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2021年8月6日

日野市と連携!多世代交流カルタ「相詠みかるた」を日野市中央公民館かるた会でお披露目(7/1)

多世代交流カルタプロジェクトでは、「相詠みかるた」を完成させ、7月1日に日野市中央公民館かるた会でお披露目しました。「相詠みかるた」とは、高齢者と若者が、「互いの気持ちや考えを交わし合い、日々大切にしたい生き方、暮らし方の交流を行う」というコンセプトのもと、制作したものです。

人口減少が本格化する中で、地域がつながり支え合うためには、お互いが交流し知り合う場の創出が大切です。多世代交流カルタは、異世代が理解しあうツールとして役立てることを目的に、シリーズで、デザイン・作成されています。

 今回の「相詠みかるた」の読札は、日野キャンパスの現代生活学科で地域コミュニティについて学ぶ学生が創作し、絵札は、渋谷キャンパスで開講されたオープン講座履修生の学生が担当し、パッケージ化しました。そして、このほど、日野市中央公民館のご協力を得て、地域のご年配の皆さまと現代生活学科学生が、このカルタで初めて交流を行いました。

当日は、最初こそ緊張感がありましたが、「相詠みかるた」を皆さんで一度行うと、一気に場が和みました。そして、「この文章はどうやって作ったの?」「絵札の絵の一つひとつも手作りなの?」と興味津々に作品を手に取ってくださいました。後半は、読札の中から、気になる読札の言葉をきっかけに、昭和の暮らしや現代の暮らし、若者の思いや高齢者の思いなど、自由にお話を交わし合い、最後に、一人1枚ずつ、自分が一番気に入った読札を選び、なぜそれを選んだのかの思いを語り合って、会を閉じました。

学生たちは「緊張したけれど、皆さんとたくさんお話しができてとても楽しかった」「自分が作った札がこんなふうに地域で使っていただけて嬉しい」など、このカルタの手ごたえを感じた様子です。

 日野市中央公民館からも「若い方たちが公民館で活動していただけるのは本当に嬉しい。利用者の皆さんも笑顔の輝きが違う」と大変喜んでいただきました。

参加者の皆さんが「気に入った読札」として選んだ読札と、一言コメントをご紹介

「たいせつな おもいは手紙にしたためて」
昔、各家に電話もなく、真心こめて手紙を書いたことを思い出します。

「再利用 大切な木材 無駄にしない」
ものを大切に使い切る。また違う使い方をして、再び命がよみがえる。何か得した気持ちを楽しんでいます。

「ラッパの音 鍋をもって はしりだす」
鍋を持って豆腐を買う。ごみを出さない今こそ必要。

「レッツゴー コミュニティにとびこもう」
まだまだ皆さんと勉強し、教えていただくこと、学ぶことがたくさんあると思いました。

今後も、このカルタを用いた交流を、いろいろな形で行っていきたいと考えています。

2021年3月8日 毎日新聞 掲載
「カルタで多世代交流 実践女子大と本社、意見交換」

本学が毎日新聞社との社会連携事業として計画している、カルタによる多世代交流が取り上げられました。現代生活学科の須賀由紀子教授のゼミ生が中心となり進めており、毎日新聞と2月24日に日野キャンパスで打ち合わせが行われたと紹介されました。

2021年3月8日 毎日新聞 朝刊

2021年8月2日

コロナ禍でも「自分の思い」消さないで!五輪メダリストの有森さんが本学で特別講義を行いました(7/6)

東京2020オリンピック競技大会開幕を18日後に控えた7月6日(火)、五輪女子マラソンメダリストの有森裕子さんが、本学渋谷キャンパスを訪れ、特別講義を行いました。

有森さんは、新型コロナウイルスの感染者急拡大で大会開催に批判が高まるなか、「オリンピアンとしては、オリンピックそのものが悪いとは全然思っていない。社会との関わりの中で存在するオリンピックの存在意義を考えてみて欲しい」と強調。また、コロナ禍で不安な大学生活を強いられる学生たちに「自分の思いと自分のプラスを消さないこと。それさえあれば、できないことはない」と呼び掛けました。

