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2023年5月22日

「国際理解とキャリア形成」の授業で「未来のオリンピックの姿を考える」講義が行われました。プレゼンはスポニチに掲載!

共通科目「国際理解とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、4月18日にスポーツニッポン新聞社の皆さまをお迎えし「未来のオリンピックの姿を考える」講義が行われました。この日はオリエンテーションとして藤山健二編集委員から現在のオリンピックの形や問題点が提示されました。後日学生たちはプレゼンテーションに臨み、その様子はスポニチに掲載される予定です。

スポニチってどんな新聞?

最初にスポーツニッポン新聞社の池田氏からスポニチに関して説明がありました。
スポニチは来年75周年を迎える老舗のスポーツ新聞社です。新聞発行だけでなく、マラソン大会や将棋の王将戦、映画コンクールなど年間250件以上のイベントの主催や後援も行っています。

「スポニチを読んだことはありますか?」と池田氏が学生たちに問いかけると3,4人が手を挙げました。女子大生にはあまり身近ではない新聞です。
スポーツ新聞とは、野球やサッカー、オリンピックなどのスポーツを中心に、芸能やレジャーなどのニュースを伝える大衆紙です。駅やコンビニで売っているイメージが強いですが、定期購読者の割合は65%と多く、女性読者も約1/4いると言います。

「皆さんWBCは観ましたか?」と聞かれるとほとんどの学生が手を挙げました。スポニチが配った優勝記事の号外も、ものの数分で1万部がなくなったと言います。大きな盛り上がりに、池田氏も「やっぱりスポーツには国をひとつにする力があると感じたイベントでした」と語りました。
webニュースは自分から興味があることを拾いに行きますが、新聞は記事が目に入ってくるためさまざまな情報を知れるのがメリットだと言い、
「幅広い情報を知っていると、いろんな人と話もはずみ信頼も得やすいです。皆さんも新聞を読んでもらえればと思います」と話しました。

オリンピックの理念とは

続いて藤山氏からオリンピックに関する話が始まりました。
藤山氏はスポーツ記者歴40年。
世界陸上やゴルフのマスターズ、サッカーW杯などさまざまな大会を取材するなか、オリンピックは夏冬合わせ7度担当されています。

2021年に行われた東京大会では、日本は58個のメダルを獲得、そのうち金メダルは27個と史上最多でした。多くの選手の活躍があった反面、オリンピック終了後に汚職が明らかになり、元理事が逮捕されるなど問題も残りました。
「残念ながら毎回多くのどの大会でも出てくる話です」と藤山氏。このイメージからも若者のオリンピック離れが進んでいると言われています。

また、2022年の冬の北京大会中には、ロシアがウクライナに侵攻。オリンピックが「平和の祭典」と呼ばれるのは理由があります。オリンピックは「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことを目的にしており、オリンピック開幕7日前からパラリンピック閉幕7日後までは休戦とすると国連に定められています。IOCはロシアの五輪休戦決議違反を強く非難し、現在ロシアとベラルーシの選手は大会に出場できないという処分もされています。ただ、政治とスポーツは別ではないかという議論も。オリンピック憲章にも「個人の競技者間の競争である」と明記されており、国家間の競争ではないということが、オリンピックの理念でもあります。

これからのオリンピックの女性参加とは

「皆さんは女子大生ということで、オリンピックと女性について考えていきたいと思います」と藤山氏。

オリンピック第一回大会の女性参加は0人。スポーツは男性が行うものでした。しかし反対の声が広がり第2回から22名が参加。東京大会の男女比は男性51.2%、女性は48.8%になり、次のパリ大会では男女50%ずつになる予定です。ただ、数を一緒にすれば平等なのか、という議論もあります。女子選手として出場できる国は先進国ばかりで、女性にスポーツが解放されていない国もまだ多くあります。また、トランスジェンダーを公表している選手がどちらの性で出場するのか、に関しては体格差やホルモンバランスなどの問題も残っています。
「スポーツで大切なことは公平性」と藤山氏は話します。年齢や体重などで階級を分けるのもその一つ。「トランスジェンダーの選手を拒否するのではなく、これから検討必要な問題です」と話しました。

さらにメタバースはオリンピックにどのように活用されるかも、これからの姿を考えるのに大切です。これからはバーチャル空間でオリンピックが行われる可能性も出てくるかもしれません。
「ぜひそういったテクノロジーの面からもオリンピックについて考えてもらえたらいいと思います」と藤山氏は語りました。

プレゼンは記事に!

最後に学生から
「一流の選手に共通する姿勢や言動はありますか」と質問があり、
藤山氏は
「思考がポジティブ。怪我など落ち込むことがあっても前向きにとらえることができる人たち」と回答され、講演を終えました。

今年のお題は
「実践女子大生が考える、新しい五輪の姿」です。

次回は元女子マラソン選手である有森裕子氏もお迎えし、オリンピックについての理解をさらに深めます。その後グループで検討し、プレゼンテーションに臨みます。
プレゼンテーションの様子は、なんと記事になりスポニチに掲載予定。よりよい発表にするため学生たちはグループで早速話しあっていました。

担当教員からのメッセージ

2014年からスタートした本授業では、一貫してオリンピックパラリンピックを学生とともに考えてきました。延期された「東京2020」の1周年イベントが開催されたのが昨年、そして来年は、もうパリ五輪が開催されます。
東京2020のレガシー講座の位置付けで行われているスポーツニッポン新聞社様とのコラボ授業、今年も、どんなアイデアが提案されるのか、とても楽しみです。

2022年9月28日

スポーツニッポン新聞社との社会連携でこれからのオリンピック・パラリンピックの在り方を学生たちがプレゼンする授業が行われました。

2021年に行われた東京オリンピック・パラリンピック2020大会から一年。これからのオリンピックはどうなるかを考える授業が7月19日(火)に渋谷キャンパスにて行われました。ひと月前には有森裕子氏の講演を聞き、改めてオリンピックのレガシーについて考えました。この日は全6班が「オリンピックの明日」についてプレゼンします。開催規模や時期、参加国やジェンダー問題など、これからのオリンピックはどうあるべきかを発表しました。こちらは共通科目「国際理解とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の、スポーツニッポン新聞社との社会連携授業です。この授業の様子は7月27日付のスポーツニッポン本紙にも掲載されました。

ジェンダー平等を実現するには?

1班目のテーマは「スポーツにおける男女平等」です。現在のオリンピックは男女にこだわりすぎているのではないかと指摘。東京大会では競泳や卓球など男女混合種目が増えました。ただ、サッカーなど混合が難しい競技もあることを問題点として挙げました。また女性のスポーツは先進国しか進んでいないことも懸念点として着目。宗教や国の経済事情など女性選手がうまれにくい環境も多くあります。そこで、 IOCが各国を指導することを提案。政治的な思惑とは外れたIOCであれば、男女平等の理念を広められるのではと期待をかけました。

発表の終わりにはスポーツニッポン新聞社の藤山健二編集委員からの講評がありました。藤山氏は、東京大会で混合種目が増えた点に着目したことに感心されていました。唯一男女の区別がない競技として馬術を紹介し、「これから混合種目はさらに増えるだろう」と述べました。IOCが今後様々な種目にプッシュしていくべきだという考えにも賛成していました。

開催時期はスポーツの秋に!

次の班は開催時期や規模、開催地の決定の仕方について提案。時期は気候が良くスポーツがしやすい秋に据えます。開催地は、一般投票をするシステムをプラスすることを提案しました。各国のプレゼンのあとに、全世界の人がネット投票できる仕組みです。決定から参加することでさらに興味を持ってもらえる効果を狙います。参加国は、貧困地域も含めすべての国から参加できるように働きかけます。2016年から導入された難民選手団の人数や出場種目を拡大するなどを提案しました。

藤山氏は「具体的な例が出てきて面白かった」と感想を伝えました。その上で、秋開催の難しさには現在のオリンピックの問題があることを教えてくれました。現在のオリンピックの最大のスポンサーはアメリカのメディアです。視聴率を取るために、他にスポーツの大会のない夏に行うことが、オリンピック憲章にも記載されているのです。スポーツそのものより利権が重視されている大きな問題です。ただ、全世界的に気温が高くなっている昨今「改善していかなくてはいけない」と藤山氏は語りました。

国対抗の意識を減らしてより自由なオリンピックに

3班目は、有森裕子氏の講演を聞き学んだ「オリンピックは国対抗ではなく個人戦である」という点にフォーカスしました。入場を国ごとではなく競技ごとにしたり、国旗や国歌の使い方を改めたりするなどの案が出ました。また、現在の報道は自国選手のメダルの数や国旗を背負った写真など、観客が国対抗だと思ってしまう在り方であるという点を指摘。「ガンバレニッポン」など国を背負わせるメディアの伝え方を改め、選手個人の戦いにフォーカスしたものにすることを提案しました。そうすることで選手のプレッシャーを減らし、LGBTQなども公表しやすくなる効果があると繋げました。

藤山氏も「おっしゃる通り変えていかないといけない」と大きく頷きました。IOCはむしろ国ごとで競わせようとする風潮があるため、それに流されないよう「メディアに携わるものとして、叱られた気分です」と笑いを交えながら述べました。

SNSで選手もみんなも発信しよう!

