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2022年7月17日

2022年共通教育科目「女性とキャリア形成」第四回に、SBI金融経済研究所取締役理事長の政井さんをお迎えしました!

様々な分野で活躍し、輝かしいキャリアを築いてきた講師の方をお招きするリレー講座の第四回はSBI金融経済研究所取締役理事長の政井さんです。卒業生である政井さんは、今年の4月に客員教授に就任したばかり。
「人生100年時代」といわれる今、社会人として活躍できる期間はより長くなっていると政井さんは語ります。「マラソンのように続く社会人生活の中で、みなさんが目の前の課題を乗り越えるときに参考になれば嬉しいです」という言葉とともに、女性の活躍につながる様々なエピソードを紹介してくださいました。

世界で女性活躍推進の流れが始まったのは、1975年のメキシコシティから

今は当然のこととして、世界が取り組んでいる女性活躍。その始まりは、1975年にメキシコシティで開催された第1回国際婦人世界会議でした。ここで「国連婦人の10年」が採択され、各国が社会における女性の活躍を考えるようになりました。1979年には第34回国連総会において「女子差別撤廃条約」が採択され、あらゆる場面における男女の平等が約束されました。
こうした世界の動きを受け、日本では少し遅れて1985年に「女子差別撤廃条約」を批准した後、「男女雇用機会均等法」が施行されました。政井さんが就職した1987年の頃は、まだ職場における男女平等の制度が浸透する黎明期にあったそうで、法律が施行されたことは、ニュースとして扱われていました。2015年には「女性活躍推進法」や企業の女性活躍を数値で測るコーポレート・ガバナンス・コードが制定され、より具体的な実現に向けて日本社会がさらに動き出しています。

「女性活躍推進といったダイバーシティの流れが弱まることはありません。今は一部の世界的な企業だけの取り組みのように見えることも、やがては様々な企業へ広がっていき、日本全体の流れとなっていきます。ダイバーシティが推奨される背景には、いろいろな人の意見を聞くことで、組織がより良くなるという考えがあるからですが、見方を変えれば、その一員である自分がしっかりとした意見を持ち、それを伝えていくことが重要です。」

改めて、世界各国のジェンダーギャップ指数を見てみると、我が国は、ヨーロッパや北米に比べ出遅れています。教育や健康といった項目では上位国との差はあまりないものの、政治や経済といった社会に出てからの指標には、世界でも課題が残る中、我が国ではその中でも大きなジェンダーギャップが残っています。

「ここまで過ごしてきた皆さんの人生では、大きなジェンダーギャップをあまり感じることはなかったかもしれません。しかしながら、こうした統計を見ると一歩社会に踏み出せば、これまでとは違うことが多く待ち受けていることがうかがわれます。それを少し頭の片隅に置いておいてほしい。もちろん、先ほど申し上げたように、ダイバーシティの流れは弱まることはありませんが、ご自身が置かれている状況を理解しておくことも大切だと思います。また、少し話がそれますが、今日ご紹介したように、自分たちの身の回りで起こっていることを少しばかり統計や制度等で確認することで、物事への理解が深まり、知識が増えます。是非、意識してみてください。」

写真と共に振り返る、政井さんのキャリア

続く講義では、一人っ子で可愛がられたという政井さんの写真と共に、時代がどう変わってきたのかを振り返りました。政井さんが小さかった1970年代の日本の経済規模は73兆円で、現在の約8分の1しかありませんでした。
実践女子大学の英文科で学んでいた政井さんは、「仕事をするなら、英語を使った仕事をしたい」という気持ちから外資の金融機関に就職し、20年間勤めました。宗教や慣習が異なる20か国を超える仲間と共に取り組んだ為替を扱う仕事は、「国が変われば当たり前も違う」「異なる背景を持つ人達とゴールを目指す」ことを学んだ、貴重な経験になったと言います。
また、この間、仕事の合間をぬって、これまで仕事で得た知識を体系的に整理する機会を作りたいと、夜間大学院へ。
その後、部長として新生銀行へ転職。日本の金融機関ならではの文化などを通じて、「日本をよく知らなかった自分」に気づくことができたと当時を語りました。
執行役員となった頃には、学会発表等の機会を通じ、専門性を高めていきます。2016年には日本銀行の政策委員会審議委員に就任しました。任期満了に伴う退任後、現在は社外取締役などの責任ある立場として活躍しています

私の座右の銘のひとつは、『とりあえずやってみよう』。20代の頃、初めてのミッションでJAPAN DESKを設置するため、NY出張したのですが、さすがに緊張していました。そんな時、たまたま頼んだ中華のデリバリーにおまけのフォーチュンクッキーがあって、その中に、ウィリアム・コベットこの言葉“You never know what you can do till you try.”が入っていたのです。これを見て、なんだか気が楽になりました。
もうひとつは、『愛されたいなら、愛されるに相応しい人になれ』。これは古代ローマの詩人オウィディウスの代表作のひとつ「恋愛指南」にある言葉ですが、仕事の上でも必要な視点だと感じています。例えば、自分に任せてもらいたい仕事が任せてもらえないと感じたら、それはひょっとすると周りの目からみれば、仕事を未だ任せられる自分になっていないのかもしれません。自分の足りないものに気づき、それを埋める努力をするという視点も大切だと感じています。」

女子大には、女性がイニシアティブをとれる貴重な環境がある

「今はキャリアの総集編」と講義を締めくくった政井さんに、学生からたくさんの質問が寄せられました。「外資系金融で外国人と働く中で、困ったことは?」という質問には、「察する文化に慣れた日本人は、身体が大きくて押しの強い外国人の要求をのんでしまいがち。でも後からやりたくない、できないというのは卑怯だとされる。自分の意志は最初にはっきり伝えることが重要」と答えました。
また「英語を使う外資系企業に就職するために、今からやっておくことは?」という問いには、「相手に『この人は喋れる』という印象を持ってもらうことが大事です。何か、自分の興味があることを、英語で滔々と語ることができるよう練習しておくこともいいと思います。また、何でも興味を持つことは大事です。というのも、語れるものを持っていなければ、英語でも伝えられるものがありませんから。」と回答しました。
「女子大で良かったと思うことは?」という質問には、「男女共学の大学にあるジェンダーギャップが、女子大にはありません。みな女性がやる環境では、企画やリーダーなどに挑戦できる可能性が高くなり、イニシアティブをとった経験は社会で役立ちます。何事も視点を変えれば、違ったものが見えてきます。弱点と感じることを、利点に変える視点が大切ですね」
学生の挙手が止まない中、あっという間に講義時間が終了を迎えました。終始生き生きとユーモアたっぷりに学生に語る政井さんの言葉は、社会で活躍する学生達をこれからも勇気づけていくことでしょう。

深澤教授の話

昨年に引き続き、本授業にご登壇いただいた政井貴子様は、本学出身の先輩。外資系の金融機関での長年のご経験に加え、日本銀行でのご活躍は、現役の学生にとって決して近い存在ではないはずです。しかし、政井様が、目の前の仕事に、一つひとつ懸命に取り組まれたことの具体的なエピソード、そして実践女子大学での学びが、社会で十分に通用することなどをお話し下さり、学生たちの政井様との距離があっという間に近づいたことを感じました。やはり卒業生のお話しにはとても説得力があることを改めて感じました。この場を借りて政井貴子先輩に心から感謝申し上げます。

2022年7月4日

2022年共通教育科目「女性とキャリア形成」第三回に、元スターバックスコーヒージャパン(株)CEOの岩田さんをお迎えしました!

多くの人が知る大企業で確かな実績を残してきた講師の方をお招きするリレー講座の第三回は、元スターバックスコーヒージャパン(株)CEOの岩田松雄さんです。現在は株式会社リーダーシップコンサルティング代表として、未来の日本を創るリーダーを育成している岩田さんに、不透明な時代に女性がキャリアを形成するために、役立つヒントを語っていただきました。

女性の活躍は、1人ひとりの能力が発揮されること

1982年に日産自動車に入社し生産管理に携わった岩田さんは、社内留学先のUCLAビジネススクールにて経営理論を学びました。その後外資系コンサルティング会社やコカ・コーラを経て、2000年にはゲーム会社の(株)アトラスで代表取締役社長を努め、赤字を克服しました。その後、タカラで常務取締役、イオンフォレストで代表取締役社長を務め、2009年にスターバックスコーヒージャパン(株)CEOに就任し、それぞれV字回復させました。2013年に現在の株式会社リーダーシップコンサルティングを設立し、今に至ります。多くのリーダーを育成している岩田さんは、今の時代をどうみているのでしょうか。

「多様性が尊重される時代に、ジェンダーの扱いは慎重になっています。私は男女にはもって生まれた物理的な差があり、それぞれのよさがあると考えています。社会で大切なのは男女の関係なくその人が持つ能力を最大限発揮して活躍することです。
1980年代の米国では、黒人や少数民族といったマイノリティを過度に優遇するアファーマティブアクションが社会に混乱をもたらし、公平についての深い議論につながりました。女性だからといって差別されるのはもってのほかですが、個人を見ずに『女性である』という理由だけで優遇されるのは、女性とひとくくりにした乱暴な扱いであり、女性にとって失礼なことではないでしょうか。

マスメディアやネットでは情報が氾濫していますが、情報に翻弄されることなく自分の頭で考え、情報を取捨選択することが、これからの時代を生き抜く力につながっていくと思います」

