自身と向き合おう」とエール

真名垣氏から餞の言葉

「あなたは、自分の命(時間)をどのように使いますか?」。授業の最終盤、真名垣氏は学生たちに、こう呼び掛けました。その上で、「皆さんは、これからの貴重な時間をどう使っていくか。(この講義を)きっかけとしていただければ。皆さんが、価値観や理想・パッションを感じ続けていくことを、皆さん自身が向き合う中で感じていただきたい」と続け、「Make your career a beautiful journey」という言葉で講義を結びました。

3年生の「グローバル・キャリアデザイン」で実現

真名垣喬氏の特別授業は、学部を問わず3年生を対象とした「グローバル・キャリアデザイン」(毎週金曜日2限)の授業のなかで実現しました。担当は国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育担当)です。今年度は37人が同授業を履修しています。

深澤晶久教授の話

真名垣さんとは、私が資生堂勤務時代に、若手社員の育成に奔走した戦士の仲間の一人です。熱い心をもった兄貴分として若手社員の人望は格段に高く、多くの新入社員たちが真名垣さんの教えをもとに、資生堂生活の第一歩を記したことになります。そんな真名垣さんも、新しいフィールドで活躍されていることをお聞きし、4年ほど前から、当授業にお越しいたただき、“あの当時の熱いメッセージ”を再現してもらっています。こうしたロールモデルに接することで、社会の楽しさも厳しさも感じてもらいたいと考えています。真名垣さんにこの場を借りて心から感謝申し上げます。

担当の深澤教授

2022年1月30日

サッポロホールディングス株式会社元取締役会長 特別顧問 上條 努氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(12/23)

女性の活躍が社会や企業の成長のカギを握る

視野を広げて、興味あるものに積極的にチャレンジを!
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。その最後を飾る登壇者は、サッポロホールディングス株式会社の元取締役会長で特別顧問の上條努氏です。女子大で講演するのは初めてと語る上條氏は、事前に学生たちから寄せられた質問に目を通した上で、「自分自身がどのように仕事と向き合ってきたか」と「学生の皆さんに期待すること」の2点についてお話をしてくれました。

確たる思いがあってサッポロビールに入ったわけではなかった
でも、社内で興味を引かれる仕事には貪欲に挑戦した

「私は仙台市の出身で、高校時代に仙台市の南東に隣接する名取市にサッポロビールの仙台工場ができたことで、サッポロビールという会社を知りました。最新鋭の素晴らしい工場で、『すごいなぁ』と思ったのは覚えています。でも、まさか自分がサッポロビールに入社することになるとは、当時は考えてもいませんでした」と上條氏は話します。
就職活動をしているなかで、ある石油会社とサッポロビールの2社から内定をもらったという上條氏。税務署職員だった父親に相談すると、「そりゃあ、飲めるほうがいいんじゃないか」とアドバイスされてサッポロビールを選んだとユーモアたっぷりに教えてくれました。
「本当に、『これがやりたい』というような確たる思いがあったわけでもなく、ただ内定をもらえたから入社を決めたという感じでした」と上條氏は苦笑します。
入社して最初に配属になった、北九州市門司区にあったサッポロビール門司工場の業務部門で業務をスタート。その後本社に異動し、購買の仕事に携わったそうです。
「その後、アメリカ・サンフランシスコに現地法人をつくるという話が出て、私はすぐに先輩に『私も連れて行ってください』と直談判しました」と上條氏。結果、上條氏は5年間サンフランシスコで働き、1985年にはその現地法人「サッポロUSAサンフランシスコ支店」の支店長に就任しました。
帰国後は経営企画部で手腕を発揮。サッポロビール飲料株式会社の取締役を経て、2007年にサッポロホールディングス株式会社取締役経営戦略本部長、2011年には代表取締役社長に就任しました。
「長い会社員生活で、私は希望しないで行った部署はひとつもありませんでした。サラリーマンがこのような経歴を送れることは珍しいことですが、どの部署も自分で会社に希望を出して、その部署で仕事をさせていただくことができました。確かに私は、確たる思いもなくサッポロビールに入社しました。しかし、会社に入ってからは、興味を引かれるものに貪欲にチャレンジしてきました。そんな自分を振り返ってみて思うのは、社会人生活、会社員生活を豊かに、面白く過ごす秘訣は、『どれだけ興味を引かれるものを持てるか』なのではないかということです。興味を持った部署で、自分の思いをどうやって実現させるか。それがやりがいにつながっていくのだと思います」(上條氏)