4班目は、大会が終わった後の振り返りが少ないのではないかという問題点に着目。解決方法として、大会後もSNSを利用し選手や著名人などに積極的に投稿してもらうことを提案しました。2つ目の問題として、特に日本人選手の自己肯定感が低いことを挙げました。選手に国を背負わせるような報道を改め、選手自身も楽しみ良心を感じてもらえる発信をすることが大事だと述べました。さらに、オリンピックの初心である「五輪休戦決議」を思い出し、競技以外のところでも国や選手同士が交流を深めることを提案。争いの多い現代だからこそ、異文化理解やジェンダーなど多様性を受け入れるきっかけになる大会にすることを目指すことを提案しました。

藤山氏からは「SNSでの発信は今後盛り上がっていくと思います」との同意の意見が。これまで選手個人の発信はあまり望ましく思われていませんでしたが、これからはどんどん選手も発信していくべきだと語りました。「そのためには、選手の意識を変えなくてはいけない、オリンピックは個人の戦いなのだということを選手にも共有していく必要がある」と述べました。

もっと多くの人が参加できるオリンピックへ

5班は、オリンピックのモットーに注目。「より速く、より高く、より強く」は男性寄りの考えではないか?と問題提起しました。現代に合わせて「より美しく、共に感動を」と加えることで、女性や後進国も参加することの意味を与えると提案。一人ひとりが目に見えない壁をなくす意識付けが大事であると述べました。性別で試技の場を分けることを廃止し、ホルモン測定値で出場可能とすることで、トランスジェンダーの選手も葛藤なく参加できるようにします。また、オリンピックとパラリンピックは同時開催を提案。別々だとパラリンピックの時期に薄れてしまう関心を集めたままにします。さらに開催地の負担を減らすため、複数国で同時開催という案も出しました。競技ごとに適した場所で行えるため、選手の負担も減るとプレゼンしました。

藤山氏も「男性中心の時代のモットーだったので、変更は良い案ですね」と感想を述べました。オリパラの同時開催や、開催国を分けることもとても具体的で面白かったと語りました。また、経済的にも環境的にも、近い将来複数国での開催は実現するのではないかとも述べました。

一点集中をやめて地方も活性化

6班目は開催地の問題に注目し、一都市で開催することの問題点を取り上げました。全世界から人が集まることで街は混雑し交通は混乱します。そこで開催を国全体で行うことを提案。競技ごとに分散することで、人の集中を防ぎ混乱を防ぎます。また、地方でも競技を行うことで、地方住民も親近感を持って楽しむことができ、観光客も増えるため地域活性化につなげることができます。会場は新設せず、すでにある施設をオリンピック用に改修し利用。費用を抑えられるだけでなく、地方の会場のバリアフリー化を進め、老朽化の防止にもなると提案しました。

藤山氏からは「中身があってとても良い案」と感心の言葉が。東京大会で利用された国立競技場は、1600億円かけ新設され、維持費に年間24億円かかると言われています。現状は大きな赤字であるためどう運営していくかが注目されています。このような事態を避けるため、2030年に誘致中の冬季オリンピック札幌大会は、札幌だけでなく北海道全域で行われる予定であることを教えてくれました。

今回をきっかけにもっとオリンピックについて知ってほしい

6組の班のプレゼンを終えて、藤山氏からの総評をいただきました。「すべての班を聞いて、皆さんの関心はジェンダーの公平性のことなのだなと感じました」と感想を述べました。そして、オリンピック憲章に個人の戦いであると記載されていることが学生たちにとって衝撃であったように、この事実をもっと広めるべきだと語りました。「そのためには、まず選手の意識改革も大事。選手がまだオリンピックを国対抗と思っている」と問題点も述べました。こういった考えを広めるためにも「みなさんがSNSで発信してもらえればいいと思います」と伝えました。そして「せっかくオリンピックについてここまで考えたのだから、より深く知るきっかけにしてください」と語りました。

また、プレゼンの様子を撮影してくれていた亀山氏にもコメントをいただきました。亀山氏はスポーツが大好きで、スポーツニッポン新聞社へ入社。しかし大学卒業からコロナ禍が始まり、コロナ禍ではスポーツは不要不急と言われ苦しい思いをしたと言います。「皆が好きな娯楽についても、今後どういった付き合い方をしていくかという観点を持つのも面白いと思います」とメッセージを伝えました。また、就活にあたり自分の意見を持ち、周りの人たちの意見を取り入れる柔軟性を持つようエールを送りました。

東京大会の残した<レガシー>とは

最後に深澤教授の総括がありました。深澤教授は東京大会の準備・運営を行う組織委員会の「文化・教育委員」の一員でした。前回の東京大会は、戦後の復興の象徴として、建物などハード面を強化した大会でした。今回の東京2020大会は、未来を担う若者たちの心に残るソフト面を重視した大会を目指していました。そのため全国810の大学・短大と連携協定を締結し、オリンピック・パラリンピック教育の推進や醸成に取り組みました。しかし、大会後に組織委員会に報告書を提出したのは実践女子大学を入れてわずか数校。「開催の延期や無観客開催など、各大学で盛り上げることが難しかったことが窺われます。」と深澤教授は語ります。東京2020大会が終わってから1年。新型コロナウイルスという思いもよらない感染症の影響を受けた異例の大会でしたが、次の世代に何をつなぐか、何が残ったのか考えることが大事だと述べました。なぜなら、「きっとまた東京でオリンピックは行われます」。今回の大会について授業を行ったことや、大学で取り組んだことをレガシーとして受け継ぎ、その時に改めて考えるきっかけにしてほしいと語り授業は終了しました。

2022年7月28日

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を総括!五輪メダリストの有森さんが本学で特別講義を行いました。

 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会からもうすぐ1年となる7月5日(火)、五輪女子マラソンメダリストの有森裕子さんが本学渋谷キャンパスを訪れ、特別講義を行いました。有森さんは、新型コロナウイルス感染症拡大により原則無観客で行われた前例のない大会を振り返り、「五輪は選手だけでなく見る人、支える人、すべての人々が主役の祭典。国と国の対抗戦でもない」と、五輪憲章に立ち返りその意義を見直す必要があると語り、「未来の五輪を変えていけるのは、大会運営当事者ではなく皆さんの声だけ。人ごとと考えずに自分の声で五輪を変えていく楽しみを見いだしてほしい」と呼び掛けました。

「自分で自分をほめたい」、あの名言から26年。東京五輪のレガシーとは

2、3年生が対象のキャリア教育科目「国際理解とキャリア形成」の一環として行われたこの特別講義。2020年、2021年に続き、五輪女子マラソンメダリストの有森裕子さんとスポーツニッポン新聞社の藤山健二編集委員との対談が実現しました。指導教授は文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育)です。

冒頭は、1996年のアトランタ五輪の女子マラソンに出場した有森さんが、見事銅メダルを獲得した直後のインタビュー映像を視聴するところからスタートしました。1996年の新語・流行語大賞にも選ばれた「自分で自分をほめたい」というあの名言が生まれたのは、まさにこの時です。あれから26年――、コロナ禍で1年延期、原則無観客という異例の状況下で開催された東京五輪から間もなく1年がたとうとしています。有森さんは大会開催当時を振り返り、「本来、東京五輪が開催されるはずだった2020年からすでに2年以上たっているが、なんともスッキリしない」と話します。「東京五輪の余韻はあっさりしていて、どこか冷めた感がある。オリンピアンの一人として五輪の基本に立ち返らなければいけないと思うようになった」。

一方で、東京五輪での日本人選手の活躍には目覚ましいものがありました。有森さんが2度目のメダルを手にしたアトランタ五輪での日本人のメダル獲得数は、金3個、銀6個、銅5個の計14個。それに対し昨年の東京五輪では、金27個、銀14個、銅17個の計58個と、日本人選手の競技力は確実に向上しています。それでも有森さんは「東京五輪には振り返る内容が乏しい」といいます。「コロナ禍での異例の開催となったことで、大会開催前に想定していたレガシー創出は実現できなかった。これは仕方のない結果だが、今もなお東京五輪のレガシーは何だったのか問い続けている状況にある」。