企業は世の中をよくするために存在している

岩田さんによれば、企業は世の中をよくするためにある。企業は利益を挙げなければ存続できませんが、利益はあくまでも手段であることを忘れてはならないと強調します。

「みなさん就活では気になった企業を研究すると思いますが、その際はその企業のミッションをぜひチェックしてみてください。企業によって掲げているミッションは様々だと思いますが、共通しているのは『世の中をよくするためにやること』です。商品やサービスを通じて企業は世の中を良くするために存在しているのです。利益は決して目的ではなく、ミッションを実現するための手段です。その企業はなんのために存在しているのか、それを考えることが深い企業理解につながっていきます」

どの企業にも、経営理念、ミッション、ビジョン、バリューなど、が必ずあります。この明文化されたミッションに共感した人達が集まり、ミッションの実現に向かって邁進することで、企業は成長していきます。

自分のミッションも考えてみよう

ミッションは企業だけでなく、私たち1人ひとりにも大切なものだと岩田氏は語ります。個人のミッションは、「自分はなんのために存在しているのか」ということになります。

「私たち1人ひとりにも、ミッション(使命)を持つべきです。企業と同様に、個人のミッションは自分の存在理由といってもいいでしょう。使命とは自分の命をどう使うかと書きます。『自分が生きた証』にもなるミッションは、どうやって考えればよいのでしょうか。それは自分が好きなこと、得意なこと、人のためになることの三つが重なるところがヒントになります。(詳しくは拙著「ミッション」(アスコム)を参照してください)

自分の成長や環境変化とともに、ミッションは変わっていくものですし、変わってもいい。一度決めたからといって変えないのではなく、常に自分のミッションを考え、進化させることが大切です」
岩田さんは、仕事は「志事」、働くは「傍を楽に」と表現します。仕事は志をもって取り組む事、働くのは傍(まわり)を楽にさせるためという視点は、個人や組織の利益の追求だけでなく真に豊かな未来を目指す、いま注目される持続可能性にもつながるものでした。

質疑応答の後、花束のプレゼントが

報酬を得る手段に留まらない、幅広い視点で仕事を考える授業が終わった後、学生から様々な質問が寄せられました。「岩田さんのミッションは?」という問いに、「想定していた質問です(笑)」とジョークで返した岩田さん。現在のミッションは、「日本をよくするためにリーダーを育てることです」と笑顔で答えていました。

このほかにも「社長になりたいと思ったきっかけは?」という質問には、「社長だった父の姿を見て育ち、サラリーマンをやるからには頂点を目指したいと思ったから」と回答。また「挫折への対処法は?」には、「普段本を読んで出会ったいい言葉をノートに書き留め、悩んだときに読み返すようにしています」と答えました。「たくさん挫折をしてきました」と苦笑する岩田さんの手元には、自分を支えるこうしたノートが何冊もあるそうです。
この日は偶然にも岩田さんの誕生日とのことで、最後に学生から素敵な花束が贈呈されました。企業や自分が「なんのために存在するのか」という深いテーマを考えるきっかけになった今回の授業は、学生達の未来の支えになっていくことでしょう。

深澤教授の話

今年の前期は、「キャリアデザイン」に加えて、「女性とキャリア形成」にもご登壇いただきました。新入社員時代の志、懸命に努力された英語力向上のためのお取り組み、そして社長という立場でなくては見えない景色やご苦労など、豊富なご経験を通し、まさに「生き方」について示唆に富んだお話しをいただきました、さらには、岩田様の軸と言えるリーダーシップとミッションについても触れていただき、大変大きな勇気をいただくご高話でした。この場をお借りして心から感謝申し上げます。

2022年6月13日

2022年共通教育科目「女性とキャリア形成」第二回に、株式会社ANA総合研究所顧問の河本さんをお迎えしました!

日本を代表する大企業で着実にキャリアを積み重ねてきた講師の方をお招きし、女性のキャリア形成について語っていただくリレー講座の第二回は、株式会社ANA総合研究所の顧問を務める河本宏子さんです。国内線の客室乗務員(以下CA)として全日本空輸株式会社(以下ANA)に入社した河本さんは、当初長く勤める気持ちがなかったというのは意外です。軽快な登場曲に合わせて、拍手の中で颯爽と登場した河本さん。会社と共に自身も成長してきたという、貴重な経験を語ってくださいました。

1979年に同志社大学を卒業し、CAとして全日本空輸(ANA)に入社

京都で生まれ育った河本さんは、同志社の女子中高一貫教育を経て、そのまま大学へ。1979年にANAに入社し、国内線CAとして社会人のスタートを切りました。当時、CAは3~4年勤務し、結婚して子供ができたら退職する人がほとんどで、河本さんも自身のキャリアをそう考えていたそうです。

1986年、ANAが初の定期国際線に進出することになりました。面談で「社命に従います」と言った河本さんは、国際線CA異動リストに自分の名がありませんでした。

「このとき初めて、自分は国際線を乗務してみたかったんだと気づきました。その後、『国際線乗務を希望します。』と意思表明し、次の機会にかないました。

この時の経験から、河本さんは「自分の意志を言葉にして伝えることの大切さ」を心に留めるようになりました。

広い世界に出て、初めて気づいた自社の価値

ANAの国際線進出は順風満帆ではなく、国内線の利益が国際線の赤字を支えているような状態でした。転機となったのは1999年のスターアライアンスへの加盟です。世界最大の航空連合への加盟は、ANAにとって「世界と手を繋ぐ」ことでビジネスを拡大していく大きな転換点となりました。

「国際線乗務は私達にとって初めての経験でしたが、楽しかったです。就航当初はスーツ姿の日本人ビジネスマンが多かったのですが、スターアライアンスに加盟すると国籍、性別、服装など、多様なお客様をお迎えすることになりました。カルチャーの違いを知ることでの学びもありました」

会社の新しい挑戦にCA全員も挑む中、利用してくださったお客様から「座席やトイレが清潔」「食事がおいしい」「CAやスタッフが礼儀正しい」という感想が届くようになりました。 「世界各国の様々なお客様にご利用いただくことで、国内線では当たり前だった自社の強みを改めて実感することができました」と河本さんは当時を振り返ります。

客室本部長の時にiPadを導入。世界初の試みが注目される

1999年、「マネジメントもおもしろいのでは?」と感じた河本さんは管理職に。2009年には客室本部長として、多くのCAを束ねる立場を努めました。ANAが掲げる「お客様体験価値の向上」にCAが大きな役割を担う中、ANAは世界で初めてCA全員にiPad貸与を導入し、注目を集めました。全CAがiPadを携行することで、重いマニュアルが電子化されペーパレスになったたことをはじめとして、多くの業務が効率化されました。

「この画期的な変化は、IT部門をはじめとした社内の多くの方が支えてくださったからこそ実現しました。この経験で仕組みを考える人と使う人、ITが得意な人とそうでない人、さまざまな接点で共創が生まれるのを体験できました」

2017年になると河本さんはANAの役員を退任、ANA総研に移られ現在は顧問を務められています。また、東日本旅客鉄道株式会社・三井住友トラストホールディングス株式会社・株式会社ルネサンスの3社で社外取締役も務められています。

「対話」から生み出される一人ひとりのWell-being

続く授業では、河本さんが長く勤めたANAの経営がどう変化してきたか、また現在取り組まれているESG経営に触れました。企業にとって大切なのは「事業を通じて社会に貢献し、そこで働く一人ひとりのWell-beingを実現すること」。河本さんが取締役を務める3社は、鉄道、金融、健康と事業領域は異なるものの、幸福度に貢献しようと目指す点は共通していると言います。

「社会的価値と経済的価値。この二つを一緒に育てていくことが、企業の存続と成長に必要だととらえています。企業が潰れてしまっては、幸福な社会を生み出すこともできません」

河本さんが学生達に新たな視点を提示したのは、D&Iというキーワードでした。いまD(Diversity:多様性)と I(Inclusion:包摂)に多くの企業が注目していますが、真の多様性は組織にいろいろな人がいることではなく、まじりあうことだと河本さんは言います。「いろいろな人がいるだけでは、真の多様性とはいえません。その人達が自由に意見を出し合う環境があり、そのぶつかりあいからInnovation(革新)が生まれることが大切なのです」

講義の締めくくりは、もうひとつのキーワードWell-beingでした。働きやすさや働き甲斐を考えたとき、「出産直後は育児で大変だろうからプロジェクトを任せない、海外出張は無理」など、決めつけてしまうことに疑問を呈します。「働きやすさだけではなく、本人がやりたいことを実現できる環境について対話からスタートすることが働き甲斐にもつながるのではないでしょうか。組織のメンバー1人ひとりとの対話を通して、初めてWell-beingが実現できるのでは」

「意志を言葉にする」という言葉に、勇気づけられた学生達

真剣なまなざしが集中した講演後は、5人のグループ(CUBE)から1つずつ質問が寄せられました。「意見を言うマインドを保つには、どうしたらいいですか?」という質問には、河本さんも自身が役員になりたての頃は、会議で意見を言えなかった経験を披露。その上で「役員会では必ず1回は発言すると決める」「後になると言いにくくなるので、最初に意見を言う」といったアイデアが紹介されました。

このほかにも「CAの仕事で忘れられないことは?」「ANA経営危機におけるエピソードは?」「意見を言いやすい環境を作るには?」など、多くの質問が投げかけられ、河本さんは当時の経験を交えながら、丁寧に答えていました。 河本さんが何度か触れた「意志を言葉にする」という言葉には、多くの学生達が感銘を受けたようです。盛り上がる中であっという間に終了時間を迎えたこの授業がきっかけとなり、社会に出ても真の多様性や幸福を考え、追求できる学生が増えていくことでしょう。