サッポロホールディングス株式会社 特別顧問
上條 努氏

他者との違いを理解した上で一緒に社会をつくっていく
その中で自分は何を仕事にしていくかを考えよう

「違い」について語る上條氏

「多様性を意味するダイバーシティという言葉を少し前からよく耳にするようなりましたが、私がその大切さを実感したのはサンフランシスコに駐在しているときでした」と上條氏は語り始めました。  
ご存知の通り、アメリカでは白人や黒人、東洋人などさまざまな人種が暮らしています。多様なルーツを持った人々が混在しているのがアメリカ社会です。「そんなアメリカで暮らしてみて、いくつか考えることがありました」と上條氏は話します。
「例えば、生魚。今でこそ和食ブームも手伝って多くのアメリカ人が刺身を食べるようになりましたが、私が赴任していた当時は、生魚を食べるのはイヌイットの人たちと我々ぐらいでした。また、韓国の人たちと食事をしたときに、私が何気なくお椀を手に持って食べていると、変な視線を感じたので理由を尋ねると、韓国では食器を手に持って食べるのは一般的によろしくないという返事が返ってきました。こういう文化や習慣の違いは、ごくごく普通にある。日本人の間では常識でも、世界標準では非常識になってしまうこともあるんです。だからこそ、社会や企業ではダイバーシティ(多様な人材を活かす戦略)が大切なんですね。皆さんからいただいた質問に『これから何をしたらいいですか』というものがありましたけれど、私は『広く見聞してほしい』と思っています。海外だけでなく日本国内を見渡しても、人それぞれ、違いはあります。ですから、違いがあることを理解した上で、一緒に社会をどうつくっていくか、この社会のなかで自分は何を仕事にしていくのか、ということを考えていただければいいのではないかと思います」

女性の皆さんは積極的に社会に出てほしい
ただし、就活で模範回答的なことをいっても面接官に見抜かれる

そして上條氏は、目の前にいる学生たちに期待することを話してくれました。
「社会の公平性などを考えると、男女半々が望ましいと思っています。ですから女性の皆さんは、積極的に社会に出てほしい。会社でバリバリ働いてほしい。ただ、これから皆さんは就職活動で面接を受けることも多いと思いますが、面接官に耳障りのいいことばかり言うのはやめてください。本心でもないのに模範回答的なことを言っても、面接官は不思議と見抜いてしまいます。私も面接官をやった経験があるから分かるんです。知らないことは正直に知らないと言う。取り繕う必要はないんです。『これから勉強します』と言えば十分です。自分の人間性そのものを伝えること、それが面接のポイントだということを覚えておいてください」と上條氏は教えてくれました。

何かに疑問を感じたら、その理由を考える習慣を持とう
女性が活躍できる場は広がっている

さらに上條氏は、「世の中には、『なんかおかしい』と思うことがたくさんあります。そのおかしいことを好き嫌いで考えるのではなく、『何がおかしいんだろう』と考えていただけるといいと思います。そして、その『おかしい』に対して、ポイントを整理して『もっと違う解決法があるのではないか』と考えることが社会人の始まりだと思います。考えがまとまらなかったり、分からなかったりしたら、先生に聞いてみるのもいいでしょう。社会に出て先輩に聞くのもいいし、友達同士で『私はこう思うけど、あなたはどう思う?』と話し合うのもいい。疑問を感じること解き明かしていくことが、興味を持って仕事を続けていくことができる秘訣ではないかと思います」(上條氏)
また、世の中には、解き明かされていない課題がたくさんあります。
「ですから、やりたいことを複数持って、自分から取りに行くことも大事だと思います」(上條氏)
サッポロビールに関して言えば、採用は基本的に男女半々。
「社会は女性の感性を求めており、女性が活躍できる場は広がっています。採用もいろんな形で行われるようになりました。社会の成長に女性の活躍は欠かせません。皆さんも期待を持って社会に飛び出し、興味を引かれたことにどんどんチャレンジしてほしいと思います」と上條氏は力強いエールを送ってくれました。

興味をもって仕事を続ける秘訣

深澤晶久教授の話

本講座の最後にお招きしたサッポロホールディングスの上條様は、ユーモアたっぷりにしかも、女子大生目線での数々のお話しをしていただき、教室も何か温かい雰囲気に包まれていました。厳しいビール業界の中で、また、海外での業務経験も長く、示唆に富んだ数々のエピソードが学生の心に強く響いたことと思います。
全てご自身が希望された部署でキャリアを積み重ねてこられたというお話しは衝撃的でもありました。しかし、このことは上條様が、それぞれの部署で最高の成果を上げ続けてこられた証でもあると考えます。
本当にありがとうございました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2022年1月29日