とはいえ、ソーシャルインクルージョンの実現には東京五輪の開催がプラスに働いたと続けます。「選手だけでなく、観客や運営サイド、さまざまな人たちのことをあらゆる角度から考える機会となったことには意義があった。大会後はパラリンピアンからの発信が増え、彼らを支えるスポンサーも当然のように増えた。障害は決して特別なものではなく、自分たちもいつでも障害者になり得る。すべての人たちが社会に参画する機会を持ち、共に生きていくことについて考える頻度が高まったことは喜ばしい」。

今こそ五輪憲章の基本に立ち返るとき

「五輪の主役は選手だけではない。観客も、運営スタッフも、ボランティアも、すべての人が主役」と話す有森さん。だからこそ、原則無観客での東京五輪は異様な大会だったと指摘します。「選手は参加したという満足度を得られたかもしれないが、観客という大きな主役を欠いての開催は異常だったと言わざるを得ない」。その言葉を受けて「選手の声だけが響く会場の様子を記事にするのには苦労した」と回顧した藤山氏は、ロシアの軍事侵攻が五輪休戦決議違反だと非難されている点に話を移しました。「五輪開幕の7日前からパラリンピック閉幕の7日後までを休戦とする」という五輪休戦決議は193のすべての国連加盟国によって採択されましたが、ロシアは北京五輪閉幕後間もなくウクライナへの侵攻を開始。ロシアおよび同盟国であるベラルーシの選手たちは、北京パラリンピックの出場を禁止され、その後も国際大会から締め出されています。この現状に対し有森さんは、「そもそもオリンピックは選手個人、もしくは団体による競技大会であり、国と国との対抗戦ではない」と述べた上で「国として選手をひとくくりにして排除しても平和的解決にはつながらない。五輪憲章を掲げているのだから、もう少し丁寧に判断してほしかった。このままでは排除された選手たちが国際大会の場に復帰する道のりは険しい」と、ロシアやベラルーシの選手の立場に寄り添いました。

そこで藤山氏は、「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない」という五輪憲章の一文をあらためて掲示。有森さんは、「選手の中には国旗を掲げてメダルを取ることを目標に戦っている人もいる。それでも五輪憲章の根本原則を軸にしないと、本来の五輪のあるべき姿が崩れていく恐れがある」と警鐘を鳴らします。「五輪は国と国との対抗戦ではないし、世界選手権のようなチャンピオンシップでもない。標準記録はあるものの、それに満たなくても各国から1人は参加していいというルールがある。あくまでも『平和の祭典』であり、メダルの数を数えたり、国別の順位を決めたりすることには矛盾があることに疑問を持ってほしい」と学生たちに投げ掛けました。

さらに有森さんは、「メダルを逃して謝罪する日本人選手の姿をよく見るが、メダルが取れなかったことで自分を卑下する必要はない。自分をたたえることが支えてくれた人たちへの感謝になるはず」と続け、五輪は個人もしくは団体が競い合う中で、自身を高め、互いを認めることこそ重要だと強調。「競技前の記者会見で『本調子ではないけれど頑張ります』とコメントする選手がいるが、これは応援している人に対しても、一緒に戦う選手たちに対しても失礼」とスポーツマンシップの在り方についても疑問を呈しました。

そんな有森さんにとって、東京五輪からの新種目、スケードボードの選手たちの姿は印象深いものだったといいます。「スケードボードの選手たちは、互いの健闘をたたえ合っていた。メダルが取れた、取れなかったに関わらず、仲間の勇気を称賛し合うその姿は、順位や国を過剰に意識し競い合うほかの競技の選手たちの異様さを浮き彫りにした」。

男女平等な五輪とは

藤山氏は、2024年に開催されるパリ五輪では、長い歴史で初めて男子と女子の参加選手数が同じになる点を取り上げ、何を持って男女平等の五輪とするのか、その問題の複雑さについても有森さんに見解を求めました。「女子マラソンは1984年のロサンゼルス五輪で初めて採用された種目。当時は女性の体力的な問題が懸念されていたが、昨今では女子マラソンへの見方は変わってきた」と有森さん。陸上競技においては男女平等を声高にうたう場面に遭遇しなかったものの、「男性、女性という性別だけではくくれない世の中になってきていると感じる」と話します。「たとえば、生まれながらにして男性ホルモン値の高い女子選手の女子種目への出場を制限するような規定もある。ホルモン値をコントロールし、本来の自分の体を変えないと出場できないというのは、その人の基本的な人権を脅かすことにもなりかねない」とし、「一般社会のジェンダー問題がスポーツ界の問題にもなってきている。これを契機に、皆さんも男女平等について考えてみてほしい」と呼び掛けました。

順風満帆ではなかった有森さんの競技人生

対談の終盤は、有森さんの競技人生について話が及びました。中学、高校と、大きな大会で成績を残したことがなく、大学4年生の時は体育の教員になるつもりだったという有森さん。教育実習先の学校で「体育の先生って頭良くないんでしょ?」と生徒から思いも寄らぬ言葉を投げられ、スポーツ選手としてこのイメージを覆すことに興味を持ち、競技生活を続けることにしたといいます。「大学4年生の夏に、実業団に挑戦したいと両親を説得。予備知識を持たないまま、リクルート陸上部の門を叩いた。そこで初めてマラソンの名指導者、小出義雄監督にお会いし、1時間かけて陸上に懸ける思いを熱弁。『君の根拠のないやる気に興味がある』と監督に言わしめるに至り、入社させてもらえることになった」とのこと。当時は練習メニューをこなすだけで精いっぱいだった有森さんに対し、小出監督は決して「早く走れ」とは言わず、「何時間かかってもいいから、メニューはこなそう」と説いていたそうです。その言葉に従いながら、1日に30~40km、月に1,000kmと走り続けているうちに、有森さんはめきめきと実力をつけていくことになります。

そして、そんな血のにじむような努力の結果、ようやく手に入れたバルセロナ五輪の切符。しかし、有森さんは手放しで喜べなかったといいます。「女子マラソンの代表枠は3人。すでに2人は内定していて、残る1枠を松野明美選手と争うかたちに。当時は明確なオリンピックの代表選考基準がなかったこともあり、最終的に代表に決まった私を批判する人も少なくなかった」。そんなプレッシャーの中、有森さんはバルセロナ五輪で見事銀メダルを獲得して凱旋帰国します。「飛行機を降りて通路に出て無数のカメラのフラッシュを浴びた瞬間、メダルが取れて本当に良かったと思った。この時、メダルがまるで防弾チョッキのように感じられた」。

その後のアトランタ五輪までの4年の間も大変な道のりだったという有森さん。足底筋膜炎の手術を乗り越え、再びオリンピックの舞台に立ちます。「よくぞここに戻ってこられたと思った。そして、続く自分の人生の武器として、どうしてもメダルが欲しかった。誰かに自分の言葉を聞いてもらうためにはメダルが必要だった」。そして、見事銅メダル獲得を果たした有森さんは、目標にたどり着くまでの過程で悔いなくやり切った自分をたたえ「自分で自分をほめたい」、そう口にしたのでした。

未来のオリンピックは皆さんの手で

2つ目のメダルを手にした有森さんは、その後自らプロを宣言。今では当たり前となった選手の肖像権の自己管理やCM出演など、後進に新たな道を開きました。そんな有森さんは、五輪の未来について「スポーツを通した平和の祭典という基本を崩してほしくない。世界にまたがる祭典なので、さまざまなメッセージや社会の気付きを表現し、人間社会に寄与できる場であってほしい。世界中のすべての人たちをつなげる架け橋となり、大きな平和の象徴となる祭典であってほしい」と展望を語りました。「未来の五輪を変えていけるのは、大会運営当事者ではなく皆さんの声だけ。人ごとと考えずに自分の声でオリンピックを変えていく楽しみも見いだしてほしい」と呼び掛け、「五輪は選手のためだけのものではない。選手ファーストは競技当日だけで、基本は社会ファースト。さまざまな人々が共存する中で育んでいくのが五輪。ぜひ皆さんの手で未来の五輪を育ててほしい」と結びました。

グループワークでオリンピックの将来像を考える

 有森さんと藤山氏の対談の後、学生たちは「実践女子大生が考える五輪の将来像」というテーマで行うプレゼンテーションに向け、グループに分かれてブレストを行いました。開催規模、開催時期、開催地はどこがいいか、参加国、参加者(男女)はどうするか等々、作戦を立てるにあたり、有森さんに直接質問しに行く学生の姿も見られました。

 今回の特別講義から拾い上げたヒントを盛り込みながら、学生たちはどのようなオリンピックの将来像を考えるのか。プレゼンテーションは、今後の「国際理解とキャリア形成」の授業の中で行われる予定です。