深澤教授の話

河本様の豊かなご経験に基づく数々のお話しは、学生にとって分かりやすく、とても学びの深い大切な時間となりました。ご講演後にいただいたメッセージには、次の4点が綴られていました。①「何のため」という問いかけを忘れず、その時に「立ち返る原点」は?②周りとの比較ではなく違いを受け入れる「一人ひとり」輝く社会とは?③先人の「変わる」ことを恐れないチャレンジから学ぶことの価値は?④「未来は、想像と創造」。過去に囚われず豊かな発想で想像し、道を進むときに必要な武器の用意をどのようにしますか?いずれも、これからの時代を歩む学生にとって、生涯持ち続けて欲しい大切な問いかけとなりました。河本様には、この場を借りて心から感謝申し上げます。

2022年6月3日

Life Ship株式会社代表取締役の田形正広氏が「キャリアデザイン」の授業で世界にただ一つの講演を行いました。

2022年度の共通教育科目「キャリアデザイン」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は「今、社会や企業が求める人材とは」をテーマに、キャリア形成を学びます。企業のトップなどゲストも多数招き、リアリティがあると評判の授業。2022年5月10日(火)のゲストは、Life Ship株式会社の代表取締役の田形正広氏。深澤教授との縁により実践女子大学で講演を行うのは7回目となります。世界にただ一つのコンテンツである「ワンピースキャリア論」に、学生たちも興味津々で耳を傾けていました。

漫画「ワンピース」でキャリアを学ぶ?

田形氏はLifeship株式会社という、派遣社員の評価をスムーズに行う評価管理ツールを提供するベンチャー企業の代表取締役。人材派遣会社パーソルの営業部部長を経験後、Lifeship株式会社を起業しました。 そんな田形氏が大好きな漫画が「ワンピース」です。ワンピースは週刊少年ジャンプで連載中の、世界的にも人気の少年漫画。主人公のルフィを中心に海賊たちが大冒険を繰り広げる物語です。田形氏は「ワンピースには人生で起こることのほぼすべてが詰まっている」と言います。仕事のことやリーダーシップについても描かれているのというのです。キャリアと漫画がどう結び付くのか学生たちも興味津々です。

楽しく自由に一生懸命に「今」を生きるとは

田形氏は「伝えたいメッセージは2つだけ」と講演をスタートしました。メッセージの一つ目は「人生は冒険だ!」。「忘れがちですが自分の人生の主役は自分なんです。自分の人生に遠慮は無用」と田形氏。家族や友達を気にして進路を選んでしまうことがないようにアドバイスしました。

二つ目のメッセージは「海賊になろう!」です。海賊になるとはどういうことでしょうか。これはワンピースに出てくる海賊たちのように、楽しく、自由に、一生懸命に「今」を生きようということ。田形氏は、まず自由とは「何を信じてどの道を進むか自分で決めるということ」と定義しました。自由には責任が伴います。何をしてもいいですが、それを人のせいにはできません。何をどう行動するのか一つずつ自分で決断する必要があります。

しかし、決断するのは容易なことではありません。それには自分なりの価値観を持ち、情報を集めることが必要です。たくさんの情報を精査し、判断していくことが大切だと言います。田形氏のひとつの判断基準は「好き・嫌い」といった簡単なもの。なぜそれが好きなのか、嫌いなのかを掘り下げていくことは自分を客観視することにも繋がります。

では、「一生懸命に」生きるとはどういうことでしょうか。それは行動を起こしているかどうかだと田形氏は言います。勇気を持ってまずは動いてみること。それにより悩んだり失敗したりすること。成功したかどうかは問題ではなく、まず行動できていることが一生懸命「今」を生きている証拠なのです。

現実をワンピースに例えると何が武器や力になる?

ワンピースの世界では、能力者と呼ばれる特殊な力を持つキャラクターが登場します。能力は「悪魔の実」という特別な果物を食べると身に付くのですが、代わりにカナヅチになってしまうという犠牲を伴います。悪魔の実を現実で例えると、これは時間を犠牲にして身に付ける専門的な技術や資格です。しかし、悪魔の実を食べていないキャラクターも多数活躍しており、田形氏は「あると大きな力を発揮するが必ずしもマストではない」とも助言しました。

また、ワンピースのなかで強いキャラクターは「覇気」という力を身に付けています。覇気には3つの種類があり、それぞれを現実に当てはめることができると言います。

気配を読む「見聞色」の覇気は、自己客観力と他者共感力。自分を俯瞰し長所短所を把握することは大切です。また相手の立場に立ち、コミュニケーションを円滑に行うことも社会生活ではとても重要な力です。

大きなパワーを出せる「武装色」の覇気は、自己コントロール力だと言います。感情に振り回されずに常に冷静でいる力を身に付けることは大切ですが、なかなか難しいこと。これを身に付けるには、田形氏は「いつも挨拶、笑顔を忘れず、つい甘えてしまう家族にも言い方に気を付けると訓練になります」とアドバイスしました。そしてこの見聞色と武装色をどちらも身に付けた人は、誰もが認める魅力的な人になると言います。 最後の「覇王色」の覇気は天性の自信。努力や実績で身に付いた自信とは別に、自分にはできるという根拠のない自信があると、より大胆に行動することができるのです。

「つながり」のキャリア論

今回の講義を通して田形氏が伝えたかったことは「自分の行動や経験と人の縁は繋がっていく」ことだと田形氏は実感を込めて言います。「どこでなにがどう繋がるかは分からない。ただ、勇気を出して行動すると願いは叶っていきます」。例として田形氏と深澤教授との繋がりが挙げられました。キャリアコンサルタントが大勢集まる会で深澤先生が講演をした際に、名刺交換をし、深澤教授の著作の感想を思いきってメールで送ったことから縁ができ、夢だった大学での講義が実現したと語りました。 田形氏は「自分にしかできない仕事=天職」と定義し、田形氏自身もまだ見つかっていないと言います。「自信満々に見えるかも知れないけど軸がブレることもあるんです」と飾らない言葉で真摯に学生に語る田形氏。初就職した会社は半年で退職し、パーソルでも企画職に在籍していた際システム開発のプロジェクトに失敗した過去や、去年思い悩んでいたことも語ってくれました。それでも「自分の人生を生きるために行動しよう」としたことが今に繋がっていると強調しました。

学生の頃より大人になってからが楽しいと自信をもって言える

講義を聞いた学生たちから、いくつか質問も飛び出しました。周りを気にしてしまって、ネガティブな感情が出てくる場合はどうすればいい?という学生には、田形氏はそれは周りや自分のことをよく観察している証拠だから「見聞色の覇気の達人になれる素養がありますよ」と答えました。ただ、冷静に自分を見つめ、主観的な感情に振り回されないようにと助言しました。

学生時代と大人になってからの自由はどう違うのか、といった質問には、学生時代は無責任だったが大人は責任とともにスリルがあると語り「大人の方が楽しいと自信を持って言えます」と答えました。大人になってからは仲間やお金なども増え社会や人のためにできることが広がると熱く語りました。

社会の荒波を乗り越えていくことは大変なことです。しかしその先に仲間や愛情といった「宝物」が待っている、と学生たちへエールを送りました。

深澤教授の話

日本の中でも、ここ実践女子大学だけで聞ける特別講座田形正広様の「ワンピースキャリア論」も、今年で7回目となりました。田形様のキャリアをご披露いただきながら、その数々のご経歴がワンピースにトレースされて、キャリア論として語られる内容は、毎年、学生がとても楽しみにしている講座です。7回目ですが、内容も資料も毎年アップグレードされ、そして、その年々の、田形様のキャリアの今が重なりながら進化していくこと、とても興味深く聞かせていただいています。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

2022年4月21日

2022年共通教育科目「女性とキャリア形成」第一回に、OGのアフラック生命保険株式会社取締役専務執行役員の木島さんをお迎えしました!

本学卒業生を含む企業トップをお招きし、ご自身のキャリアや仕事で人生を充実させるために必要なことを語っていただく全6回のリレー講座がスタートしました。記念すべき第一回は、アフラック生命保険株式会社取締役専務執行役員の木島葉子さんです。「まだ校舎が古かった」という1986年に本学を卒業した木島さんは、女性の社会進出が今ほど叫ばれていなかった時代にどうキャリアを形成していったのでしょうか。

参加者全員の集合写真

1986年に家政学部食物学科を卒業し、アフラックに入社

学生時代の話をする木島氏

本学の卒業生である木島さんは、学生時代は趣味のスキーに熱中し、お花屋さんでアルバイトに励む、アクティブな学生でした。卒業論文のテーマは「高血圧予防に関する主婦の意識と健康管理状況の調査」。この時代はまだパソコンやインターネットがなかったため、卒業論文はすべて手書きで清書が大変だったそうです。

新卒の木島さんがアフラックに入社した1986年は男女雇用機会均等法が施行され、企業が女性の採用に本腰を入れ始めた年でした。多様性や女性の活用がごく当たり前のこととなっている現代と異なり、「4年制の女子大卒が入れる会社は少なかった」と木島さんは当時を振り返ります。

仕事で初めてのことやわからないことに遭遇したとき、どう対処するか

「大学ではあまり勉強しませんでした(笑)」と謙遜する木島さんは、アフラックの新人時代はバイトの延長のような意識しかなく、目の前の書類を処理する日々でした。そんな木島さんに転機が訪れたのは入社3年目にメンバー10人を束ねるチームリーダーになったときでした。

