タグ: 特別講演

2025年6月6日

自身のキャリア志向を知ろう!「女性とキャリア形成」の授業で、日本マナー・プロトコール協会理事長による講演が行われました。

5月8日に行われた共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、日本マナー・プロトコール協会の明石伸子理事長をお迎えしての特別講演が行われました。明石氏は、積極的になることで人生が変わったと話し、ご自身のエピソードを交えて学生に前向きにキャリアを考える大切さを語りました。

チャレンジ精神を持ってキャリアを切り拓く

司会進行は「キューブ」と呼ばれる班ごとに学生が行います。
学生から紹介され明石氏が登壇されました。明石氏がこの授業で講演されるのは今年で3回目。
「毎年とても楽しみにしています。学生が主体的に運営していて質問も活発にあり、私自身モチベーションが上がります」と笑顔で仰いました。

「ただ、皆さん真面目で優秀なのに、チャレンジ精神がちょっと足りないなと思うことがある」といいます。質問に対して、分かっているのに手を上げないなど積極性に欠けると感じる場面があると話しました。
「キャリアを振り返ってみると、勇気を出したことで今の自分につながってきたなと思うことがたくさんあるんです」と話し、「キャリアも人生も自ら切り拓く」と題し、講演を始められました。

最初の就職先はよく検討して選択しよう

明石氏は大学卒業後、日本航空株式会社(JAL)に新卒のCA(客室乗務員)として入社。今では憧れの職業と言われるCAですが「なりたくて入ったわけではない」と言います。
明石氏が就活をしたのは、第2次オイルショックで4年制大学卒の女性は就職が難しかった頃。
大量採用していたJALになんとか入った、と話されました。

「現在は人手不足で売り手市場と言われている。ある意味、皆さんが企業選択の決定権をもっています」と明石氏。
転職も当たり前になっている現代ですが、「それでも最初の就職先はこれからの人生に大きく関わってくる」と話します。
「たくさん内定をもらっても、最初に入れる会社は1社しかない。だからこそ、入ったらしっかり頑張れるところを選んでほしいと思います」と、よく検討して選択するよう勧めました。

自分のキャリア志向とは?

就職活動をするにあたり、自分自身がどういうキャリア志向なのかを確認することが大事だと明石氏は話します。
例えば自分でやってみたい自立志向型や、人を動かすほうが向いているプロデュース型、まずは何かをやってみたいチャレンジ志向型など。「自分を知ることで、より迷わず、流されず、後悔しないキャリアにつながります」と伝えました。
また、「人生はキャリアだけではない」との言葉も。
「専業主婦だって素敵なことですし、地域活動に力を入れるのも素晴らしい。自分はどういう人生を歩みたいのか考えることが、有意義な企業選択に繋がる」と強調されました。

自分のやりたいことが分からない人には、『置かれた場所で咲きなさい』という元ノートルダム清心学園理事長の故・渡辺和子先生の言葉を紹介。
与えられた仕事を真摯に頑張ることの大切さを伝えました。「人生も仕事も必ず起伏がある。そのときにどうするかで、その人の真価が問われると思います」と話し、逃げずに継続する勇気を持つことが大事だと話します。
ご自身も離婚を経験されたとき、初めて劣等感や将来の不安を感じたと告白されました。
しかし子どものためにも自分が頑張らなくてはと一念発起し、当時まだベンチャー企業だったパソナに秘書として入社。
そこで経営を間近に見る機会を得、その後のコンサル業へとつながっていきます。
「大変なときこそ成長するチャンス。うまくいかなくてもチャレンジ精神をもって乗り越えてほしいと思います」と語りました。

人とのつながりを大事に

最後に強調されたのは、人とのつながりを大切にすること。
「チャンスをくれるのも評価をするのも、相手や周囲の人たちです」と明石氏。
日本マナー・プロトコール協会の立ち上げに加わったのも、会社を立ち上げてから人脈が広がったためだと話しました。
「それまでは一人で仕事をしていましたが、あまり社会貢献をしている気がしていなかった。マナーやプロトコール(国際儀礼)を普及させていくことは社会的に意義があることと思い、協会を立ち上げました」と言います。