深澤教授の話

スポーツニッポン新聞社様とのコラボ講座は、今年で5回目を数えました。
「東京2020」について、共に考え、共に参加することを楽しみに進めてまいりましたが、延期、そして無観客開催と、想定外の変化の中で行われた大会から1年、大切なのはしっかりと振り返ること、まさにレガシーを考えることに意義があると考え、本年も継続して実施いたしました。
そして、今年も有森裕子さんと藤山健二記者にお越しいただきました。
オリンピアンの立場から、また現場での長い取材経験からの視点は、とても興味深い内容でありました。とりわけ、オリンピックパラリンピックは、国別対抗ではなく、個人と個人が競い合い高めあうことであるというお話しは、今後のオリンピックパラリンピックを考える上で大変貴重なお話しでした。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2022年7月27日 スポーツニッポン新聞に掲載

©スポーツニッポン新聞社

今回の取り組みが7月27日(水)のスポーツニッポン新聞にて掲載されました。また、オリンピック・パラリンピック1周年記念セレモニーにも本学が参加しており、その取り組みも記載されています。

2021年11月4日

東京五輪開幕日の一面紙面を学生が模擬制作!スポニチとの社会連携授業が集大成を迎えました(7/13)

2021年7月23日開幕の東京オリンピック2020を受け、開幕日当日のスポニチ一面紙面を学生が模擬制作する授業の最終プレゼンテーションが7月13日(火)、本学渋谷キャンパスで行われました。スポーツニッポン新聞社と本学の社会連携事業として行われ、実際にスポーツニッポン新聞社の輪転機で刷り上がった模擬紙面を使い、5チームが一面紙面の出来栄えを競いました。東京オリンピック2020も無事閉幕、4年間続いた名物授業は今回で一応の集大成を迎えました。

最終プレゼンは、1チーム4~5人の5チームが、「アメリカ」「南ヨーロッパ」などのチームごとにスポニチ一面の模擬紙面を発表しました。これを受け、スポーツニッポン新聞社の藤山健二編集委員が紙面の出来栄えに講評を加えていきました。ちなみに、アメリカや南ヨーロッパなどのチーム名は、履修者に関心のある国をアンケート集計した結果をもとに、チーム分けをしています。

参加国の公式ユニホームに注目-1班

東京五輪開幕、ユニホームの金を探せ!
=TGCオシャレ番長はどこの国?=
-世界の有名ブランドが終結!目が離せない-

参加国の公式ユニホームにスポットを当てたのは、1班のプレゼンです。新聞各社が有名デザイナーに依頼して公式ユニホームの小論を書いてもらうほど、公式ユニホームは注目されており、1班の着眼点は高く評価されました。

 それによると、1班は各国の公式ユニホームを制作したブランド会社をそれぞれ調査。公式ユニホームの制作メーカーが、フランスはラコステ、アメリカはラルフローレン、イタリアはアルマーニなど各国を代表する有名ブランドであることを紙面で伝えました。ちなみに、日本のフォーマルウエアはAOKIホールディングス、カジュアルウエアはアシックスです。

 同班は、東京開催を意識したとみられるデザインにも、着目しました。例えば、スウェーデンは自国ブランドのH&Mから日本のユニクロに変更したほか、イタリア選手団の公式ジャケットの内襟には、日本の伝統的な寺院の図柄の上にイタリア国家の歌詞が印刷されているなどのエピソードも紹介しました。

ジェンダーと絡めてみては?

1班

これに対し、藤山氏は、1班が作成した紙面について「見出しも『おしゃれ番長』はかっこいい。また、東京五輪コレクションはとっても面白かった」と感想を述べています。

 その上で、色彩豊かな他国のユニホームに対し、「日本は日の丸ということで、どうしても赤と白ばっかりで、上に赤か、下に赤かという、ただそれだけなので、毎回同じような形にどうしてもなってしまう」と批評しました。というのも、「日本は女性がスカート、男性はスパッツという固定観念があるからだ」と言います。これに関連し、藤山氏は「海外はほとんどジェンダーの時代だ。ユニホームが男女で統一されている国もある。ジェンダーの問題と公式ユニホームを絡めた視点で書くと面白いかもしれない」などとアドバイスを送りました。

新競技「スケートボード」に注目-2班

竜飛鳳舞、華麗な技で世界へ
=東京五輪新競技「スケートボード」から目が離せない=
-パーク男子部門はスノボメダリスト”二刀流”平野歩夢に注目-

2班は、5グループの中で唯一、競技そのものをテーマに取り上げました。東京大会から正式採用された新競技「スケートボード」に注目。新競技の魅力を伝える紙面づくりを試みました。

 それによると、同班はスケートボードの魅力を1940年代アメリカ西海岸発祥の歴史まで遡ってひも解き、現在ではスポーツのみならず、若者にはファッションとしても受け入れられていると紹介しています。

 その上で、スケートボード競技に特有な用語などを丁寧に解説。競技には男女とも「ストリート」と「パーク」の2種類あることや、その採点方法などを紹介したほか、空中で時計回りに一回転半する「バックサイド540」など注目の大技についても、説明を加えました。

 また、メダル有望の日本選手も挙げています。具体的には▼ストリート男子は、堀米雄斗選手▼ストリート女子は、19歳の西村碧莉(あおり)選手▼パーク男子は、冬季五輪種目スノーボードの銀メダリストでもある平野歩夢選手-を挙げました。

2班の紙面

インパクトある見出しに驚き

2班

プレゼンを受け、藤山氏が驚いたと学生に語り掛けたのは、見出しの「竜飛鳳舞」でした。非常にインパクトがあり、藤山氏も「スケートボードを中国語にすると、この言葉になるのか?と一瞬、間違ったほど」だったとか。藤山氏が「こんな難しい言葉をよく知っていたね」と水を向けると、学生は「スケートボードに合うような、かっこいい単語をメンバーで一生懸命探し、ぴったりの単語を見つました」と胸を張りました。

【東京五輪2020を振り返って】

日本選手は、4種目で金3銀1銅1と期待以上の活躍を見せました。男子ストリートの堀米雄斗選手は学生も予想した通りの金。女子ストリートは、西矢椛(もみじ)選手が史上最年少の金、中山楓奈(ふうな)選手が銅。女子パークは四十住さくら選手と開心那(ひらき・ここな)選手が金銀と表彰台のワン・ツーを占めました。一方、学生期待の西村碧莉選手は8位。平野歩選手は14位で残念ながら決勝進出はなりませんでした。

五輪と生理、遅れた日本のピル事情-3班

五輪と生理、知らなかったピル事情
=北京五輪出場時にピル服用、使用期間が短く体重増加、結果出せず知識不足を後悔=

いかにも「女子大生らしいテーマ」と評されたのが、3班のプレゼンです。同班は「生理でも絶対休めないオリンピックのアスリート達はどう向き合っているのか」という問題意識から議論をスタート。アスリートの生理対策、とりわけ欧米に比べて遅れた日本のピル事情に注目しました。

 それによると、学生たちは日本のアスリートのピル使用率は2%にすぎないのに対し、欧米のアスリートは83%に達していると指摘しています。欧米に比べ格段に少ない上、生理やピルに関する知識や理解も不足しているのが実情と問題提起しました。

 具体的ケースとして、大会時にピルを使用していたという元競泳日本代表の伊藤華英選手を取り上げました。同選手は2008年の北京オリンピック大会の際、ピルの使用法を誤り、思うような結果を残せなかったからです。

 逆に、ピルを正しく使用すれば、多くの効能があるとも学生は強調します。例えば、元アルペンスキーの花岡萌選手です。花岡選手は、ピルで生理のタイミングをコントロールすることに成功。競技生活のここぞという時に集中することができたと学生たちは紹介しました。

 その上で、学生たちは、ピルの使用は産婦人科で相談する必要があると結論付けています。自分の体に合った対処法を医師と見つけていくことこそが、最も重要と考えたからです。

3班の紙面

「指導者」が問題?