「事務処理ではない新しい仕事を担当することになり、会社にはいろんな仕事があることを実感しました。営業出身の女性上司だったんですが、出張同行や代理店研修の講師など、多くのことにチャレンジする場を与えてもらいました。上司は厳しかったですが、幅広い仕事を経験できて、いまでも感謝しています」

入社13年目には、当時まだ企業では少なかったコールセンターの立ち上げを担当。お客様からの電話にマニュアル通りに応えるだけでなく、お客様の声をもとに自社のサービスを設計していく仕事だと気付き、大きな感動を覚えたそうです。そして入社15年目の2001年に課長に昇進。その翌年、課長として実務経験がない部署に異動しました。 「部下に相談にこられても、その部署の業務がわからないから答えられないんです。二か月間、悶々と過ごしました。でもある時、わからないなら聞こうと思ったんです。上司、部下、他部署など、上下横斜めあらゆる方向の社員に質問し、部署の業務を理解していったんです。この経験で初めての仕事も、恐くなくなりました」

目の前の危機に対応することが、自分を成長させキャリアを上げていく

アフラックでの仕事を振り返るとき、木島さんの印象に残っているのは危機への対応です。そのひとつは2011年に発生した東日本大震災です。このとき木島さんが在籍していた調布オフィスは、計画停電でコールセンターの電話やPCが使えず、業務ができない状態になっていました。そこで大阪オフィスと提携し、なんとか業務を復旧。保険契約者の安否確認とお見舞いという、それまで体験したことがないボリュームの仕事に直面することになりましたが、無事乗り越えることができました。

「危機に対応する火事場の馬鹿力って、それまでの自分の集大成だと思うんです。想定外の大変なことに直面すると不安ですが、以前危機を乗り越えた経験が少しでもあれば、たとえ前例がないことでも『今回も何とかなる』と思えるんです。アフラックで長年勤める中で、震災をはじめとしたいくつかの危機に対応することで、自分が変わり自信がつきました。困難に積極的に取り組むようになったと思います」

どんなにすごいキャリアでも、それは日々の積み重ねの先にある

入社以来、遭遇したハードルを1つひとつ乗り越えることで着実にキャリアを形成し、今では取締役と専務執行役員という重責を務めるようになった木島さん。次は社長を目指し、自分にプレッシャーをかけていると語ります。木島さんは、キャリアをこう考えています。

「キャリアを上げるということは、日々の積み重ねだと思います。組織において責任あるポジションは、一足飛びに得られるものではありません。いま自分がいる場所で、目の前にある課題に真摯に取り組むことが、キャリアになっていくと私はとらえています。

経験がない新しい仕事に直面すると、自信を喪失しがちですよね。でも必要な情報や能力は、集めればいいんです。自分が完璧を目指すのではなく、得意な人を集めてチームで取り組むという視点も組織では重要です。大きな仕事こそ、自分1人だけではできません。人をまとめて動かす、チームビルディングが必要なんです」

会社で誰かと衝突しても、コミュニケーションを諦めない「対話」の積み重ねが解決につながる

学生からの質問

木島さんの講演後は、5人のグループ(CUBE)から1つずつ質問が寄せられました。真剣に聞いていた学生ばかりだったこともあり、たくさんの学生が手を挙げ、それに木島さんが丁寧に、時にユーモアを交えて答えていました。

「チームで誰かとぶつかったときは、どうすればいいでしょうか?」という質問には、木島さんが過去に仕事仲間と衝突した体験がユーモアを交えて披露され、教室に笑いが巻き起こりました。「どんな組織にも、嫌な人はいる」「いくら嫌でも仕事は一緒にやらなければならない」「その人から逃げるのは時間の無駄」という木島さんによれば、相手の意見をしっかり聞き、その背景を理解する「対話」を重ねることで、対立を解決する答えが見えてくるといいます。

また「女性の社会進出のために、学生である私たちがいまやっておくべきことは?」という問いの答えは、意外にも「自然体であること」。社会でいろいろな人に会う中で、時には女性だからといって差別されることもありますが、そういう時こそ「自分はどうしたいか」を考え続けることが大切だと強調しました。

このほかにも「自信を失いそうになったときはどうすれば?」「社長の次は何を目指しますか?」など、学生から次々と手が挙がりました。OGという共通点を持つ木島さんの言葉は、これから社会で活躍する学生達の支えになっていくことでしょう。

深澤晶久教授の話

昨年度から始まった本授業も2年目に入りました。今年は62名の学生が履修、学部も学科も学年も異なるメンバーが集まり、まさにダイバーシティクラスの様相を呈しています。今年の最初のゲストが本学卒業生の木島様ということもあり、クラスの雰囲気も柔らかく、学生たちの真剣な表情も印象的でした。木島様が醸し出される温和の雰囲気と、一方常にアグレッシブに生きてこられたそのお姿から、学生たちは沢山のことを学ばせていただきました。そして驚いたのがご講演の後のインタラクティブセッションです。時間内に全ての質問にお答えいただけない数の手が挙がりました。初回の授業から主体性を大いに感じる学生たち、これからの授業が楽しみです。最後に、今年もご講演いただいたアフラック生命保険株式会社の木島専務に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2022年3月4日

ルイ・ヴィトンのビジネスパーソンに、キャリア形成のヒントを学びました!(12/10)

高級ブランド「ルイ・ヴィトン」日本法人で人事を担当するビジネスパーソンに、キャリア形成のヒントを学ぶ授業が12月10日(金)、渋谷キャンパスで行われました。同社と本学の社会連携授業として実施され、今年度で4回目となります。同社コーポレートHRマネージャーの真名垣喬氏が講師として登壇。真名垣氏は「挑戦は必ず挫折を伴う。痛い失敗をすればするほど、その後の人生がより豊かになる」などと、学生たちにエールを送りました。

ルイ・ヴィトンと社会連携授業

講師の真名垣氏は、現在、LVMHグループの日本法人「ルイ・ヴィトンジャパン」に在籍。同社の人事を担当しています。LVMHグループは、ラグジュアリー・ビジネスにおける世界的リーダーとして知られ、ルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシー販売の両社が合併して1987年に誕生しました。仏パリにグローバル本部があり、ルイ・ヴィトンほかセリーヌ、ジバンシィ、ヘネシーなど70を超える高級ブランドを世界で展開しています。

皆さんのMissionは?

真名垣氏は、授業を通して「皆さんのMission(ミッション)=使命は何ですか?」と繰り返し学生たちに問い掛けました。例えば、「大学を卒業したら就職するというのが日本の常識というものだ。だから自分も就職するというのは、それでいいのですか?」。根源的な問いを何度も提起しながら、「卒業したら、どんな仕事(What)をしたいのですか?」「どうやって(How)、仕事選びをしますか?」「なぜ(Why)、そう思うのですか?」などと学生たちのキャリア観を質しました。思わぬ質問の連続に学生たちも戸惑い気味でしたが、真名垣氏は「一番大事なのは自己分析」と強調。「まずは自分に向き合うことから始めてはどうか」とアドバイスを送りました。

翻って、真名垣氏自身のキャリア観はどうなのでしょう。それによると、同氏にとりミッションとは「自分らしく、美しく幸せに生きる人を増やすことで世界を豊かにしたい」。そのための手段として仕事があり、同氏にとり仕事とは「人に関わる仕事(人事)全般で、仕事を通じて充実感を得られる人を増やすこと」と意義付けています。この結果、今携わっている人事という仕事について「やっぱり自分がやるべきことは人事だなと強く思う」「その仕事が楽しくできるようにルイ・ヴィトンという会社を選んだ」などと語り、人事という仕事に対するやりがいや誇りを強く滲ませました。

私のミッション

楽しかった名古屋支社の営業

講義をする真名垣氏

もっとも、人事という仕事に対する同氏の情熱は、就職後すぐに形成されたものではありませんでした。今日に至るまでの同氏のキャリア観は、転職を経てルイ・ヴィトンに入社したという真名垣氏の経歴と深く関わっています。

真名垣氏は、大学を卒業して2002年4月に資生堂に入社。ほどなく名古屋支社に配属され、営業職としてのキャリアをスタートさせました。資生堂を就職先に選んだ理由は「ファッション的な仕事がしたかった。金融とかいろいろと考えてみたが今一つ自分の姿と合致しなかった。一番しっくりくるのが化粧品業界だった」と明かします。また、職種も「今は人事の仕事をしているが、当時は人事の仕事にあまり興味はなかった。営業とか商品開発、マーケティングをやるつもりで化粧品会社に入った」と述懐しました。

名古屋時代は、後に「無茶苦茶、楽しかった」と懐かしがるほどの充実した日々を重ねました。化粧品を売るための提案をしたり、化粧品の売り場を巡りお店と交渉をしたり…。「自分がやりたかった仕事に携われた」という満足感があったからでしょうか。本人が「名古屋時代は、結構、頑張った。業績も上げた」と自負するぐらい、頑張りが際立つ新人時代でした。

3年目に人事部に異動

転機は入社3年目に訪れました。東京・汐留にある本社人事部への転勤辞令です。2週間前には、支社が管轄する店舗の事業計画(3年間)をつくり、支社長に意見具申したばかり。真名垣氏にとり、「さあ、これから名古屋でもっと頑張るぞ」と思った矢先の異動命令でした。

名古屋時代、真名垣氏の本社人事部に対する印象がどうだったかというと、「正直、嫌いだった。なんとなく人のことをチェックする仕事だなと。そんなイメージがあった」。それどころか「人事部?何も分かっていないじゃないか」と事あるごとに文句ばかり繰り返していたと言います。なのに、人事部に呼ばれてしまい異動。職務命令である以上、従わなければなりません。他の会社に転職し、同じ営業の仕事を続けるという選択肢もありましたが、真名垣氏はしませんでした。「この時は、資生堂という会社が大好きだったので。人事部の仕事もやってもいいかなと思ったから」だそうです。

学生の意見は?
ファッションは大好き?