 授業は、2~3年生が対象のキャリア教育科目「国際理解とキャリア形成」の中で行われ、スポーツニッポン新聞社の藤山健二編集委員と有森裕子さんの対談が実現しました。指導教授は文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育)です。今年度は学生26人が履修。コロナ禍でオンライン講義を余儀なくされた昨年と違い、今年度は教室で行われました。

未熟な?オリンピック

 対談は冒頭、コロナ禍で異例ずくめの東京オリンピックに関する話題でスタートしました。感染者が急拡大するなか、開催それ自体にも批判がある今回の大会をどう評価するか。有森さんは「藤山さん、こんなに想像つかないオリンピックは今までありましたか?」と藤山氏に水を向け、同氏も「これまでのオリンピックの中で、初めてです」などと、応じました。

 その上で、有森さんは学生たちにも問い掛けます。「(今回のオリンピックの)イメージが悪いのは、どこが悪いのかを皆さんに聞きたい。オリンピックそのものが本当に悪いのか。今起こっているコロナ禍の現実がおかしいのか」。有森さんは「私は、オリンピックそのものが悪いとは全然思っていない」と強調した上で、「そこは本当に一番間違えてほしくない」と訴えました。

 ただ、組織委員会などを含む大会主催サイドが、これまで通りのスタンスのままでいいのかというと、そうとも言い切れないようです。というのも、今回のオリンピック開催に従来のような一般の圧倒的支持がないのも事実だからです。

 この結果、有森さんは「非常に毎日、悩ましい日々を過ごしている」と胸中を明かしました。けだし、「社会との関わりの中で存在するオリンピック開催であれば、すべてに優先されるというのは、自分たちの勘違いではないか」と自問自答していると言い、「(そういうことを)今まで考えてこなかったところに、やはり『オリンピックが未熟だった』と凄く感じている」「本当の意味で、社会の中で論ずべき自分たちの存在意義を考えてこなかったことが、今露呈している」などと強調しました。

対談する有森さんと藤山編集委員

オリンピアンはエリートばかりか?

藤山編集委員

 他方、藤山氏も有森さんとは別の角度から、東京オリンピックの課題を探ります。藤山氏は自らの取材体験を通して、「オリンピックに無関心、反対と言う人たちは若い人が多い」と語り、若者たちの声に耳を傾けたのです。

 「どうして無関心なのか、若い人にいろいろ聞いてみると、『オリンピックに出場するような選手たちは、小さい頃からエリートで、特別に育てられてきたような人とばっかり。自分たちと全く住む世界が違う人なので、オリンピックは勝手にやってくださいよ』みたいな人が、とても多かったんです」と藤山氏。

 オリンピックに出場するアスリートは、本当に絵に描いたようなエリート選手ばかりなのでしょうか。藤山氏は対談を通じて検証を試みます。そのアンチテーゼともいえるのが有森さんの競技人生といえるからです。対談では有森さん曰く、「エリート街道とは無縁の、変な街道」の競技人生を振り返りました。

無名の存在から、一躍五輪の銀メダリストに

 翻って、有森さんが陸上競技の表舞台に登場したのは、1990年の大阪国際女子マラソンからです。初マラソンで2時間32分51秒の初マラソン日本最高記録をたたき出し、6位に入賞。2年連続で出場した翌年の大阪国際女子マラソンも、2時間28分1秒の日本最高記録で2位に入り、トップランナーの座を不動のものとしました。翌1991年夏、東京開催の世界陸上は4位。そして1992年夏のバルセロナ五輪女子マラソンで銀メダル獲得と、一気に世界の最高峰へ駆け上がるのです。

 この間、わずかに2年半。ところが、それ以前は本当に無名で、後の五輪銀メダリストが陸上競技界で注目を浴びたことは、ほとんどありませんでした。故障がちで、そもそも満足に走れなかったせいもあります。それ以前の有森さんは、どこで、何をしていたのでしょうか?