これに対し、藤山氏は「皆さんが最初と言いますか…」と、3班が女性アスリートと生理の問題を取り上げた意義を評価しつつ、この問題に関する日本の現状を解説しました。具体的には、「日本はとても遅れている」と指摘した上で、「女性アスリートからは指導者に何も言えないし、指導者も何もしない」というお寒い現状を説明。その原因を「監督やコーチ、トレーナーとか、いわゆる指導者が、圧倒的に男性が多い」ことに求めました。

 このため、日本に限らず世界的にも、この問題に関する限り「男性の指導者は、ほとんど(女性アスリートの)役に立っていない」と批判。この結果、女性アスリートとしては「何も指導者に相談できないし、正しい選択ができなくなっている」と嘆じました。

3班

「性的ハラスメント問題」にメス-4班

4班の紙面

性的画像問題からアスリートを守れ
=「性的写真を撮られていると感じたことがある」=
-元オリンピアン田中琴乃さん-

4班は、「今スポーツ界を揺るがす大問題」となっている性的ハラスメントを取り上げました。学生は盗撮のほか性的写真のネット投稿などの「ユニホームによる性的ハラスメント問題」について、女子大生の目線から主張を展開。スポーツジャーナリズムの視点から規制の提案なども行いました。

 性的ハラスメントは、演技・競技中に撮影された写真を性的に切り取ることで選手に不快感を与えることです。それによると、4班は性的ハラスメントの現状を知るため、当事者である選手側とメディアの双方に取材を試みました。

 このうち、選手の立場からは、新体操団体の田中琴乃さんが取材に応じ、「性的な写真を撮られていると感じたことがある」などと語りました。田中さんは、2008年北京五輪と2012年ロンドン五輪の新体操団体の日本代表です。併せて、大会での撮影の規制の緩さにも苦言を呈しています。

 他方、メディア側からは、スポーツニッポン新聞社写真映像部の高橋雄二カメラマンが、学生からの取材に応じました。具体的には、選手を写真撮影する際に規制があるかなどの問い掛けに対し、「撮影許可を得るため取材申請書を提出する必要はあるが、報道機関として表現の自由は担保されている」と強調。ただ。「まれに、カメラマンの中にも性的な写真を狙っている人がいないとは言えない」と私見を述べています。

 その上で、学生たちは、独自の解決案を提案しています。具体的には、大会組織委員会の対策に加えて▼報道写真を保存・スクリーンショットすることができないアプリやHPサイトの作成▼性的な意図を入れない写真掲載を誓約書提出で義務付け▼美しい写真を撮ったカメラマンに対する表彰-などの実現を求めました。

記事の現場取材を称賛

4班のプレゼンに対し、藤山氏が最も評価したのは、4班の記事がきちんと現場取材を踏まえて書かれた点でした。具体的には、体操協会や水泳連盟、スポニチの写真部に対して、それぞれ質問状を提出。その回答を踏まえて記事を執筆しています。他チームは、記事の情報源がネット情報中心なのに比べ、藤山氏は「5グループの中で、実際に質問して答えをもらうという手順を踏んだのは、ここだけだ」と語り、同班の真摯な取材姿勢を称えました。

【東京五輪2020を振り返って】

 競技大会本番では、ドイツ体操女子選手が足首まで覆うタイプのユニホーム「ユニタード」を着用したことで注目を集めました。ドイツ体操協会によると、「女性アスリートが性的対象にされることへの抗議」のため採用したと言います。大会組織委員会は2021年3月、競技会場の入場者に対し、「アスリート等への性的ハラスメントとの疑念を生じさせる写真、映像を記録、送信もしくは作成すること」を禁止。さらに違反した場合は強制退場もありうると決定していました。規制強化の背景には、日本でも女性アスリートの競技中のテレビ映像から、無断で画像をキャプチャーして淫らな言葉とともにアダルトサイトに投稿したとして2021年5月、自営業の男性が警視庁に逮捕されたことも考慮されました。

4班

応援アプリで「無観客」観戦にフィット-5班

5班の紙面

「ステピク」アプリが繋ぐ応援の輪
=遠くからでも気持ちは届く=
-五輪会場で声援できなくても”同志”と一緒に-

新たにオリンピック応援アプリ「ステピク」を開発、自宅から東京五輪を楽しむ応援方法を提案したのは5班です。おりしも東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は、7月8日に五輪競技の「無観客」開催を決定。図らずも応援アプリを活用する同班の提案が、どのチームにもまして、「タイミング的にベストフィットな提案」と評価されました。

 それによると、応援アプリに搭載する機能は、アバターやチャット、応援ソングの設定など。このうち、アバター機能は自分のアバターをネット空間につくり、このアバターを介して選手を応援可能にします。自分のアバターは、自分の顔写真を取り込み作成するほか、参加国のユニホームと着せ替えを実現。また、アクセサリーとしてメダルも着用可能にします。

 メダルは、「金メダル」や「銀メダル」、「銅メダル」に分け、試合観戦で獲得した合計ポイント総数に応じて貰えます。このうち、金メダルはスポンサー企業からのオリジナルプレゼント付きとします。

 また、チャット機能は、五輪会場で声援できないサポーターに対し、SNSを介して他のサポーターと会話する機会を提供します。応援ソングは、チャットの投票機能を使い、オンライン観戦中を聴く音楽を選べるようにしました。

架空の話と思わせない出来栄え!

これに対して、藤山氏は完成した5班の紙面の出来栄えについて「これがまったく架空のものだと全然気が付かなかった。それぐらい本当にある話として原稿を読ませてもらった」と完成度の高さに舌を巻きました。さらに、ポイント付与や金メダル獲得という同班のアイデアを「発想として面白い。とても読者の興味を引く内容になっている」と称賛しています。

【東京五輪2020を振り返って】

 東京五輪2020の開幕式は、23日午後8時から東京都新宿区の国立競技場で、無観客で開催されました。このため、翌24日のスポニチ紙面はもとより五輪の話題一色です。一面と裏一面をぶち抜き、開会式のパノラマ写真とともに、こう読者に呼び掛けています。

5班

東京五輪、上を向いて歩こう。
=1年延期 歓声なき開会式=
-こんなときだからこそ、スポーツの持つ力に希望を託したい。-

では、23日開会式当日のスポニチ朝刊の一面は、実際のところ、どうだったのでしょうか。本連携授業の歴代の履修学生が、毎年工夫を凝らした紙面づくりを試みた開会式当日朝刊の一面模擬紙面のことです。リアルの紙面の一面トップは?それは「日本の男子サッカーが1次リーグA組初戦で南アフリカと対戦、1-0で勝利した」という記事でした。

久保 黄金の左だ!
=森保J白星好発進=
-五輪日本最年少弾「決めるとしたら自分だと」-

160人が履修

オリパラを盛り上げるための4年間に幕

スポーツニッポン新聞社と本学の連携授業は、2~3年生が対象のキャリア教育科目「国際理解とキャリア形成」のなかで実施されてきました。指導教授は、文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育担当)です。今年度で4回目であり、160人が履修しています。東京オリンピック2020も無事閉幕、4年間続いた名物授業も、今回の授業でめでたくフィナーレとなりました。

最後に記念撮影

スポーツニッポン新聞社・藤山健二編集委員の話

今回のプレゼンテーションは4年間の集大成にふさわしい作品ばかりで、改めて学生たちの持つ創造力と可能性に感心させられました。最初にこの授業のお話をいただいた時は〝女子学生とスポーツ新聞〟という意外なコラボが果たしてうまくいくのかどうか心配しましたが、実際に出来上がった紙面は私たちの想像をはるかに超えるものでした。

 グループのみんなで力を合わせて作り上げた原稿や見出しを弊社の専門記者が本物と同じようにレイアウトして刷り上げ、それを初めて目にした学生たちから大きな歓声が上がった時には、私も肩の荷が下りたような気がしました。コロナ禍での東京五輪・パラリンピックは生涯忘れられない思い出になったと思います。その思い出の中に、自分たちが作り上げた素晴らしい紙面も一緒に残しておいていただければ幸いです。4年間、ありがとうございました。

藤山編集委員
いつも的確なコメントに感謝
深澤教授

深澤晶久教授の話

2018年から4年にわたり、スポーツニッポン新聞社様にサポートをいただきました。スポーツ新聞という、どちらかと言えば女子大生からは距離のあったメディアとのコラボレーションということでありましたが、ベテラン記者藤山様、そして矢野俊哉・ビジネス開発局営業第二部長様をはじめとしたスポーツニッポン新聞社様の全面的ご支援のおかけで、オリンピック・パラリンピック連携講座の顔ともなる、素晴らしい授業を展開することが出来ました。

 オリンピック・パラリンピックを通じて多様性の理解や受容、そして思いがけない事態となった大会の延期下における考察など、極めて貴重な学びの時間となりました。とりわけ学生たちの姿からは、最終的な成果物として、世界に一枚しかないスポーツニッポン新聞の一面を手にできたことが、充実感に繋がったものと考えています。この場を借りてスポーツニッポン新聞社様関係各位に感謝申し上げます。

2021年8月2日

コロナ禍でも「自分の思い」消さないで!五輪メダリストの有森さんが本学で特別講義を行いました(7/6)

東京2020オリンピック競技大会開幕を18日後に控えた7月6日(火)、五輪女子マラソンメダリストの有森裕子さんが、本学渋谷キャンパスを訪れ、特別講義を行いました。

有森さんは、新型コロナウイルスの感染者急拡大で大会開催に批判が高まるなか、「オリンピアンとしては、オリンピックそのものが悪いとは全然思っていない。社会との関わりの中で存在するオリンピックの存在意義を考えてみて欲しい」と強調。また、コロナ禍で不安な大学生活を強いられる学生たちに「自分の思いと自分のプラスを消さないこと。それさえあれば、できないことはない」と呼び掛けました。