人事部では、新入社員の研修やリーダーシップのトレーニングなどを担当。中国やシンガポールにある資生堂の現地法人の窓口の仕事などグローバルな業務にも携わりました。いきおい英語を使う機会が増え、自費で英語を英会話学校に通うなど猛勉強。その流れで米国の現地法人にも短期研修で赴任しました。

ルイ・ヴィトンに転職

2017年、真名垣氏は、意を決して資生堂を退職、ルイ・ヴィトンに転職しました。37歳の時でした。

真名垣氏によると、その理由は次のようなものだったそうです。「自分のやりたいことと、会社が自分にやらせたいことの間のずれが、転職の一番大きな理由だった。資生堂のことは嫌いじゃないが、価値観にずれを感じていた。一生のうち、ずうっと同じ会社と付き合っていくのにも、疑問があった」。

ちなみに、「転職それ自体は、30歳の頃から考えていた」とか。この間は、「自分の人生のミッションは何か」という自問自答を悶々と繰り返す日々。その答えが「最終的にバチっと来た」というのが、37歳の時というわけです。

他方、真名垣氏は転職先を選ぶに当たり「企業の価値観を大事に考えた」と語りました。同氏が考えるルイ・ヴィトンが大事にする価値観とは、「クリエイティビティやイノベーションを探求する会社」「起業家精神を大事にしており、失敗を恐れず初めにやってみようと提唱している会社」。多くの企業の価値観を調べるなか、真名垣氏はこの価値観に惹かれ、ルイ・ヴィトンに入社を決めました。

ルイ・ヴィトン

「どんな仕事をするか」が重要

転職もあり、真名垣氏にとり、仕事の価値は「どこで働くか」が重要ではなくて、「どんな仕事をするか」に変容しました。つまり、ミッションにいう「人に関わる仕事、つまり人事の仕事を通して充実感が味わえる人々を、いかに増やしていくか」。化粧品というコンシューマー系の会社からラグジュアリ系のビジネスに転じても、人事という仕事に携わっていきたいことに変わりはありません。資生堂には「資生堂で働きたい」と入社しましたが、ルイ・ヴィトンには「人事の仕事がしたい」「その仕事が楽しくできるように」と転職。かつて新卒の際「正直、名前で会社を選んだり、何となく知っている会社を選んだりしていた」と振り返る会社選びの基準は、いつしか「社名は変わってもいいと思う」「どんな仕事をしたいかということで会社を選んだ方が、満足度が高い」に変化していました。

「自分自身と向き合おう」とエール

真名垣氏から餞の言葉

「あなたは、自分の命(時間)をどのように使いますか?」。授業の最終盤、真名垣氏は学生たちに、こう呼び掛けました。その上で、「皆さんは、これからの貴重な時間をどう使っていくか。(この講義を)きっかけとしていただければ。皆さんが、価値観や理想・パッションを感じ続けていくことを、皆さん自身が向き合う中で感じていただきたい」と続け、「Make your career a beautiful journey」という言葉で講義を結びました。

3年生の「グローバル・キャリアデザイン」で実現

真名垣喬氏の特別授業は、学部を問わず3年生を対象とした「グローバル・キャリアデザイン」(毎週金曜日2限)の授業のなかで実現しました。担当は国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育担当)です。今年度は37人が同授業を履修しています。

深澤晶久教授の話

真名垣さんとは、私が資生堂勤務時代に、若手社員の育成に奔走した戦士の仲間の一人です。熱い心をもった兄貴分として若手社員の人望は格段に高く、多くの新入社員たちが真名垣さんの教えをもとに、資生堂生活の第一歩を記したことになります。そんな真名垣さんも、新しいフィールドで活躍されていることをお聞きし、4年ほど前から、当授業にお越しいたただき、“あの当時の熱いメッセージ”を再現してもらっています。こうしたロールモデルに接することで、社会の楽しさも厳しさも感じてもらいたいと考えています。真名垣さんにこの場を借りて心から感謝申し上げます。

担当の深澤教授

2022年1月30日

サッポロホールディングス株式会社元取締役会長 特別顧問 上條 努氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(12/23)

女性の活躍が社会や企業の成長のカギを握る

視野を広げて、興味あるものに積極的にチャレンジを!
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。その最後を飾る登壇者は、サッポロホールディングス株式会社の元取締役会長で特別顧問の上條努氏です。女子大で講演するのは初めてと語る上條氏は、事前に学生たちから寄せられた質問に目を通した上で、「自分自身がどのように仕事と向き合ってきたか」と「学生の皆さんに期待すること」の2点についてお話をしてくれました。

確たる思いがあってサッポロビールに入ったわけではなかった
でも、社内で興味を引かれる仕事には貪欲に挑戦した

「私は仙台市の出身で、高校時代に仙台市の南東に隣接する名取市にサッポロビールの仙台工場ができたことで、サッポロビールという会社を知りました。最新鋭の素晴らしい工場で、『すごいなぁ』と思ったのは覚えています。でも、まさか自分がサッポロビールに入社することになるとは、当時は考えてもいませんでした」と上條氏は話します。
就職活動をしているなかで、ある石油会社とサッポロビールの2社から内定をもらったという上條氏。税務署職員だった父親に相談すると、「そりゃあ、飲めるほうがいいんじゃないか」とアドバイスされてサッポロビールを選んだとユーモアたっぷりに教えてくれました。
「本当に、『これがやりたい』というような確たる思いがあったわけでもなく、ただ内定をもらえたから入社を決めたという感じでした」と上條氏は苦笑します。
入社して最初に配属になった、北九州市門司区にあったサッポロビール門司工場の業務部門で業務をスタート。その後本社に異動し、購買の仕事に携わったそうです。
「その後、アメリカ・サンフランシスコに現地法人をつくるという話が出て、私はすぐに先輩に『私も連れて行ってください』と直談判しました」と上條氏。結果、上條氏は5年間サンフランシスコで働き、1985年にはその現地法人「サッポロUSAサンフランシスコ支店」の支店長に就任しました。
帰国後は経営企画部で手腕を発揮。サッポロビール飲料株式会社の取締役を経て、2007年にサッポロホールディングス株式会社取締役経営戦略本部長、2011年には代表取締役社長に就任しました。
「長い会社員生活で、私は希望しないで行った部署はひとつもありませんでした。サラリーマンがこのような経歴を送れることは珍しいことですが、どの部署も自分で会社に希望を出して、その部署で仕事をさせていただくことができました。確かに私は、確たる思いもなくサッポロビールに入社しました。しかし、会社に入ってからは、興味を引かれるものに貪欲にチャレンジしてきました。そんな自分を振り返ってみて思うのは、社会人生活、会社員生活を豊かに、面白く過ごす秘訣は、『どれだけ興味を引かれるものを持てるか』なのではないかということです。興味を持った部署で、自分の思いをどうやって実現させるか。それがやりがいにつながっていくのだと思います」(上條氏)

サッポロホールディングス株式会社 特別顧問
上條 努氏

他者との違いを理解した上で一緒に社会をつくっていく
その中で自分は何を仕事にしていくかを考えよう

「違い」について語る上條氏

「多様性を意味するダイバーシティという言葉を少し前からよく耳にするようなりましたが、私がその大切さを実感したのはサンフランシスコに駐在しているときでした」と上條氏は語り始めました。  
ご存知の通り、アメリカでは白人や黒人、東洋人などさまざまな人種が暮らしています。多様なルーツを持った人々が混在しているのがアメリカ社会です。「そんなアメリカで暮らしてみて、いくつか考えることがありました」と上條氏は話します。
「例えば、生魚。今でこそ和食ブームも手伝って多くのアメリカ人が刺身を食べるようになりましたが、私が赴任していた当時は、生魚を食べるのはイヌイットの人たちと我々ぐらいでした。また、韓国の人たちと食事をしたときに、私が何気なくお椀を手に持って食べていると、変な視線を感じたので理由を尋ねると、韓国では食器を手に持って食べるのは一般的によろしくないという返事が返ってきました。こういう文化や習慣の違いは、ごくごく普通にある。日本人の間では常識でも、世界標準では非常識になってしまうこともあるんです。だからこそ、社会や企業ではダイバーシティ(多様な人材を活かす戦略)が大切なんですね。皆さんからいただいた質問に『これから何をしたらいいですか』というものがありましたけれど、私は『広く見聞してほしい』と思っています。海外だけでなく日本国内を見渡しても、人それぞれ、違いはあります。ですから、違いがあることを理解した上で、一緒に社会をどうつくっていくか、この社会のなかで自分は何を仕事にしていくのか、ということを考えていただければいいのではないかと思います」