競技人生の始まりは「門前払い」から

 有森さんが陸上競技を始めたのは、岡山市の私立就実高校に入学してからでした。市内の公立中学校時代はバスケットボール部。ただ、有森さんは持久力に優れ、その特性を活かして校内運動会の800m走で3年連続優勝したと言います。それがきっかけで、バスケットボールから陸上に目を向け、「バスケの下手な自分より、走ってゴールテープを切れる自分の方がいい」と考え、陸上競技転向を決意したと振り返りました。

 しかし、高校生となった有森さんは、陸上部に入部を希望するも、同部の顧問から「素人はいらない」とあっさり門前払いされてしまいます。就実学園は中学・高校・大学の一貫校で、同高校の運動部は全国優勝したバレー部に代表されるようなスポーツ強豪校。中等部から内部進学した逸材がゴロゴロしていました。他校から入学した素人同然の有森さんは相手にしてもらえなかったのです。ただ、そこは後にマラソンで驚異の「粘り」を発揮する有森さんです。1か月かけて陸上部顧問の先生のもとに通い詰め、とうとう根負けした陸上部顧問から仮入部を勝ち取りました。

 そうまでして陸上をやりたい気持ちが強かった理由は何だったのでしょうか。有森さんは「頑張ったら人から評価され、自分の自信にもなったものが、運動会で走ったことが初めてだったんです。陸上がしたいというより、唯一走ることで得られた自信を手放せなかったんです」と話してくれました。

有森さんは、2年続けて登壇

トライアスロン転向を目論むも、あっさり頓挫

五輪メダリストの実話に学生は興味津々

 ただ、有森さんによると、高校時代は全くの鳴かず飛ばず。実績はゼロでした。国民体育大会やインターハイとはまるで無縁で、陸上部顧問の恩師の推薦で日本体育大学を受験した際は、面接官から「有森さんはどうしてこの大学に入れたんですかね?」と不思議がられる始末でした。大学入学後も、1年時に関東学生選手権大会で3000m2位に入賞し周囲を驚かせたことはあっても、またもや足を故障。やがて名門・日体大陸上部の中で、その存在を忘れられていきます。

 この間、有森さんは密かにトライアスロンへの転向を目論見ます。当時、トライアスロンにはまだ女子の第一人者がいなかったからと言いますが、要は「現実逃避」です。親からの仕送り10万円の大枚を全てはたいて、高額なトライアスロン用自転車を購入。転向計画の準備は着々と進展するかに見えたのですが、早晩、計画はあっさり頓挫してしまいました。「肝心の自転車が盗まれてしまい、いきなり目の前から消えてしまいました」。有森さんは、はっと我に返ります。その時の心境を、高額な自転車を盗まれた悔しさよりも、「自分は何をしているのか。何のために大学に進学したのか。走るためだろう」と振り返りました。

未来切り拓いた、小出監督との出会い

 卒業後は体育の教師になるつもりでした。高校と大学を通じて実績ゼロの自分に、実業団から声が掛かることは有り得なかったからです。そう頭では分かっていても、これまでの陸上競技人生に「不完全燃焼感」は拭えませんでした。そんな時に岡山市内の自宅に掛かってきたのが、リクルートの小出義雄監督からの一本の電話でした。後に有森さんが「小出監督の勘違いだった」と分かった監督からの電話が、有森さんの未来を切り拓きます。

 小出義雄監督は、女子選手育成に卓越した手腕を発揮する名伯楽として当時から知られていました。2019年4月に80歳で亡くなりますが、有森さんのほか、2000年シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さん、1997年世界陸上アテネ大会女子マラソン優勝の鈴木博美さん、2003年世界陸上パリ大会女子マラソン3位の千葉真子さんなどを育て、幾多のトップランナーを世に送り出しました。