サントリーホールディングス株式会社執行役員 コーポレートサステナビリティ推進本部長の福本ともみ氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(12/9)

与えられた「仕事」をきちんとやる人間は信頼される

その先に、「私事」や「志事」へのチャレンジがある
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。2021年12月9日に行われた第5回の登壇者は、サントリーホールディングス株式会社執行役員 コーポレートサステナビリティ推進本部長の福本ともみ氏です。

見出し 世界の潮流となった「パーパス経営」にも通ずる
サントリー創業者の信念「利益三分主義」

「何のために働くのか」をテーマにした今回の講演。福本氏は自分の話をする前に、企業の話から講演をスタートさせました。
福本氏によれば、近年、企業の存在意義(パーパス=Purpose)に基軸を置いた「パーパス経営」が世界的に注目を集めているそうです。「パーパス経営」とは、「社会をよりよくすること」「よい環境を次の世代につなげていくこと」などに軸足を置いた経営のこと。企業ですから、もちろん利益を上げることは大切です。しかし、そうした利益至上主義が、環境破壊や過重労働などを引き起こしていることも事実です。そういうなかで、国内外を問わず、パーパス経営を実践する会社が増えてきました、と福本氏は説明します。
「この考え方は、近江商人の心得である『三方よし』の精神にもつながっています」と福本氏。ちなみに、「三方よし」とは、売り手と買い手の双方が満足し、社会に貢献できてこそよい商売であるという考え方です。そしてそれは、サントリーの創業者・鳥井信治郎氏が信念としていた「利益三分主義」(事業によって得た利益は、「事業への再投資」「得意先・取引先へのサービス」に留まらず、「社会への貢献」にも役立てたいという考え方)にも通ずるものなのです、と福本氏は話します。

創業者 鳥井氏の創業精神を語る福本氏

お酒や清涼飲料水のメーカーとして
社会福祉や文化貢献、環境経営を推進

熱心に耳を傾ける学生

福本氏によると、鳥井氏が1899年に「鳥井商店」(現・サントリーホールディングス株式会社)を設立し、最初に商品化したのはワインだったそうです。甘口葡萄酒「赤玉ポートワイン」は大ヒットしますが、間を置かずに、初の国産ウイスキーづくりに挑戦します。理由は、日本人の味覚に合った洋酒をつくり、日本の豊かな洋酒文化を切り拓きたいと考えたから。この時代は、貧しい地域での無料診療所や戦災孤児のための施設運営など、社会福祉活動に力を入れていました。戦後は、「物が豊かなだけではなく、心が豊かになるように、文化的な活動で社会に恩返しを」という考えのもと、1961年にはサントリー美術館、1986年にはサントリーホールを開館。1990年代以降は、自然の恵みに支えられている企業の責務として環境経営を推進し、2005年には、「人と自然と響きあう」という企業理念のもと、社会やお客様との約束として「水と生きる」を制定したそうです。そこには、「利益を追求するだけのグローバルプレイヤーではなく、社会に貢献し、世界中の人々から信頼される企業グループを目指したい」という思いが込められています、と福本氏は教えてくれました。

就職したら「これをやった」といえる仕事がひとつはほしかった
会社を選ぶつもりで就活に臨もう

しごとには、仕事(MUST)と私事(CAN)と志事(WILL)の3つがあります。仕事は、自分の役割として責任を果たさなければならないもの、私事は自分自身の成長につながるもの、志事は自分が志すものであり、個人のパーパス。ひと口に『しごと』と言っても、その中身はいろいろで、何のために働くかを考える時、組織のパーパスと個人のパーパスの重なりを大きくすることが大切です。」(福本氏)
そしてここから、いよいよ福本氏ご自身の話が始まります。
「就職活動を前に、何がやりたいのか分からない。そもそもやりたいことがなかった」と福本氏は苦笑します。しかも、当時は「男女雇用機会均等法」も施行されていなかったため、4年制大学を卒業した女性を雇ってくれる企業はかなり少なかったそうです。
「やりたいことも明確ではなかったのですが、ただ、せっかく就職するのだから、『これをやった』と誇れる仕事をひとつでも残したいと思っていました。ですから、女性を戦力と考えてくれる会社で働きたかった。4年制大学卒業の女性を雇ってくれる会社は、手当たり次第に会社説明会に行きました。そのなかで、サントリーだけが若い女性社員が出てきて生き生きと話をしてくれたんです。私は、この会社で働きたいな、と思いました」(福本氏)。
そんな自らの体験を通して、「会社を選ぶつもりで、就職活動に臨んでほしい。『ここで働きたい』という気持ちを、大切にしてください」と福本氏はアドバイスしてくれました。