 授業は、2~3年生が対象のキャリア教育科目「国際理解とキャリア形成」の中で行われ、スポーツニッポン新聞社の藤山健二編集委員と有森裕子さんの対談が実現しました。指導教授は文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育)です。今年度は学生26人が履修。コロナ禍でオンライン講義を余儀なくされた昨年と違い、今年度は教室で行われました。

未熟な?オリンピック

 対談は冒頭、コロナ禍で異例ずくめの東京オリンピックに関する話題でスタートしました。感染者が急拡大するなか、開催それ自体にも批判がある今回の大会をどう評価するか。有森さんは「藤山さん、こんなに想像つかないオリンピックは今までありましたか?」と藤山氏に水を向け、同氏も「これまでのオリンピックの中で、初めてです」などと、応じました。

 その上で、有森さんは学生たちにも問い掛けます。「(今回のオリンピックの)イメージが悪いのは、どこが悪いのかを皆さんに聞きたい。オリンピックそのものが本当に悪いのか。今起こっているコロナ禍の現実がおかしいのか」。有森さんは「私は、オリンピックそのものが悪いとは全然思っていない」と強調した上で、「そこは本当に一番間違えてほしくない」と訴えました。

 ただ、組織委員会などを含む大会主催サイドが、これまで通りのスタンスのままでいいのかというと、そうとも言い切れないようです。というのも、今回のオリンピック開催に従来のような一般の圧倒的支持がないのも事実だからです。

 この結果、有森さんは「非常に毎日、悩ましい日々を過ごしている」と胸中を明かしました。けだし、「社会との関わりの中で存在するオリンピック開催であれば、すべてに優先されるというのは、自分たちの勘違いではないか」と自問自答していると言い、「(そういうことを)今まで考えてこなかったところに、やはり『オリンピックが未熟だった』と凄く感じている」「本当の意味で、社会の中で論ずべき自分たちの存在意義を考えてこなかったことが、今露呈している」などと強調しました。

対談する有森さんと藤山編集委員

オリンピアンはエリートばかりか?

藤山編集委員

 他方、藤山氏も有森さんとは別の角度から、東京オリンピックの課題を探ります。藤山氏は自らの取材体験を通して、「オリンピックに無関心、反対と言う人たちは若い人が多い」と語り、若者たちの声に耳を傾けたのです。

 「どうして無関心なのか、若い人にいろいろ聞いてみると、『オリンピックに出場するような選手たちは、小さい頃からエリートで、特別に育てられてきたような人とばっかり。自分たちと全く住む世界が違う人なので、オリンピックは勝手にやってくださいよ』みたいな人が、とても多かったんです」と藤山氏。

 オリンピックに出場するアスリートは、本当に絵に描いたようなエリート選手ばかりなのでしょうか。藤山氏は対談を通じて検証を試みます。そのアンチテーゼともいえるのが有森さんの競技人生といえるからです。対談では有森さん曰く、「エリート街道とは無縁の、変な街道」の競技人生を振り返りました。

無名の存在から、一躍五輪の銀メダリストに

 翻って、有森さんが陸上競技の表舞台に登場したのは、1990年の大阪国際女子マラソンからです。初マラソンで2時間32分51秒の初マラソン日本最高記録をたたき出し、6位に入賞。2年連続で出場した翌年の大阪国際女子マラソンも、2時間28分1秒の日本最高記録で2位に入り、トップランナーの座を不動のものとしました。翌1991年夏、東京開催の世界陸上は4位。そして1992年夏のバルセロナ五輪女子マラソンで銀メダル獲得と、一気に世界の最高峰へ駆け上がるのです。

 この間、わずかに2年半。ところが、それ以前は本当に無名で、後の五輪銀メダリストが陸上競技界で注目を浴びたことは、ほとんどありませんでした。故障がちで、そもそも満足に走れなかったせいもあります。それ以前の有森さんは、どこで、何をしていたのでしょうか?

競技人生の始まりは「門前払い」から

 有森さんが陸上競技を始めたのは、岡山市の私立就実高校に入学してからでした。市内の公立中学校時代はバスケットボール部。ただ、有森さんは持久力に優れ、その特性を活かして校内運動会の800m走で3年連続優勝したと言います。それがきっかけで、バスケットボールから陸上に目を向け、「バスケの下手な自分より、走ってゴールテープを切れる自分の方がいい」と考え、陸上競技転向を決意したと振り返りました。

 しかし、高校生となった有森さんは、陸上部に入部を希望するも、同部の顧問から「素人はいらない」とあっさり門前払いされてしまいます。就実学園は中学・高校・大学の一貫校で、同高校の運動部は全国優勝したバレー部に代表されるようなスポーツ強豪校。中等部から内部進学した逸材がゴロゴロしていました。他校から入学した素人同然の有森さんは相手にしてもらえなかったのです。ただ、そこは後にマラソンで驚異の「粘り」を発揮する有森さんです。1か月かけて陸上部顧問の先生のもとに通い詰め、とうとう根負けした陸上部顧問から仮入部を勝ち取りました。

 そうまでして陸上をやりたい気持ちが強かった理由は何だったのでしょうか。有森さんは「頑張ったら人から評価され、自分の自信にもなったものが、運動会で走ったことが初めてだったんです。陸上がしたいというより、唯一走ることで得られた自信を手放せなかったんです」と話してくれました。

有森さんは、2年続けて登壇

トライアスロン転向を目論むも、あっさり頓挫

五輪メダリストの実話に学生は興味津々

 ただ、有森さんによると、高校時代は全くの鳴かず飛ばず。実績はゼロでした。国民体育大会やインターハイとはまるで無縁で、陸上部顧問の恩師の推薦で日本体育大学を受験した際は、面接官から「有森さんはどうしてこの大学に入れたんですかね?」と不思議がられる始末でした。大学入学後も、1年時に関東学生選手権大会で3000m2位に入賞し周囲を驚かせたことはあっても、またもや足を故障。やがて名門・日体大陸上部の中で、その存在を忘れられていきます。

 この間、有森さんは密かにトライアスロンへの転向を目論見ます。当時、トライアスロンにはまだ女子の第一人者がいなかったからと言いますが、要は「現実逃避」です。親からの仕送り10万円の大枚を全てはたいて、高額なトライアスロン用自転車を購入。転向計画の準備は着々と進展するかに見えたのですが、早晩、計画はあっさり頓挫してしまいました。「肝心の自転車が盗まれてしまい、いきなり目の前から消えてしまいました」。有森さんは、はっと我に返ります。その時の心境を、高額な自転車を盗まれた悔しさよりも、「自分は何をしているのか。何のために大学に進学したのか。走るためだろう」と振り返りました。

未来切り拓いた、小出監督との出会い

 卒業後は体育の教師になるつもりでした。高校と大学を通じて実績ゼロの自分に、実業団から声が掛かることは有り得なかったからです。そう頭では分かっていても、これまでの陸上競技人生に「不完全燃焼感」は拭えませんでした。そんな時に岡山市内の自宅に掛かってきたのが、リクルートの小出義雄監督からの一本の電話でした。後に有森さんが「小出監督の勘違いだった」と分かった監督からの電話が、有森さんの未来を切り拓きます。

 小出義雄監督は、女子選手育成に卓越した手腕を発揮する名伯楽として当時から知られていました。2019年4月に80歳で亡くなりますが、有森さんのほか、2000年シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さん、1997年世界陸上アテネ大会女子マラソン優勝の鈴木博美さん、2003年世界陸上パリ大会女子マラソン3位の千葉真子さんなどを育て、幾多のトップランナーを世に送り出しました。

 有森さんは、友人の紹介を頼りに手紙を通じて実業団のリクルートにアプローチ。小出監督は同社陸上部のマネージャーから入部希望の有森さんの存在を知らされたようです。電話での2人の会話は、小出監督が過去に有森さんと面会したことがないのに会ったものと勘違いしていたせいで、どうにもチグハグなものでした。結局、「多分、僕ね。物忘れがひどいから、思い出すかもしれないから、会ってみよう」ということになり、有森さんは翌日、千葉のリクルート合宿所の小出監督のもとに嬉々として向かいます。

小出監督との出会いが、飛躍のきっかけ

熱意を監督に認めてもらう

初対面で、小出監督が困り果てる?