 有森さんは、友人の紹介を頼りに手紙を通じて実業団のリクルートにアプローチ。小出監督は同社陸上部のマネージャーから入部希望の有森さんの存在を知らされたようです。電話での2人の会話は、小出監督が過去に有森さんと面会したことがないのに会ったものと勘違いしていたせいで、どうにもチグハグなものでした。結局、「多分、僕ね。物忘れがひどいから、思い出すかもしれないから、会ってみよう」ということになり、有森さんは翌日、千葉のリクルート合宿所の小出監督のもとに嬉々として向かいます。

小出監督との出会いが、飛躍のきっかけ

熱意を監督に認めてもらう

初対面で、小出監督が困り果てる?

 有森さんによると、1時間ほどの面談は「逃げ出したくなるような面談」だったそうです。小出監督は「有森さん、国体は何位?」「インターハイは?」などと質問を重ねますが、いかんせん、有森さんは高校や大学で実績ゼロ。ひたすら「入部したい」「これから実業団で頑張りたい」と熱意を強調して直訴するしかありませんでした。小出監督もようやく事情を呑み込めたようで、最後の方は困り果てていたと有森さんは述懐します。

 有森さんは「(僕の)勘違いだった。あまり情報がなかったから呼んでしまったが、ちょっと無理だよ」と小出監督が言ってくれれば、入部は諦めていたと言います。しかし、小出監督から返ってきた答えは意外なものでした。

 「有森さん、今うちね、いい選手が5人いる。高校チャンピオンや日本記録保持者、インターハイ・国体チャンピオン…。そうそうたるメンバー。素質や実績、肩書き…すべてパーフェクト。ただね、有森さん。人間は、どんなに素晴らしい素質や肩書き、実績を過去に山ほど持っていても、『これからどうしたい』『夢や目標を持っているか』ということが、本当に大事なんだ。それをね、有森さんは見事に持っている。僕もびっくり。これほど持っている人を目の前で初めて見た。もっとびっくりなのは、これだけ何も実績を持ってない人が、よくぞここにやってきたということ。その根拠のないやる気、とっても興味がある。僕はあなたの根拠のないやる気を形にしてみたい」。

 千葉での面談から2日後、岡山市の実家に帰っていた有森さんにリクルート社人事部から電話で採用の連絡が届きました。1989年、有森さんは日体大を卒業と同時に、晴れてリクルート社に入社しました。

悔しさバネに、マラソン転向

 入部後の有森さんは、1年目の秋にマラソンに転向します。当初は国体種目の1万メートルを目標に練習していましたが、岡山県の最終予選で優勝するも、陸上部が選手登録をしていなかったミスで失格。岡山県代表の夢は儚く消えました。しかし、陸上部から謝ってもらえるどころか、小出監督からは「お前に実績がないから、そういうことになるんだ」と突き放される始末。悔しさの余り、涙ながらに寮の自室の壁を足で蹴りながら、「今に結果を出してやる。今に見てろ。絶対忘れられない選手になってやる」と誓ったうえでのマラソン転向でした。

一日40キロの猛練習で才能開花

 転向後のマラソン練習は、1か月間で1200キロ、一日平均で40キロに達するハードなものでした。成人女性の一日平均摂取カロリーは1400~2000カロリーと言われますが、有森さんは「4000カロリーは普通に摂っていた。そうでないと痩せてしまう」と述懐します。

 また、バネがなくてスピードが出ない有森さんに、小出監督がタイムを要求することはなかったと言います。代わって小出監督が要求したのは、他人の倍以上のメニューの消化でした。小出監督から「お前な。42.195kmを全力で走らなきゃいけないから、その距離(40キロ)が普通にならなきゃいけない」と言い含められ、有森さんは「はあ?そうなんですね」と、さしたる疑問も抱かずに、毎日の猛練習に耐えていたそうです。