3つの「しごと」を話す福本氏

自分ができることを一生懸命にやることの重要性と楽しさ
仕事(MUST)をしっかりやることの大切さを知った

入社当時を語る

福本氏が入社して初めて配属されたのは、人事部だったそうです。
「最初の担当は、アルバイトさんを採用する仕事。社内の各部署で必要なアルバイトさんを、必要な期間、必要な人数を集めるのが仕事でした。ところが、募集広告を出しても応募がほとんどないこともあって……。でも、このアルバイトさんがいないとあの部署の人たちは困るんだろうな、と思い、知り合いなどに声をかけて必要な人数を集めるようにしたんです。そうすると、感謝されるんですね。それが嬉しくて、やりがいも感じました」と福本氏。
入社当初は優秀な同期のなかで、いつもみんなの後ろを追いかけているのではないか、ご自分は要領があまりよくないと感じられていたそうです。でも、3、4年経つにつれて、重要な仕事を任されるようになっていった、と福本氏は言います。それである日、上司に聞いてみたそうです。  
上司の答えは、「確かに君は要領がよくない。でも、大切なのはやるかやらないかだ。『コピーとりみたいな雑用はできない』と文句を言ったり、『こんな仕事ができます』と自己アピールをする前に、与えられた仕事で実績を出すことが重要なんだよ。君は結果を出している。与えられた仕事を120%やる人間が信頼される」。
ここでいう「しごと」は、まさにMUSTの「仕事」。志をもった志事、成長できる私事をと望む前に、仕事きちんとやり遂げることが大切なのだということを、身をもって実感できた、と福本氏は話してくれました。

「相談されて嫌な人はいない」という上司の言葉に背中を押され
「チャンスに尻込みをしない」ことを覚えた

最初の転機は入社7年目のことだった、と福本氏は当時を振り返ります。
「人事部の仕事にはやりがいを感じていましたが、そろそろステップアップするためにもCANを増やさければいけないと感じていました。一方の会社も、『女性にも“留学”の門戸を開こう』と考え始めていました。そこで私は、候補試験を受けてみようと思ったんです」(福本氏) 
ただ、候補試験を受けるためには、事前にレポートを提出する必要がある。どうしていいか分からなかった福本氏が上司に相談すると、「君は何でも自分でやろうとしすぎだ。いろんな人にどんどん相談してみなさい」と言われたそうです。相手に迷惑をかけたくないという気持ちが強かった福本氏がためらっていると、上司は「相談されて嫌な人はいないよ」と福本氏の背中を押してくれました。その言葉に勇気をもらった福本氏は、いろいろな人に相談してみると、皆さん、喜んで相談にのってくれたそうです。
「この経験で私は、『チャンスに尻込みをしないこと』『情報をとることの重要性』を学びました。一人ではこのチャンスを掴むことはできなかったと、今も思っています」(福本氏)

意見を交わす学生

小さなPR会社の女性社長の言葉が
プロフェッショナルになるきっかけをくれた

プロフェッショナルになるきっかけを話す

国内留学でビジネススクールに通って勉強した福本氏は、広報部を経てサントリーホールで仕事をすることになりました。そこで福本氏は、挫折を味わうことになります。
「広報の仕事は、簡単に言えば、新聞や雑誌の記者さんやテレビのディレクターさんにサントリーの情報を伝えて記事にしていただくことです。ただ、本社の広報部は大きな組織なので、いろいろな人がサポートしてくれました。ところが、サントリーホールは小さな組織で、広報担当は私ひとり。何でも自分でやらなければなりませんでした」(福本氏)。しかも、音楽ホールのことも音楽のことも自分は知らない。音楽記者とのコミュニケーションもままならず、約1年は納得できる仕事ができなかったそうです。悶々とする日々が続いたある日、小さなPR会社の女性社長に「私たちは一生懸命に仕事をしても、成果が出なければ次の仕事はこなくなっちゃうのよ」と言われたそうです。
「ハッとしました。大きな会社だから成果が出なくてもお給料はもらえますが、自営業やフリーの方はそうはいきません。この女性社長さんの言葉で、『自分はプロフェッショナルにならなければいけない』と強く思いました」(福本氏)。その頃、上司から「敵にしたら向かい風だけれど、味方につければ追い風だよ」と言われたこともあり、以来、音楽記者とも密にコミュニケーションをとり、人間関係が良くなるように努めたそうです。