 有森さんによると、1時間ほどの面談は「逃げ出したくなるような面談」だったそうです。小出監督は「有森さん、国体は何位?」「インターハイは?」などと質問を重ねますが、いかんせん、有森さんは高校や大学で実績ゼロ。ひたすら「入部したい」「これから実業団で頑張りたい」と熱意を強調して直訴するしかありませんでした。小出監督もようやく事情を呑み込めたようで、最後の方は困り果てていたと有森さんは述懐します。

 有森さんは「(僕の)勘違いだった。あまり情報がなかったから呼んでしまったが、ちょっと無理だよ」と小出監督が言ってくれれば、入部は諦めていたと言います。しかし、小出監督から返ってきた答えは意外なものでした。

 「有森さん、今うちね、いい選手が5人いる。高校チャンピオンや日本記録保持者、インターハイ・国体チャンピオン…。そうそうたるメンバー。素質や実績、肩書き…すべてパーフェクト。ただね、有森さん。人間は、どんなに素晴らしい素質や肩書き、実績を過去に山ほど持っていても、『これからどうしたい』『夢や目標を持っているか』ということが、本当に大事なんだ。それをね、有森さんは見事に持っている。僕もびっくり。これほど持っている人を目の前で初めて見た。もっとびっくりなのは、これだけ何も実績を持ってない人が、よくぞここにやってきたということ。その根拠のないやる気、とっても興味がある。僕はあなたの根拠のないやる気を形にしてみたい」。

 千葉での面談から2日後、岡山市の実家に帰っていた有森さんにリクルート社人事部から電話で採用の連絡が届きました。1989年、有森さんは日体大を卒業と同時に、晴れてリクルート社に入社しました。

悔しさバネに、マラソン転向

 入部後の有森さんは、1年目の秋にマラソンに転向します。当初は国体種目の1万メートルを目標に練習していましたが、岡山県の最終予選で優勝するも、陸上部が選手登録をしていなかったミスで失格。岡山県代表の夢は儚く消えました。しかし、陸上部から謝ってもらえるどころか、小出監督からは「お前に実績がないから、そういうことになるんだ」と突き放される始末。悔しさの余り、涙ながらに寮の自室の壁を足で蹴りながら、「今に結果を出してやる。今に見てろ。絶対忘れられない選手になってやる」と誓ったうえでのマラソン転向でした。

一日40キロの猛練習で才能開花

 転向後のマラソン練習は、1か月間で1200キロ、一日平均で40キロに達するハードなものでした。成人女性の一日平均摂取カロリーは1400~2000カロリーと言われますが、有森さんは「4000カロリーは普通に摂っていた。そうでないと痩せてしまう」と述懐します。

 また、バネがなくてスピードが出ない有森さんに、小出監督がタイムを要求することはなかったと言います。代わって小出監督が要求したのは、他人の倍以上のメニューの消化でした。小出監督から「お前な。42.195kmを全力で走らなきゃいけないから、その距離(40キロ)が普通にならなきゃいけない」と言い含められ、有森さんは「はあ?そうなんですね」と、さしたる疑問も抱かずに、毎日の猛練習に耐えていたそうです。

今年は教室で対面講義が実現

コンタクト片方で駆けたバルセロナ五輪

「銀メダルの実感は?」と対談で

 こうして転向後2年で迎えたスペインのバルセロナ五輪。結果は周知の通り、有森さんは銀メダルに輝きました。日本女子選手で64年ぶりのメダルです。対談では、当日の朝にホテルでコンタクトレンズの片方を失くし、片目だけでレースを走ったこと。また、沿道のスペイン語による「アニーモ」という声援を、自分のニックネームである「アリモ」と聞き違え、大いに気をよくしてコースを駆けたことが、エピソードとして紹介されました。有森さんは、藤山氏の「銀メダルを実感した時はいつ?」という質問に対し、「表彰式後にホテルに戻り、メダルを掛けたまま鏡に映る自分の姿を見た時」と語りました。

足の故障など、心身ともにどん底を経験

 しかし、バルセロナ後は栄光の競技人生が暗転。周囲との軋轢から心身のバランスを崩し、足のケガも重なって、スランプで走れなくなってしまいました。

 有森さんによると、バルセロナ直後は「優勝したエゴロワ選手の安定した走りに刺激をもらい、『私もあんなフォームを身に付けるんだ』『もっと筋力をつけるんだ』と、本人はモチベーションを失っていなかった」と言います。

 ところが、周囲の反応は全く違ったものでした。「これで引退できるね」「これからは指導者だね」などと、メダル獲得を花道に競技人生の引退を勧めるかのような接し方だったと言います。それが有森さんには疑問であり、不満でした。「自分はメダル獲得を契機にさらなる高みを目指すつもりなのになぜ?」。そうした周囲の接し方が我慢ならない有森さんでしたが、反発すると逆に誹謗中傷を受ける始末。タイミングが悪いことに、バルセロナ後は疲れから体はガタガタ、足の痛みも悪化し、記録は落ちる一方でした。もちろん、そんな「過去の人」の言葉に重みはありません。「これでは誰も私の話など聞いてくれない」と焦って走ると、さらに記録は落ち、ますます袋小路に陥ってしまいました。

 転機は足底筋膜炎の手術でした。手術は成功。再び走る意欲を取り戻し、翌1995年夏にアトランタ五輪の選考レースを兼ねた北海道マラソンに出場。大方の予想を覆して優勝し、アトランタ五輪への切符を手にしました。

 ただ、アトランタ五輪出場に賭ける気持ちは、無心で臨んだバルセロナ五輪とはまるで違いました。心身ともにどん底を経験した有森さんのみが知る固い決意を秘めていたのです。「何色でもいいから、何が何でもメダルを獲らなければならない」。それは「オリンピックは手段。決してゴールではない」という、自らの信念の正しさを証明するため必要なメダル獲得でした。自分の言葉に耳を傾けてもらうには「過去の実績ではなく、今の明確な実績が必要だった」と信じて疑わなかったのです。

「自分をほめたい」は、納得感から出た言葉

 そして迎えた1996年7月のアトランタ五輪。有森さんは再び女子マラソンのスタートラインに帰ってきました。4年間の紆余曲折を経て、たどり着いたスタートラインは「すごく気持ちのいい、変な緊張など何もない」という非常に落ち着いていたものだったそうです。結果は銅メダル。ゴール直後に、この年の流行語大賞にもなったあの言葉が生まれます。「自分で自分をほめたい」-。

 それは「単に銅メダル獲得という結果に対して出た言葉ではない」と有森さんは強調します。「オリンピックは、あくまで手段であり、ゴールではない」という、自らの信念を証明するため、どうしても必要な2度目のメダル獲得でした。対談では、あの感動の言葉がゴール直後に口をついて出たゴール直後の心境を「全てにおいて自分しか知り得ない内容を、求めるもの全てをクリア出来たという納得感から出た言葉だった」と明かしてくれました。

あの流行語大賞は、納得感から生まれた

「どんな状況でも、自分の思い大事に」

 対談の最後に有森さんは、学生の質問に応じます。その際、有森さんが語ったのは、「マラソンを走った経験がある?」と学生に尋ねた上で「(マラソンは)誰でも出来る。絶対に42.195キロを走れる。なぜなら、歩こうが止まろうが、前にさえ進めば、いつか42キロ先のゴールに絶対にたどり着けるからだ」というシンプルな事実でした。そして学生に訴えます。「できない唯一の条件があるとしたら、それはあなたができないと思っているか、思っていないかなのでは?」。

 学生たちとの質疑応答ののち、有森さんはコロナ禍で不安な日常を送る学生らにエールを贈ります。「人生も(マラソンと)一緒」と強調。続けて、「自分が自分の思いと、自分のプラスを消さないこと。それさえあれば、できないことはない」「どんな状況であっても常に、自分が自分という姿や思いを、ちゃんとあるかどうかを大事にしてほしい。そうすれば、いつでも、どんな状況でも、誰かがそれに気付いてくれるから、出来ないことはないと私は思っている」などと語りました。

学生の質問に答える有森さん
有森さん、藤山編集委員を囲んで
担当の深澤教授

深澤晶久教授の話

 藤山編集委員のお心遣いから生まれた有森裕子さんの特別講座、昨年は残念ながらオンラインとなりましたが、今年は教室で直接お話しをお聞き出来ることになりました。学生のアンケートからも、様々な有森さんのお言葉が響いたことを実感しましたが、なかでも「どんなに苦しくても諦めないことの大切さ」「自分の信念、いわば軸をしっかり持ち続けることの大切さ」そして、思うようにいかない場面では「せっかく」という言葉を頭につけることでどんなネガティブなこともポジティブなことに置き換わる「魔法のフレーズ」が特に印象的でした。貴重なお話しをありがとうございました。

2021年6月18日

<学生記者レポート>日本相撲協会とのコラボグッズ販売を再開しました!新商品も登場(6/18追記)

※2021年6月18日追記
2021年6月16日 日本経済新聞 掲載
キャンパス発この一品「相撲グッズ — 実践女子大」

本学と日本相撲協会との産学連携の取り組みが、日本経済新聞の朝刊で紹介されました。
取材には、生活環境学科 塚原肇教授とゼミ生4名が参加し、相撲グッズの取り組みについて説明しました。