そして、主体的な思考をすることを勧めました。
「誰かと同じほうが安心、と思う人もいるかも知れません。しかし正解はひとつではありません。自分で調べいろんな人の意見を聞き、自分なりの判断の基準を持つことが大事」と話し、「本質を見る目を、ぜひ若い時からはぐくんでほしいと思います」と伝えました。

チャンスで力を発揮するためには

講演後は質疑応答の時間が設けられ、たくさんの学生が手を挙げました。

「自分のキャリア志向が合っているか確認する方法は?」という質問には、「やってみないと分からない。ライフステージが変わったら志向も変わることがあります。自分にはこういう面があるなと気付いたらキャリアチェンジも考えていきましょう」と回答。

「いろんなキャリアを歩まれたと思いますが自分の軸はいつ見つけましたか」という質問も。
明石氏は「私自身若い頃はやりたいことが漠然としていたタイプでした。だからこそ『置かれた場所で咲きなさい』を実践し、そのときそのときで自分の力が発揮できるかやってみることを重視しました」と話し、「チャンスはいつ巡ってくるか分からない。いろんな出会いを大切にしてください」と伝えました。

担当教員からのメッセージ

今年も、日本マナー・プロトコル協会理事長の明石伸子様にお越しいただきました。
大変素晴らしいキャリアをお持ちの方ですが、一方、ご苦労の多かった経験もお話しいただきました。
いつも笑顔を絶やさないそのお姿が印象的であり、語りかけるようなお話しに、自然と学生が
引き込まれていく様子を強く感じました。

コロナ禍以降、人と人との触れ合いが減少したと言われています。
しかし、これからどんな時代が来ようとも、人と人とが出会い、直接語り合うことの大切さは
変わらないと思います。そのような大切なことを教えて下さいました。

この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2025年6月5日

スペインと日本のつながりの歴史とは?「国際理解とキャリア形成」の授業でスペインを知る特別講義が行われました。 

共通科目「国際理解とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、5月13日にスペイン人留学生であるセルヒオ・マテオ・アランダ氏による特別講演が行われました。日本で長年住むなかで体験した、文化の違いで驚いたことや新しい発見などを楽しく語って下さいました。学生たちにとっても、国際的な目線から日本を客観的に知ることができる機会でした。

子どもの頃から親しんだ日本文化

セルヒオ氏は現在、埼玉大学の大学院の博士課程に在籍中で、日本語がとても流暢です。「スペイン人は明るいので冗談好き。面白かったら笑ってね」と、なごやかな雰囲気で講演が始まりました。彼はスペインのアンダルシア地方マラガ市の出身です。スペイン南部、地中海沿岸の温暖な地方に住んでいました。子どもの頃から両親の影響で、アジア文化に興味を持つようになりました。最初は三国志、そこから日本のアニメーションなどに触れるようになったと話してくれました。

小学生の時から授業を、スペイン語と英語で受けており「言語を学ぶことは楽しかった」と話してくれました。 マラガ大学在学中に、埼玉大学に一回目の留学を果たし、日本の観光についての論文を書きました。卒業当初は、エンジニアを目指していましたが、「言語を勉強することへの情熱が芽生え、まだ見ぬ自分を発見した」と語ってくれました。
そして一念発起し、アジアと日本の文化交流を調査するために、2023年から二回目の留学で、埼玉大学の大学院に在籍しています。

スペインと日本、文化の違い

次にセルヒオ氏はさまざまなスペインの写真を見せながら、学生たちにスペインのイメージについて話しました。 スペインは明るく晴れた日が多いので、レストランにはテラス席が多くあるけど、「日本では外のテーブルが少ないですね」 と話してくれました。この違いは、スペインの乾燥した気候と、日本の温暖湿潤の違いによるものです。
また、パエリアやトルティージャ、アヒージョなどスペイン名物の料理を紹介し、日本で同じ名前で食べられているものと、本場のものは少し違うと形状を比較し、その面白さについて語ってくれました。