「務まるかなぁ」ではなく、就任したからには「務める!」
「音楽を通して幸せな体験をしていただく」という“志事”ができた

その後、2008年に副支配人としてサントリーホールに戻った福本氏。翌年には支配人となり、事務方のトップとして約300人のスタッフをまとめることになったといいます。しかし、自分はその役割を果たすことができるのか不安だった、と福本氏。そんなとき、元通産官僚で外務大臣も務めた経験もある川口順子氏の「政治家と官僚は違う。これまでの延長線上では務まらない。政治家になったから、私は性格を変えたのよ」という言葉を思い起こしたそうです。この言葉に、またハッとさせられた、と福本氏は言います。
「私にこの仕事が務まるかなぁ、と考えている場合ではない。就任したからには、自分を変えてでも務めなければいけないんだ、と思ったのです」(福本氏)
 スタッフをまとめ、音楽家の方たちに気持ちよく演奏していただくためにはどうすればいいかを考えた、と福本氏は言います。
「結果、お客さまにも、サントリーホールのスタッフにも、音楽家にも、音楽を通して幸せな体験をしていただくことが私の務めだと思いました。このときの経験こそが志事で、志のある仕事ができたと今も思っています」と福本氏は笑顔を見せました。

熱心に話を聞く学生

仕事をしていく上で大切なのはプロフェッショナルになること
仕事を楽しみ、努力を惜しまず、人との関係を大切にする

「プロフェッショナルとは」を語る福本氏

最後に福本氏は、“志事”を見つけ、全うする秘訣を教えてくれました。
「これまでの経験で、私は仕事をしていく上で大切なのはプロフェッショナルになることだと考えています」(福本氏)。では、プロフェッショナルとはどういう人なのでしょうか。福本氏は以下の3つを挙げてくれました。
・自分の仕事を楽しむこと〜好きこそものの上手なれ
・努力を惜しまないで熱中すること〜人並みのことをしていては人並みにしかなれない
・人との関係を大切にすること〜何をするかと同じくらい「誰と」するかも大事
 具体的で分かりやすく、示唆に富んだ言葉は、これから就活に臨み、社会人としての一歩を踏み出す学生たちに、たくさんの勇気とヒントを授けてくれたはず。講演と質疑応答が済み、教室を出て行く学生たちの顔には明るい表情が広がっていました。

深澤晶久教授の話

お話しを通して伝わるお人柄の素晴らしさを浴びながらのあっという間の1時間でした。
そして、サントリー様の理念でもある“やってみなれ”精神を随所で発揮しながら、様々な部門での経験に裏付けられた企業トップとしての矜持を感じさせていただきました。
学生たちは、福本様の、しなやかに美しく、志事を貫くその姿勢から、多くの学びをいただいたことと思います。それにしてもサントリー様の社員の会社を愛する気持ちは、今も昔も変わらないということに、改めて気づいた時間でもありました。

2022年1月14日

SBI金融経済研究所株式会社取締役代表理事の政井貴子氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(11/25)

与えられた機会に丁寧に向き合うことで、

専門性が高まり、また新たな機会へと繋がる
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。4回目となる2021年11月25日のゲストは、SBI金融経済研究所株式会社取締役代表理事の政井貴子氏です。実践女子大学文学部英文学科の出身で、学生たちにとっては大学の先輩でもある政井氏。学生たちは真剣な眼差しで、政井氏のお話に耳を傾けていました。

男女共同参画が政策として推進される時代の中で、自身のキャリアを積み重ねてきた

「私は2021年6月まで日本銀行の政策委員会審議委員を務めていましたが、任期満了で退任し、今はSBI金融経済研究所の取締役代表理事を務めています」

大きな拍手を受けて壇上に上がった政井氏は、講演をこのような言葉で始めました。この日のテーマは、「なぜ、女性活躍推進なのか」「写真で振り返る私の履歴書」「Opportunity」の3つ。「一つ目のなぜ、女性の活躍推進なのか、についてお話しするのは、皆さんが女性という当事者として、国の政策を理解しておくことは大切だと考えたからです。また、私自身がその流れの中でキャリアを積んできたということもあり、歴史的背景を掴んだ上で、私のキャリアのお話しをするのが良いと思ったのです。」と政井氏は話します。
 