女性の皆さんは積極的に社会に出てほしい
ただし、就活で模範回答的なことをいっても面接官に見抜かれる

そして上條氏は、目の前にいる学生たちに期待することを話してくれました。
「社会の公平性などを考えると、男女半々が望ましいと思っています。ですから女性の皆さんは、積極的に社会に出てほしい。会社でバリバリ働いてほしい。ただ、これから皆さんは就職活動で面接を受けることも多いと思いますが、面接官に耳障りのいいことばかり言うのはやめてください。本心でもないのに模範回答的なことを言っても、面接官は不思議と見抜いてしまいます。私も面接官をやった経験があるから分かるんです。知らないことは正直に知らないと言う。取り繕う必要はないんです。『これから勉強します』と言えば十分です。自分の人間性そのものを伝えること、それが面接のポイントだということを覚えておいてください」と上條氏は教えてくれました。

何かに疑問を感じたら、その理由を考える習慣を持とう
女性が活躍できる場は広がっている

さらに上條氏は、「世の中には、『なんかおかしい』と思うことがたくさんあります。そのおかしいことを好き嫌いで考えるのではなく、『何がおかしいんだろう』と考えていただけるといいと思います。そして、その『おかしい』に対して、ポイントを整理して『もっと違う解決法があるのではないか』と考えることが社会人の始まりだと思います。考えがまとまらなかったり、分からなかったりしたら、先生に聞いてみるのもいいでしょう。社会に出て先輩に聞くのもいいし、友達同士で『私はこう思うけど、あなたはどう思う?』と話し合うのもいい。疑問を感じること解き明かしていくことが、興味を持って仕事を続けていくことができる秘訣ではないかと思います」(上條氏)
また、世の中には、解き明かされていない課題がたくさんあります。
「ですから、やりたいことを複数持って、自分から取りに行くことも大事だと思います」(上條氏)
サッポロビールに関して言えば、採用は基本的に男女半々。
「社会は女性の感性を求めており、女性が活躍できる場は広がっています。採用もいろんな形で行われるようになりました。社会の成長に女性の活躍は欠かせません。皆さんも期待を持って社会に飛び出し、興味を引かれたことにどんどんチャレンジしてほしいと思います」と上條氏は力強いエールを送ってくれました。

興味をもって仕事を続ける秘訣

深澤晶久教授の話

本講座の最後にお招きしたサッポロホールディングスの上條様は、ユーモアたっぷりにしかも、女子大生目線での数々のお話しをしていただき、教室も何か温かい雰囲気に包まれていました。厳しいビール業界の中で、また、海外での業務経験も長く、示唆に富んだ数々のエピソードが学生の心に強く響いたことと思います。
全てご自身が希望された部署でキャリアを積み重ねてこられたというお話しは衝撃的でもありました。しかし、このことは上條様が、それぞれの部署で最高の成果を上げ続けてこられた証でもあると考えます。
本当にありがとうございました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2022年1月29日

サントリーホールディングス株式会社執行役員 コーポレートサステナビリティ推進本部長の福本ともみ氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(12/9)

与えられた「仕事」をきちんとやる人間は信頼される

その先に、「私事」や「志事」へのチャレンジがある
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。2021年12月9日に行われた第5回の登壇者は、サントリーホールディングス株式会社執行役員 コーポレートサステナビリティ推進本部長の福本ともみ氏です。

見出し 世界の潮流となった「パーパス経営」にも通ずる
サントリー創業者の信念「利益三分主義」

「何のために働くのか」をテーマにした今回の講演。福本氏は自分の話をする前に、企業の話から講演をスタートさせました。
福本氏によれば、近年、企業の存在意義(パーパス=Purpose)に基軸を置いた「パーパス経営」が世界的に注目を集めているそうです。「パーパス経営」とは、「社会をよりよくすること」「よい環境を次の世代につなげていくこと」などに軸足を置いた経営のこと。企業ですから、もちろん利益を上げることは大切です。しかし、そうした利益至上主義が、環境破壊や過重労働などを引き起こしていることも事実です。そういうなかで、国内外を問わず、パーパス経営を実践する会社が増えてきました、と福本氏は説明します。
「この考え方は、近江商人の心得である『三方よし』の精神にもつながっています」と福本氏。ちなみに、「三方よし」とは、売り手と買い手の双方が満足し、社会に貢献できてこそよい商売であるという考え方です。そしてそれは、サントリーの創業者・鳥井信治郎氏が信念としていた「利益三分主義」(事業によって得た利益は、「事業への再投資」「得意先・取引先へのサービス」に留まらず、「社会への貢献」にも役立てたいという考え方)にも通ずるものなのです、と福本氏は話します。

創業者 鳥井氏の創業精神を語る福本氏

お酒や清涼飲料水のメーカーとして
社会福祉や文化貢献、環境経営を推進

熱心に耳を傾ける学生

福本氏によると、鳥井氏が1899年に「鳥井商店」(現・サントリーホールディングス株式会社)を設立し、最初に商品化したのはワインだったそうです。甘口葡萄酒「赤玉ポートワイン」は大ヒットしますが、間を置かずに、初の国産ウイスキーづくりに挑戦します。理由は、日本人の味覚に合った洋酒をつくり、日本の豊かな洋酒文化を切り拓きたいと考えたから。この時代は、貧しい地域での無料診療所や戦災孤児のための施設運営など、社会福祉活動に力を入れていました。戦後は、「物が豊かなだけではなく、心が豊かになるように、文化的な活動で社会に恩返しを」という考えのもと、1961年にはサントリー美術館、1986年にはサントリーホールを開館。1990年代以降は、自然の恵みに支えられている企業の責務として環境経営を推進し、2005年には、「人と自然と響きあう」という企業理念のもと、社会やお客様との約束として「水と生きる」を制定したそうです。そこには、「利益を追求するだけのグローバルプレイヤーではなく、社会に貢献し、世界中の人々から信頼される企業グループを目指したい」という思いが込められています、と福本氏は教えてくれました。

就職したら「これをやった」といえる仕事がひとつはほしかった
会社を選ぶつもりで就活に臨もう

しごとには、仕事(MUST)と私事(CAN)と志事(WILL)の3つがあります。仕事は、自分の役割として責任を果たさなければならないもの、私事は自分自身の成長につながるもの、志事は自分が志すものであり、個人のパーパス。ひと口に『しごと』と言っても、その中身はいろいろで、何のために働くかを考える時、組織のパーパスと個人のパーパスの重なりを大きくすることが大切です。」(福本氏)
そしてここから、いよいよ福本氏ご自身の話が始まります。
「就職活動を前に、何がやりたいのか分からない。そもそもやりたいことがなかった」と福本氏は苦笑します。しかも、当時は「男女雇用機会均等法」も施行されていなかったため、4年制大学を卒業した女性を雇ってくれる企業はかなり少なかったそうです。
「やりたいことも明確ではなかったのですが、ただ、せっかく就職するのだから、『これをやった』と誇れる仕事をひとつでも残したいと思っていました。ですから、女性を戦力と考えてくれる会社で働きたかった。4年制大学卒業の女性を雇ってくれる会社は、手当たり次第に会社説明会に行きました。そのなかで、サントリーだけが若い女性社員が出てきて生き生きと話をしてくれたんです。私は、この会社で働きたいな、と思いました」(福本氏)。
そんな自らの体験を通して、「会社を選ぶつもりで、就職活動に臨んでほしい。『ここで働きたい』という気持ちを、大切にしてください」と福本氏はアドバイスしてくれました。

3つの「しごと」を話す福本氏

自分ができることを一生懸命にやることの重要性と楽しさ
仕事(MUST)をしっかりやることの大切さを知った

入社当時を語る

福本氏が入社して初めて配属されたのは、人事部だったそうです。
「最初の担当は、アルバイトさんを採用する仕事。社内の各部署で必要なアルバイトさんを、必要な期間、必要な人数を集めるのが仕事でした。ところが、募集広告を出しても応募がほとんどないこともあって……。でも、このアルバイトさんがいないとあの部署の人たちは困るんだろうな、と思い、知り合いなどに声をかけて必要な人数を集めるようにしたんです。そうすると、感謝されるんですね。それが嬉しくて、やりがいも感じました」と福本氏。
入社当初は優秀な同期のなかで、いつもみんなの後ろを追いかけているのではないか、ご自分は要領があまりよくないと感じられていたそうです。でも、3、4年経つにつれて、重要な仕事を任されるようになっていった、と福本氏は言います。それである日、上司に聞いてみたそうです。  
上司の答えは、「確かに君は要領がよくない。でも、大切なのはやるかやらないかだ。『コピーとりみたいな雑用はできない』と文句を言ったり、『こんな仕事ができます』と自己アピールをする前に、与えられた仕事で実績を出すことが重要なんだよ。君は結果を出している。与えられた仕事を120%やる人間が信頼される」。
ここでいう「しごと」は、まさにMUSTの「仕事」。志をもった志事、成長できる私事をと望む前に、仕事きちんとやり遂げることが大切なのだということを、身をもって実感できた、と福本氏は話してくれました。

「相談されて嫌な人はいない」という上司の言葉に背中を押され
「チャンスに尻込みをしない」ことを覚えた

最初の転機は入社7年目のことだった、と福本氏は当時を振り返ります。
「人事部の仕事にはやりがいを感じていましたが、そろそろステップアップするためにもCANを増やさければいけないと感じていました。一方の会社も、『女性にも“留学”の門戸を開こう』と考え始めていました。そこで私は、候補試験を受けてみようと思ったんです」(福本氏) 
ただ、候補試験を受けるためには、事前にレポートを提出する必要がある。どうしていいか分からなかった福本氏が上司に相談すると、「君は何でも自分でやろうとしすぎだ。いろんな人にどんどん相談してみなさい」と言われたそうです。相手に迷惑をかけたくないという気持ちが強かった福本氏がためらっていると、上司は「相談されて嫌な人はいないよ」と福本氏の背中を押してくれました。その言葉に勇気をもらった福本氏は、いろいろな人に相談してみると、皆さん、喜んで相談にのってくれたそうです。
「この経験で私は、『チャンスに尻込みをしないこと』『情報をとることの重要性』を学びました。一人ではこのチャンスを掴むことはできなかったと、今も思っています」(福本氏)