取材応対する塚原肇教授
相撲グッズを説明する学生
最後に皆で集合写真

2021年1月19日掲載

販売コーナー前で記念撮影
お客さんを丁寧にご案内

 本学と日本相撲協会が、新型コロナウイルスの感染拡大(コロナ禍)で中断していたコラボ商品の販売を、大相撲11月場所から再開しました。ハンドクリームが新商品に加わり、商品ラインナップがさらに充実。販売スタッフに駆け付けた本学学生の頑張りもあり、11月場所でのグッズ販売は驚きの売り上げを記録しました。本学は政府の緊急事態宣言の再発令を受け、大相撲初場所への学生ボランティアの派遣は中止しましたが、コラボ商品は親方・協会担当者の手により初場所も国技館内売店で販売が継続されています。

 大相撲令和2年11月場所は、11月8日から22日まで両国国技館(東京都墨田区)で行われました。コロナ禍のため本来の福岡国際センター(福岡市)に代えての開催です。本学の学生は15日間の場所期間中、28人が販売スタッフのボランティアとして参加。売り上げ増や相撲のイメージアップに一役買いました。

「祖父母に自慢?」「つながりが欲しくて」

 人間社会学科3年の君島ほのかさん、国文学科1年の関口千夏さんは、そんな相撲大好き実践ガールズの2人です。2人とも今回が初めての参加で、開催期間中、君島さんは2日間、関口さんは5日間、それぞれグッズ販売を手伝いました。2人が今回参加を決めたのは、君島さんは「(国技館での見聞を)相撲ファンの祖父母に自慢できるかも知れないと思って」、関口さんは「オンライン授業ばかりで渋谷キャンパスに来たのは入試と健康診断の2回だけ。同級生や上級生とつながりがほしくて」という理由からだったそうです。

 年6回の本場所開催中のグッズ販売は、令和2年1月の初場所以来となります。この間、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、3月の春場所は無観客で開催。5月の夏場所は4月緊急事態宣言で中止に追い込まれました。7月の名古屋場所以降は観客制限を設けながらの実施となり、11月場所も上限5千人の観客制限が設けられていました。

コロナ禍がきっかけの関口さん

延べ76人が参加、驚きの売れ行き

 販売は午後1時から午後5時まで4時間の真剣勝負。本学からは連日、平日は平均3~4人、週末は同7~8人と場所期間中15日間で延べ76人の学生が販売の応援に駆け付けました。その甲斐もあったからでしょうか。当初、観客制限で危惧された売り上げは、蓋を開けてみれば予想外の売れ行き。関口さんによると、「初日や日曜日は本当にすごかった。売り場には10人以上の行列が出来ました。女性や男性を問わず、若い人がたくさん買ってくれました」と当時の売れ行きの凄さを振り返ります。

 販売したコラボグッズは、「豆しぼり手ぬぐい」(税込み1,200円)、「メガネふき」と「リップクリーム」、「はんどくりいむ」(以上税込み500円)の4種類です。わけても、人気はハンドクリームやリップクリームで、場所期間中、ハンドクリームは2,000個、リップクリームは1,300個と驚きの売り上げを達成しました。ハンドクリームとリップクリームをセットで買うとポーチが無料で付いてくるサービスもあったからか、君島さんによると、「日によっては、最後の方はポーチがなくなった日もあった」ほどです。

スタッフ体験を語る君島さん

かわいいデザイン、香りが魅力

 このうち、新商品のハンドクリームは、リップクリームと同じピンク色で、例えば、君島さんはデザインが魅力と推奨します。「商品のデザインがかわいい。相撲好きの女性も増えており、そういう女性にも手に取ってもらえるような商品。男性が奥さんや娘さんにお土産に買って帰るのもいいと思った」からだそうです。

 他方、関口さんが挙げる魅力は香りで、「リップクリームとハンドクリームの香りがお相撲さんの髷と同じ瓶付油の香り。初めてかいだ香りだが、お相撲さんぽくっていいと思った」と話してくれました。

 本学と日本相撲協会は2017年12月、包括的連携協定を締結しました。これを受け、生活環境学科の学生を中心に「実践すもうガールズ」を結成、公式グッズの開発などに取り組んできました。これまでコンパクトミラーや扇子、メガネ拭き、リップクリーム、手ぬぐいの商品化にこぎつけています。

国技館内のグッズ販売コーナー
親方と学生がグッズ販売

コロナ禍で初場所の学生派遣を中止

 11月場所でようやく再開したコラボグッズ販売でしたが、初場所で再び暗転します。というのも、場所前に力士ら協会員878人を対象に行ったPCR検査で力士5人の陽性が判明したからです。感染判明や濃厚接触の疑いで、横綱白鵬を含む力士65人が初日から全休に追い込まれました。全力士665人の約1割に当たり、腰痛の横綱鶴竜含めると戦後最多となる関取16人が初日から休む異常事態です。

 本学も1月7日の政府の緊急事態宣言の再発令を受け、初場所へ販売ボランティアの学生派遣を中止しました。しかし、国技館内の売店は親方や相撲協会の担当職員の手で営業を続けており、コラボ商品の購入は可能です。また公式オンラインショップ「すもうストア」も初場所から開設しており、コロナ禍を避け、コラボ商品を含むお目当ての商品がネットで買えるようになりました。

取材メモ

 相撲協会とのボランティア活動は、社会との関わりはもちろんですが、オンライン授業が続くなか、学生同士が交流する貴重な機会となりました。とりわけ喜んだのは、コロナ禍でキャンパスに足を運ぶ機会がなかった1年生ではないでしょうか。「今回初めて同じ大学の友人が出来た」などと笑顔で語ってくれました。感染者は増加の一途をたどり、いつまたキャンパスに通えるようになるかは分かりません。同じ大学の学生が学年を超えて知り合える機会は見逃さないよう、学生たちもアンテナを張っておくといいですね。

英文学科4年 松村桐杏
2021年4月14日

スポーツニッポン新聞社と今年度の社会連携授業スタート!お題は「オリパラ開幕日の一面紙面」(4/13)

スポニチの一面模擬紙面を学生が考える本学キャリア教育恒例の社会連携授業が4月13日(火)、2021年度の検討をスタートさせました。7月13日の最終プレゼンテーションに向け、学生が5チームに分かれ、渾身のアイデアを競います。

検討のキックオフに伴い、講師でスポーツニッポン新聞社の藤山健二編集委員から、今年度のテーマ「2021年7月23日のスポニチの1面を考えてください」が与えられました。新型コロナウイルスの感染拡大(コロナ禍)で1年延期された「2020東京オリンピック・パラリンピック」開幕日に焦点を当てたお題です。藤山編集委員は、テーマ出しに際して「コロナウイルスで大変な世の中ですが、皆さんの力で明るい紙面を作っていただけることを期待します」と学生に呼び掛けました。

スポニチ紙面を使い講義する藤山講師

授業は、渋谷キャンパス704教室で行われました。藤山編集委員にとり2年ぶりの対面授業です。昨年度と違いZOOM画面に向かってではなく、教室のホワイトボードを背に学生らに向かって教壇に着席。履修する学生26人に対し、マスク越しに紙面作成に必要な東京オリンピック・パラリンピックの予備知識を講義しました。

社会連携授業を説明するスポニチの藤山編集委員

本学とスポーツニッポン新聞社の社会連携授業は、今年度で4年連続となりました。文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育担当)が担当する「国際理解とキャリア形成」のなかで実施しています。大学2~3年生が対象のキャリア教育共通科目です。

 5チームは、1チームが5~6人。履修者に関心のある国をアンケート集計した結果をベースに学部・学科の垣根を越えてチーム分けされています。今年度は「アジア・オセアニア」「アメリカⅠ」「アメリカⅡ」「ヨーロッパⅠ」「ヨーロッパⅡ」の5チームでミッションに取り組みます。

深澤晶久教授の話

毎年、学生の関心の高い科目で、今年も定員の3倍の希望者の中から選抜されました。この授業は、スポーツニッポン新聞社様とのコラボで進行する「オリンピック・パラリンピック連携講座」と、“机上の世界一周旅行”と称してレクチャーやゲスト講演で組み立てられる「国際情勢をまなぶ講座」の2つの柱で構築されています。
 新型コロナウイルスの影響で、グローバル化も「東京2020」も大きな影響を受けました。そのような時代の変化も見据えつつ、学生の主体性を磨き上げるというゴールに向かって動き出しました。毎年感じる学生の成長の姿を、今年はリアルにみられることがとても楽しみです。

2年ぶりに教室にリアルが戻ってきました

スポニチ Sponichi Annexにも掲載されました