政井氏によれば、世界的規模で性差別撤廃に向けた取り組みが始まったのは1975年のこと。メキシコシティで開催された国連主催の「第1回国際女性年世界会議」で、国際女性年の目標達成のためにその後10年にわたり国内、国際両面における行動への指針を与える「世界行動計画」が採択されたのがきっかけだったそうです。1985年には日本も「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別条約)」を批准。同年、「男女雇用機会均等法」も制定されました。
 
さらに、2010年にはイギリスが「コーポレートガバナンス・コード(上場会社向けの行動原則)」、および、「スチュワードシップ・コード(金融機関を中心とした機関投資家のあるべき姿を規定したガイダンス)」を制定。2014年には、日本も「スチュワードシップ・コード」を制定しました。
 
残念ながら、コロナ禍で日本のジェンダーギャップは拡大してしまいました。しかし、時代の流れとともに意識は確実に変わってきていますし、女性活躍の状況は投資判断でも重視されるようになってきています、と政井氏。
 
「1988年に社会人となった私は、こうした女性の活躍を推進する流れの中で、キャリアをスタートしました。現在は、次世代の活躍する女性のために自分なりに役割を果たしていきたい、とも考えています。」と政井氏は話してくれました。

SBI金融経済研究所株式会社
取締役代表理事 政井氏

You never know what you can do until you try. だからまずはトライしてみてほしい

政井氏が大切にしている言葉

大学卒業後、政井氏は外資系金融機関でそのキャリアをスタートさせ、約22年間、複数の外資系金融機関で金融市場関連の仕事をしてきました。その後、日本企業でも働いてみたいという希望もあって、2011年に新生銀行に転職。2013年には女性初の執行役員になり、2016年には日本銀行政策委員会審議委員に就任したそうです。
 
 金融市場での現場経験を積んでいくうち、いつの頃からか、メディアで経済金融情勢の解説をする機会を得たり、講演や講義を実務の専門家として依頼されることも多くなっていきました。と政井氏は言います。

 もっとも、就職時に金融市場関連の業務に就きたい、といった希望は特に持っていなかったそうです。「でも、どんなことでも続ける、ということには一定の意味があると感じています。」キャリアをスタートさせた外資系金融機関から20年以上一貫して金融市場の現場を担う仕事に従事していく中で、その経験を軸に知識を深めていくことになります。様々な機会に丁寧に向き合っていく中で、専門性も自ずと高まり、メディア出演など、更に新たな展開、機会を得ていきます。

 自身のこうした経験もあり、皆さんへのメッセージとして、どんなことでもまずやってみてほしい。と政井氏。「それに、何かをお願いされるのは、相手はあなたにはできる、ときっと思っているから。だから皆さんにも何であれ、まずはトライしてみてほしいと思っています。」

学生時代、実は英語は得意科目ではなかった

「実は私、英語は不得意だったんです。」という意外な言葉が政井氏の口から飛び出したのは、講演も終盤の質疑応答のときでした。学生たちの「英語がうまくなる方法を教えてください。」という質問に答えたときのことです。

「受験生の時、実は、英語がとても不得意でした。結局最終的には、英文学科を選択、大学でも英語を中心に勉強を続けたのです。そうしたこともあり、就職する頃には、英語を道具として使う必要のある仕事がしたい、と考えるようになっていたと記憶しています。」

英語力をつけ、維持することの秘訣として、「語学力というのは、筋力と同じで、常に動かしていること(使用すること)、つまり、英語を生活の中に取り入れていくことが大事だと感じています。今は、外資系企業に居た時ほど英語を使う機会はありません。ですから、例えば、iPhoneの表示を英語にしてみたりするなど、なるべく生活の中に英語を取り入れるように気を遣っています。」と、政井氏なりの英語力維持の秘訣を教えてくれました。