意見を交わす学生

小さなPR会社の女性社長の言葉が
プロフェッショナルになるきっかけをくれた

プロフェッショナルになるきっかけを話す

国内留学でビジネススクールに通って勉強した福本氏は、広報部を経てサントリーホールで仕事をすることになりました。そこで福本氏は、挫折を味わうことになります。
「広報の仕事は、簡単に言えば、新聞や雑誌の記者さんやテレビのディレクターさんにサントリーの情報を伝えて記事にしていただくことです。ただ、本社の広報部は大きな組織なので、いろいろな人がサポートしてくれました。ところが、サントリーホールは小さな組織で、広報担当は私ひとり。何でも自分でやらなければなりませんでした」(福本氏)。しかも、音楽ホールのことも音楽のことも自分は知らない。音楽記者とのコミュニケーションもままならず、約1年は納得できる仕事ができなかったそうです。悶々とする日々が続いたある日、小さなPR会社の女性社長に「私たちは一生懸命に仕事をしても、成果が出なければ次の仕事はこなくなっちゃうのよ」と言われたそうです。
「ハッとしました。大きな会社だから成果が出なくてもお給料はもらえますが、自営業やフリーの方はそうはいきません。この女性社長さんの言葉で、『自分はプロフェッショナルにならなければいけない』と強く思いました」(福本氏)。その頃、上司から「敵にしたら向かい風だけれど、味方につければ追い風だよ」と言われたこともあり、以来、音楽記者とも密にコミュニケーションをとり、人間関係が良くなるように努めたそうです。

「務まるかなぁ」ではなく、就任したからには「務める!」
「音楽を通して幸せな体験をしていただく」という“志事”ができた

その後、2008年に副支配人としてサントリーホールに戻った福本氏。翌年には支配人となり、事務方のトップとして約300人のスタッフをまとめることになったといいます。しかし、自分はその役割を果たすことができるのか不安だった、と福本氏。そんなとき、元通産官僚で外務大臣も務めた経験もある川口順子氏の「政治家と官僚は違う。これまでの延長線上では務まらない。政治家になったから、私は性格を変えたのよ」という言葉を思い起こしたそうです。この言葉に、またハッとさせられた、と福本氏は言います。
「私にこの仕事が務まるかなぁ、と考えている場合ではない。就任したからには、自分を変えてでも務めなければいけないんだ、と思ったのです」(福本氏)
 スタッフをまとめ、音楽家の方たちに気持ちよく演奏していただくためにはどうすればいいかを考えた、と福本氏は言います。
「結果、お客さまにも、サントリーホールのスタッフにも、音楽家にも、音楽を通して幸せな体験をしていただくことが私の務めだと思いました。このときの経験こそが志事で、志のある仕事ができたと今も思っています」と福本氏は笑顔を見せました。

熱心に話を聞く学生

仕事をしていく上で大切なのはプロフェッショナルになること
仕事を楽しみ、努力を惜しまず、人との関係を大切にする

「プロフェッショナルとは」を語る福本氏

最後に福本氏は、“志事”を見つけ、全うする秘訣を教えてくれました。
「これまでの経験で、私は仕事をしていく上で大切なのはプロフェッショナルになることだと考えています」(福本氏)。では、プロフェッショナルとはどういう人なのでしょうか。福本氏は以下の3つを挙げてくれました。
・自分の仕事を楽しむこと〜好きこそものの上手なれ
・努力を惜しまないで熱中すること〜人並みのことをしていては人並みにしかなれない
・人との関係を大切にすること〜何をするかと同じくらい「誰と」するかも大事
 具体的で分かりやすく、示唆に富んだ言葉は、これから就活に臨み、社会人としての一歩を踏み出す学生たちに、たくさんの勇気とヒントを授けてくれたはず。講演と質疑応答が済み、教室を出て行く学生たちの顔には明るい表情が広がっていました。

深澤晶久教授の話

お話しを通して伝わるお人柄の素晴らしさを浴びながらのあっという間の1時間でした。
そして、サントリー様の理念でもある“やってみなれ”精神を随所で発揮しながら、様々な部門での経験に裏付けられた企業トップとしての矜持を感じさせていただきました。
学生たちは、福本様の、しなやかに美しく、志事を貫くその姿勢から、多くの学びをいただいたことと思います。それにしてもサントリー様の社員の会社を愛する気持ちは、今も昔も変わらないということに、改めて気づいた時間でもありました。

2022年1月14日

SBI金融経済研究所株式会社取締役代表理事の政井貴子氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(11/25)

与えられた機会に丁寧に向き合うことで、

専門性が高まり、また新たな機会へと繋がる
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。4回目となる2021年11月25日のゲストは、SBI金融経済研究所株式会社取締役代表理事の政井貴子氏です。実践女子大学文学部英文学科の出身で、学生たちにとっては大学の先輩でもある政井氏。学生たちは真剣な眼差しで、政井氏のお話に耳を傾けていました。

男女共同参画が政策として推進される時代の中で、自身のキャリアを積み重ねてきた

「私は2021年6月まで日本銀行の政策委員会審議委員を務めていましたが、任期満了で退任し、今はSBI金融経済研究所の取締役代表理事を務めています」

大きな拍手を受けて壇上に上がった政井氏は、講演をこのような言葉で始めました。この日のテーマは、「なぜ、女性活躍推進なのか」「写真で振り返る私の履歴書」「Opportunity」の3つ。「一つ目のなぜ、女性の活躍推進なのか、についてお話しするのは、皆さんが女性という当事者として、国の政策を理解しておくことは大切だと考えたからです。また、私自身がその流れの中でキャリアを積んできたということもあり、歴史的背景を掴んだ上で、私のキャリアのお話しをするのが良いと思ったのです。」と政井氏は話します。
 
政井氏によれば、世界的規模で性差別撤廃に向けた取り組みが始まったのは1975年のこと。メキシコシティで開催された国連主催の「第1回国際女性年世界会議」で、国際女性年の目標達成のためにその後10年にわたり国内、国際両面における行動への指針を与える「世界行動計画」が採択されたのがきっかけだったそうです。1985年には日本も「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別条約)」を批准。同年、「男女雇用機会均等法」も制定されました。
 
さらに、2010年にはイギリスが「コーポレートガバナンス・コード(上場会社向けの行動原則)」、および、「スチュワードシップ・コード(金融機関を中心とした機関投資家のあるべき姿を規定したガイダンス)」を制定。2014年には、日本も「スチュワードシップ・コード」を制定しました。
 
残念ながら、コロナ禍で日本のジェンダーギャップは拡大してしまいました。しかし、時代の流れとともに意識は確実に変わってきていますし、女性活躍の状況は投資判断でも重視されるようになってきています、と政井氏。
 
「1988年に社会人となった私は、こうした女性の活躍を推進する流れの中で、キャリアをスタートしました。現在は、次世代の活躍する女性のために自分なりに役割を果たしていきたい、とも考えています。」と政井氏は話してくれました。

SBI金融経済研究所株式会社
取締役代表理事 政井氏

You never know what you can do until you try. だからまずはトライしてみてほしい

政井氏が大切にしている言葉

大学卒業後、政井氏は外資系金融機関でそのキャリアをスタートさせ、約22年間、複数の外資系金融機関で金融市場関連の仕事をしてきました。その後、日本企業でも働いてみたいという希望もあって、2011年に新生銀行に転職。2013年には女性初の執行役員になり、2016年には日本銀行政策委員会審議委員に就任したそうです。
 
 金融市場での現場経験を積んでいくうち、いつの頃からか、メディアで経済金融情勢の解説をする機会を得たり、講演や講義を実務の専門家として依頼されることも多くなっていきました。と政井氏は言います。

 もっとも、就職時に金融市場関連の業務に就きたい、といった希望は特に持っていなかったそうです。「でも、どんなことでも続ける、ということには一定の意味があると感じています。」キャリアをスタートさせた外資系金融機関から20年以上一貫して金融市場の現場を担う仕事に従事していく中で、その経験を軸に知識を深めていくことになります。様々な機会に丁寧に向き合っていく中で、専門性も自ずと高まり、メディア出演など、更に新たな展開、機会を得ていきます。

 自身のこうした経験もあり、皆さんへのメッセージとして、どんなことでもまずやってみてほしい。と政井氏。「それに、何かをお願いされるのは、相手はあなたにはできる、ときっと思っているから。だから皆さんにも何であれ、まずはトライしてみてほしいと思っています。」

学生時代、実は英語は得意科目ではなかった

「実は私、英語は不得意だったんです。」という意外な言葉が政井氏の口から飛び出したのは、講演も終盤の質疑応答のときでした。学生たちの「英語がうまくなる方法を教えてください。」という質問に答えたときのことです。

「受験生の時、実は、英語がとても不得意でした。結局最終的には、英文学科を選択、大学でも英語を中心に勉強を続けたのです。そうしたこともあり、就職する頃には、英語を道具として使う必要のある仕事がしたい、と考えるようになっていたと記憶しています。」