「スペインはパン派でしょうか、米派でしょうか」という質問がありました。当然パンが多いのですが、パエリアをはじめお米の料理も多数あり、お米もよく食べる国民だと話してくれました。

また、スペインでは大晦日にマスカットを12粒食べると話してくれました。それは、翌年の12か月間が幸せに過ごせるようにとの願いが込められているそうです。「日本では年越し蕎麦を食べるが、スペインでも同じような伝統がある」と話しました。

セルヒオ氏が、最初に日本に来たのは2016年で、さまざまなカルチャーショックがあったと言います。些細なことで言えば、自転車通勤のサラリーマンのこと。スペインでは通勤と言えば自動車なので、自転車通勤の人が多いことにびっくりしたとか。また、困ったのはやはり漢字でした。「言葉はわかるけれど限界がある」と言い、市役所の手続きなどが大変だったと話してくれました。

古くからつながりのあった両国

セルヒオ氏は、フラメンコのダンサーが扇子を持った写真を見せてくれました。「日本でも扇子がありますね。遠い遠い国なのに、なぜ同じものがあるのでしょう」とセルヒオ氏が話しました。「不思議に思って調べてみると、私たちの国のつながりの歴史が分かりました」と語りました。

それは17世紀に、伊達政宗の臣下だった支倉常長が、バチカンに手紙を運ぶ使節団を結成し、その途中、地中海を通った彼らのうちの数十人がスペインに移住。その地で、日本の文化が定着したと話されました。

「南スペイン出身のスペイン人のなかには、苗字にJAPON (ハポン)と名乗っている人たちがいまも住んでいます。彼らの子孫ですね」と長い歴史のなかで、いまも繋がりがあることを話してくれました。

もうひとつ、スペインと日本で似ているものが「巡礼路」。スペインのサンティアゴ巡礼と日本の熊野古道の巡礼路は、どちらも世界遺産に認定されています。 どちらも長い歴史があり、巡礼路としての発祥時期が9世紀頃であったこと、また、殊に女性にとっての巡礼は子宝や安産祈願などが関わっていたことなどの共通点も。加えて、熊野古道の温泉郷(湯の峰温泉)やサンティアゴ近郊のオウレンセ市の露天温泉などの共通点もあり、「双方が温泉や観光にもいい場所ですよ」と紹介されました。

海外で生活するためには運も必要

講演の最後には、質疑応答の時間が設けられました。
「日本にきて驚いたことはなんですか」という質問には、セルヒオ氏は「自分より高齢者が元気なこと」と、笑いを交えながら回答されました。「異文化として、温泉にみんなが裸で入ること。ヨーロッパでは水着を着て入るので、 裸は恥ずかしかった」と話されました。

「話を聞いていて、日本でとても楽しそうに過ごしているなと感じました。モチベーションはなんですか」という質問もありました。セルヒオ氏は頷いて「確かに、日本の生活は楽しいです」と答えてくれました。

「ただ、海外で生活するには運もある。大変なこともありますが七転び八起きです。今は、日本で住み続けられるよう、翻訳家を目指して頑張っています」と目標を話されました。

日本に住む外国籍の方のお話を直接聞く機会はなかなかありません。学生たちにとって国際的な目線を得られる貴重な機会となりました。

担当教員からのメッセージ

元資生堂の片山様にお越しいただいて3年目を迎えます。片山さんに加え、杉山さんにも加わっていただき、今年は、スペイン人留学生のセルヒオさんも駆けつけて下さいました。日本に関心を持ち、現在も、日本の大学で留学生として学ぶセルヒオさんのお話しは、スペインから見た日本、スペイン人から見た日本人について、とても興味深いお話しをいだたきました。日本語も流暢で、かつ、とてもユーモアのある内容に、思わず聞き入ってしまう、大変興味深いご講演でした。次週は、片山さんと杉山さんからスペイン巡礼の道についてお話しいただきます。今年は2週にわたるスペインの旅です。セルヒオさんに心から感謝申し上げます。