メモを取る学生

仕事も、プライベートも、さまざまなことに前向きに取り組むことで、彩り豊かな人生を過ごしてほしい

熱心に話を聞く学生

「仕事とは、人生を彩る重要なピースの一つ。私が皆さんの年頃だった頃、金融経済という現象が、私の人生をこんなにも彩るとは想像していませんでした。世の中の流れも女性の活躍を後押ししている中、皆さんにも仕事を通してご自身の人生を豊かにしていってほしいと願っています。もっとも、今日は、女性とキャリア形成という視点でしたので仕事のお話が中心になりましたが、もちろん人生は仕事だけではありません。」

 「人生を歩んでいく途中には、家族のことなど、いろいろな出来事、必ずしも楽しい嬉しいこととは限らない出来事にも遭遇します。私にとって、そうした出来事全てが結果的に自分の人生をより豊かにしてくれた、と感じています。」と政井氏。

 「人生にはいろいろなことが起こります。良いこともあれば、悪いこともあるでしょう。でも、それらを全てひっくるめて、前向きに取り組み、楽しみ、ご自身の人生をより彩り豊かなものにしていっていただきたいと思っています。」 

 同窓の先輩は、これから社会に羽ばたこうとしている後輩たちに、温かくも力強い励ましのメッセージを送ってくれました。

深澤晶久教授の話

本学卒業生お二人目としてご登壇いただいた政井貴子様は、外資系の金融機関をご経験の後、日本銀行の政策委員会審議委員を務められた方であり、お話しの随所にシャープな切り口が散りばめられた、日本の金融の中心でご活躍になられる政井様ならではの講演をいただきました。
 
マクロな厳しい視点からのアドバイスもいただけた一方、仕事だけが人生ではないというご自身の経験からのお言葉は学生の心に深く届いたことと思います。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2021年12月10日

アフラック生命保険株式会社 取締役 専務執行役員 木島葉子氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(10/28)

なにごとに対しても主体的に取り組むことで
楽しさや、やりがいが見えてくる

参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座です。2021年10月28日の第2回目の登壇者は、アフラック生命保険株式会社取締役 専務執行役員の木島葉子氏。家政学部食物学科卒業の先輩でもある同氏の登場に、学生たちも興味津々の様子でした。

自分のやりたいことに専念した大学4年間
就職は4年制大学の学生を採用してくれる会社を探した

学生時代の話をする木島氏

学生たちの大きな拍手で迎えられた木島葉子氏は、「大学の4年間は、自分のやりたいことをやる時間だと考えていました」と講演の口火を切り、学生時代の思い出へと話を続けました。卒業論文のテーマは「高血圧予防に関する主婦の意識及び健康管理状況の調査」だったそうですが、就職に関しては、業種にはこだわらなかったといいます。1986年4月にアフラック生命保険株式会社に入社。2001年に課長に昇進して以降、2012年に執行役員、2020年には取締役専務執行役員に就任するという道のりを歩んできました。

生命保険業界初の女性役員を輩出
アフラック生命保険は歴史的に女性活躍に積極的

「『アフラック生命保険』は日本で初めて『がん保険』を提供した会社です」と説明する木島氏は、同社が1997年に生命保険業界初の女性役員を輩出したことや、1998年には営業の現場に女性支社長が2人誕生したことなどを紹介。アフラック生命保険株式会社が創業当初から女性活用に意欲的であり、2014年に女性活躍推進プログラムを策定して女性活躍推進をさらに加速させるなど、ダイバーシティに積極的に取り組んでいる会社であることを話してくれました。

アフラック生命保険の説明

与えられた仕事を淡々とやっていく毎日に変化
ある上司のおかげで気づきが生まれ、挑戦する楽しさを覚えた

真剣に話を聞く学生

「入社当初の私は、与えられた仕事を淡々とやって帰宅するような社員でした」
 最初の転機は3年目に訪れました。
「10人ほどのチームのリーダーを任されるようになったのですが、このときも、目の前の仕事を淡々とやっているだけでした。そんな私を見て、上司の女性は『このままではこの社員はダメになる』と思ったのでしょうね。出張や代理店さん向けの研修会など、何かにつけて私を連れ出してくれたのです。そして、いろいろな仕事をさせていただくなかで、新たな気づきが生まれ、新しいことにチャレンジしていこうという気持ちになりました。この上司はとても厳しい方でしたけれど、この方がいなかったら今の私は絶対になかったと思います」と木島氏は当時を振り返ります。