英語力をつけ、維持することの秘訣として、「語学力というのは、筋力と同じで、常に動かしていること(使用すること)、つまり、英語を生活の中に取り入れていくことが大事だと感じています。今は、外資系企業に居た時ほど英語を使う機会はありません。ですから、例えば、iPhoneの表示を英語にしてみたりするなど、なるべく生活の中に英語を取り入れるように気を遣っています。」と、政井氏なりの英語力維持の秘訣を教えてくれました。

メモを取る学生

仕事も、プライベートも、さまざまなことに前向きに取り組むことで、彩り豊かな人生を過ごしてほしい

熱心に話を聞く学生

「仕事とは、人生を彩る重要なピースの一つ。私が皆さんの年頃だった頃、金融経済という現象が、私の人生をこんなにも彩るとは想像していませんでした。世の中の流れも女性の活躍を後押ししている中、皆さんにも仕事を通してご自身の人生を豊かにしていってほしいと願っています。もっとも、今日は、女性とキャリア形成という視点でしたので仕事のお話が中心になりましたが、もちろん人生は仕事だけではありません。」

 「人生を歩んでいく途中には、家族のことなど、いろいろな出来事、必ずしも楽しい嬉しいこととは限らない出来事にも遭遇します。私にとって、そうした出来事全てが結果的に自分の人生をより豊かにしてくれた、と感じています。」と政井氏。

 「人生にはいろいろなことが起こります。良いこともあれば、悪いこともあるでしょう。でも、それらを全てひっくるめて、前向きに取り組み、楽しみ、ご自身の人生をより彩り豊かなものにしていっていただきたいと思っています。」 

 同窓の先輩は、これから社会に羽ばたこうとしている後輩たちに、温かくも力強い励ましのメッセージを送ってくれました。

深澤晶久教授の話

本学卒業生お二人目としてご登壇いただいた政井貴子様は、外資系の金融機関をご経験の後、日本銀行の政策委員会審議委員を務められた方であり、お話しの随所にシャープな切り口が散りばめられた、日本の金融の中心でご活躍になられる政井様ならではの講演をいただきました。
 
マクロな厳しい視点からのアドバイスもいただけた一方、仕事だけが人生ではないというご自身の経験からのお言葉は学生の心に深く届いたことと思います。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2021年12月10日

アフラック生命保険株式会社 取締役 専務執行役員 木島葉子氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(10/28)

なにごとに対しても主体的に取り組むことで
楽しさや、やりがいが見えてくる

参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座です。2021年10月28日の第2回目の登壇者は、アフラック生命保険株式会社取締役 専務執行役員の木島葉子氏。家政学部食物学科卒業の先輩でもある同氏の登場に、学生たちも興味津々の様子でした。

自分のやりたいことに専念した大学4年間
就職は4年制大学の学生を採用してくれる会社を探した

学生時代の話をする木島氏

学生たちの大きな拍手で迎えられた木島葉子氏は、「大学の4年間は、自分のやりたいことをやる時間だと考えていました」と講演の口火を切り、学生時代の思い出へと話を続けました。卒業論文のテーマは「高血圧予防に関する主婦の意識及び健康管理状況の調査」だったそうですが、就職に関しては、業種にはこだわらなかったといいます。1986年4月にアフラック生命保険株式会社に入社。2001年に課長に昇進して以降、2012年に執行役員、2020年には取締役専務執行役員に就任するという道のりを歩んできました。

生命保険業界初の女性役員を輩出
アフラック生命保険は歴史的に女性活躍に積極的

「『アフラック生命保険』は日本で初めて『がん保険』を提供した会社です」と説明する木島氏は、同社が1997年に生命保険業界初の女性役員を輩出したことや、1998年には営業の現場に女性支社長が2人誕生したことなどを紹介。アフラック生命保険株式会社が創業当初から女性活用に意欲的であり、2014年に女性活躍推進プログラムを策定して女性活躍推進をさらに加速させるなど、ダイバーシティに積極的に取り組んでいる会社であることを話してくれました。

アフラック生命保険の説明

与えられた仕事を淡々とやっていく毎日に変化
ある上司のおかげで気づきが生まれ、挑戦する楽しさを覚えた

真剣に話を聞く学生

「入社当初の私は、与えられた仕事を淡々とやって帰宅するような社員でした」
 最初の転機は3年目に訪れました。
「10人ほどのチームのリーダーを任されるようになったのですが、このときも、目の前の仕事を淡々とやっているだけでした。そんな私を見て、上司の女性は『このままではこの社員はダメになる』と思ったのでしょうね。出張や代理店さん向けの研修会など、何かにつけて私を連れ出してくれたのです。そして、いろいろな仕事をさせていただくなかで、新たな気づきが生まれ、新しいことにチャレンジしていこうという気持ちになりました。この上司はとても厳しい方でしたけれど、この方がいなかったら今の私は絶対になかったと思います」と木島氏は当時を振り返ります。

新しい部署の立ち上げに参画
視野が広がり、仕事の楽しさを覚えた

次の転機は入社から13年目くらいに訪れたそうです。
「一般に言うコールセンターの立ち上げに参画しました。新設部署ですから、これまでの事務職としての経験はあまり活きません。とにかく他社を参考にするため、業界を問わず、さまざまな会社の担当者にお話を聞きました。いろんな意味で、視野が広がりましたね」と木島氏は話します。
 当時は、担当者なので判断する権限はありません。
「でも、自分なりに考えて課長に報告をすることに、仕事の楽しさを覚えました。今考えれば、管理職前の研修だったんだと思います」と木島氏。その約2年後、木島氏は課長に昇格しました。

仕事の楽しさについて話す木島氏

分からないことは素直に人に聞くが鵜呑みにはしない
自分でも必要な情報を集めて判断する

管理職として仕事をすることについての話

課長になった数年後、木島氏は実務経験がない分野に配属されました。しかし、部下たちは実務経験のない木島氏に、「これで進めていいですか?」など判断を仰いできます。
「でも、私は彼らの言っていることが分からない。解読したとしても、判断ができません。悩みに悩み、原因不明の高熱にも見舞われ、やっとのことで思い至ったのは『分からないことは人に聞く』というごく当たり前のことでした。部下にモノを聞いてはいけないという思い込みがあったんですね。でも、部下のほうがその領域については知識を持っているわけですから、その人に教えてもらって判断をすればいい。でも、それを鵜呑みにはせず、判断するために必要な他の情報を自分でも集めるという行動を意識的にやるようにしました。こうしてやっと、管理職っぽくなっていったように思います。自分自身もこうやっていけばいいんだと思えるようになりました」

東日本大震災での挫折と学びで
自分はまたひと回り大きくなれた

「私がキャリアを語る上で欠かせないのは、2011年3月の東日本大震災です」
 当時、木島さんは契約管理事務企画部長を務めていました。
「そういうなかで、私は120万人の契約者に向けたお見舞い文書の作成・発送と、津波などで深刻な被害を受けた地域の契約者20万人の安否確認を任されたのです」
 木島氏は、一刻も早くお見舞いの文書を契約者に送りたいと思い、必死に具体策を提案しました。しかし、社長ら経営陣は納得してくれません。何度も何度も突き返されました。理由は「同業他社の対応や金融庁の考え方も示さず、自分の思いだけを綴った文書を提出されても、こちらは判断ができない」ということでした。今考えれば当たり前です、と木島氏は苦笑します。
「そこで私が学んだのは、いかに準備をして、相手の目線で相手が納得するよう対応をすることでした」と木島氏は大きな挫折感とそこから学習した学びを話してくれました。
 やったことのない業務に挑戦するしかない状況に追い込まれることは多々あったけれど、結果的にそれがよかった、と木島氏は笑顔を見せます。
「仕事もキャリアも主体的に取り組み、決めたことは自信と責任をもってやり抜くこと。そして、一人でできる仕事はそれほど多くはないので、チームをつくり、仲間と一緒に協力しあって仕事をやり抜いていただきたいと思います」と木島氏は経験を語ってくれました。

困難な業務経験から得た学び

仕事仲間の存在が原動力
思い通りにいかなくても探求することで気づきがある

学生からの質問

約1時間の講演のあとは、質疑応答の時間です。いろいろな質問のなかで、あるチームの「上り詰められた原動力は何ですか。また、最初から保険会社を目指していたのですか」という問いに、木島氏は次のように答えてくれました。
「人と一緒に仕事をすることに楽しさを感じるタイプなので、チームの仲間と一緒に困難を乗り越えることにやりがいを感じますし、仲間の存在が原動力になっていますね。それから就職活動についてですけれど、私は4年制の女子大学生を採用してくれる企業、正社員として採用してくれる企業を目指しました。そして、入ったアフラック生命のなかで仕事の楽しさややりがいを見つけてきました。ですから、自分の希望とは異なる会社という理由だけで失望しないでください。入ってみれば、いろいろな仲間がいて、会社の良さも分かってきます。思い通りにいかなくても、そこがどんなところか探求してみることが大切。そこから気づきややりがいが見つかることもあります」
木島氏は後輩たちにエールを送りました。

深澤晶久教授の話

ご講演の最後に、当日、同行されていた木島専務の部下のお二人にご発言をいただきました。その時に発言されたのが、「私たちは“木島組”の一員です」。厳しい経営環境において成長を続ける会社の秘訣を垣間見る瞬間でした。木島専務が、人を大切にし、とりわけ部下たちに心を配るチームワークの良さを感じさせていただきました。 
心から感謝申し上げます。