新しい部署の立ち上げに参画
視野が広がり、仕事の楽しさを覚えた

次の転機は入社から13年目くらいに訪れたそうです。
「一般に言うコールセンターの立ち上げに参画しました。新設部署ですから、これまでの事務職としての経験はあまり活きません。とにかく他社を参考にするため、業界を問わず、さまざまな会社の担当者にお話を聞きました。いろんな意味で、視野が広がりましたね」と木島氏は話します。
 当時は、担当者なので判断する権限はありません。
「でも、自分なりに考えて課長に報告をすることに、仕事の楽しさを覚えました。今考えれば、管理職前の研修だったんだと思います」と木島氏。その約2年後、木島氏は課長に昇格しました。

仕事の楽しさについて話す木島氏

分からないことは素直に人に聞くが鵜呑みにはしない
自分でも必要な情報を集めて判断する

管理職として仕事をすることについての話

課長になった数年後、木島氏は実務経験がない分野に配属されました。しかし、部下たちは実務経験のない木島氏に、「これで進めていいですか?」など判断を仰いできます。
「でも、私は彼らの言っていることが分からない。解読したとしても、判断ができません。悩みに悩み、原因不明の高熱にも見舞われ、やっとのことで思い至ったのは『分からないことは人に聞く』というごく当たり前のことでした。部下にモノを聞いてはいけないという思い込みがあったんですね。でも、部下のほうがその領域については知識を持っているわけですから、その人に教えてもらって判断をすればいい。でも、それを鵜呑みにはせず、判断するために必要な他の情報を自分でも集めるという行動を意識的にやるようにしました。こうしてやっと、管理職っぽくなっていったように思います。自分自身もこうやっていけばいいんだと思えるようになりました」

東日本大震災での挫折と学びで
自分はまたひと回り大きくなれた

「私がキャリアを語る上で欠かせないのは、2011年3月の東日本大震災です」
 当時、木島さんは契約管理事務企画部長を務めていました。
「そういうなかで、私は120万人の契約者に向けたお見舞い文書の作成・発送と、津波などで深刻な被害を受けた地域の契約者20万人の安否確認を任されたのです」
 木島氏は、一刻も早くお見舞いの文書を契約者に送りたいと思い、必死に具体策を提案しました。しかし、社長ら経営陣は納得してくれません。何度も何度も突き返されました。理由は「同業他社の対応や金融庁の考え方も示さず、自分の思いだけを綴った文書を提出されても、こちらは判断ができない」ということでした。今考えれば当たり前です、と木島氏は苦笑します。
「そこで私が学んだのは、いかに準備をして、相手の目線で相手が納得するよう対応をすることでした」と木島氏は大きな挫折感とそこから学習した学びを話してくれました。
 やったことのない業務に挑戦するしかない状況に追い込まれることは多々あったけれど、結果的にそれがよかった、と木島氏は笑顔を見せます。
「仕事もキャリアも主体的に取り組み、決めたことは自信と責任をもってやり抜くこと。そして、一人でできる仕事はそれほど多くはないので、チームをつくり、仲間と一緒に協力しあって仕事をやり抜いていただきたいと思います」と木島氏は経験を語ってくれました。

困難な業務経験から得た学び

仕事仲間の存在が原動力
思い通りにいかなくても探求することで気づきがある

学生からの質問

約1時間の講演のあとは、質疑応答の時間です。いろいろな質問のなかで、あるチームの「上り詰められた原動力は何ですか。また、最初から保険会社を目指していたのですか」という問いに、木島氏は次のように答えてくれました。
「人と一緒に仕事をすることに楽しさを感じるタイプなので、チームの仲間と一緒に困難を乗り越えることにやりがいを感じますし、仲間の存在が原動力になっていますね。それから就職活動についてですけれど、私は4年制の女子大学生を採用してくれる企業、正社員として採用してくれる企業を目指しました。そして、入ったアフラック生命のなかで仕事の楽しさややりがいを見つけてきました。ですから、自分の希望とは異なる会社という理由だけで失望しないでください。入ってみれば、いろいろな仲間がいて、会社の良さも分かってきます。思い通りにいかなくても、そこがどんなところか探求してみることが大切。そこから気づきややりがいが見つかることもあります」
木島氏は後輩たちにエールを送りました。

深澤晶久教授の話

ご講演の最後に、当日、同行されていた木島専務の部下のお二人にご発言をいただきました。その時に発言されたのが、「私たちは“木島組”の一員です」。厳しい経営環境において成長を続ける会社の秘訣を垣間見る瞬間でした。木島専務が、人を大切にし、とりわけ部下たちに心を配るチームワークの良さを感じさせていただきました。 
心から感謝申し上げます。