今年は教室で対面講義が実現

コンタクト片方で駆けたバルセロナ五輪

「銀メダルの実感は?」と対談で

 こうして転向後2年で迎えたスペインのバルセロナ五輪。結果は周知の通り、有森さんは銀メダルに輝きました。日本女子選手で64年ぶりのメダルです。対談では、当日の朝にホテルでコンタクトレンズの片方を失くし、片目だけでレースを走ったこと。また、沿道のスペイン語による「アニーモ」という声援を、自分のニックネームである「アリモ」と聞き違え、大いに気をよくしてコースを駆けたことが、エピソードとして紹介されました。有森さんは、藤山氏の「銀メダルを実感した時はいつ?」という質問に対し、「表彰式後にホテルに戻り、メダルを掛けたまま鏡に映る自分の姿を見た時」と語りました。

足の故障など、心身ともにどん底を経験

 しかし、バルセロナ後は栄光の競技人生が暗転。周囲との軋轢から心身のバランスを崩し、足のケガも重なって、スランプで走れなくなってしまいました。

 有森さんによると、バルセロナ直後は「優勝したエゴロワ選手の安定した走りに刺激をもらい、『私もあんなフォームを身に付けるんだ』『もっと筋力をつけるんだ』と、本人はモチベーションを失っていなかった」と言います。

 ところが、周囲の反応は全く違ったものでした。「これで引退できるね」「これからは指導者だね」などと、メダル獲得を花道に競技人生の引退を勧めるかのような接し方だったと言います。それが有森さんには疑問であり、不満でした。「自分はメダル獲得を契機にさらなる高みを目指すつもりなのになぜ?」。そうした周囲の接し方が我慢ならない有森さんでしたが、反発すると逆に誹謗中傷を受ける始末。タイミングが悪いことに、バルセロナ後は疲れから体はガタガタ、足の痛みも悪化し、記録は落ちる一方でした。もちろん、そんな「過去の人」の言葉に重みはありません。「これでは誰も私の話など聞いてくれない」と焦って走ると、さらに記録は落ち、ますます袋小路に陥ってしまいました。

 転機は足底筋膜炎の手術でした。手術は成功。再び走る意欲を取り戻し、翌1995年夏にアトランタ五輪の選考レースを兼ねた北海道マラソンに出場。大方の予想を覆して優勝し、アトランタ五輪への切符を手にしました。

 ただ、アトランタ五輪出場に賭ける気持ちは、無心で臨んだバルセロナ五輪とはまるで違いました。心身ともにどん底を経験した有森さんのみが知る固い決意を秘めていたのです。「何色でもいいから、何が何でもメダルを獲らなければならない」。それは「オリンピックは手段。決してゴールではない」という、自らの信念の正しさを証明するため必要なメダル獲得でした。自分の言葉に耳を傾けてもらうには「過去の実績ではなく、今の明確な実績が必要だった」と信じて疑わなかったのです。

「自分をほめたい」は、納得感から出た言葉

 そして迎えた1996年7月のアトランタ五輪。有森さんは再び女子マラソンのスタートラインに帰ってきました。4年間の紆余曲折を経て、たどり着いたスタートラインは「すごく気持ちのいい、変な緊張など何もない」という非常に落ち着いていたものだったそうです。結果は銅メダル。ゴール直後に、この年の流行語大賞にもなったあの言葉が生まれます。「自分で自分をほめたい」-。

 それは「単に銅メダル獲得という結果に対して出た言葉ではない」と有森さんは強調します。「オリンピックは、あくまで手段であり、ゴールではない」という、自らの信念を証明するため、どうしても必要な2度目のメダル獲得でした。対談では、あの感動の言葉がゴール直後に口をついて出たゴール直後の心境を「全てにおいて自分しか知り得ない内容を、求めるもの全てをクリア出来たという納得感から出た言葉だった」と明かしてくれました。

あの流行語大賞は、納得感から生まれた

「どんな状況でも、自分の思い大事に」

 対談の最後に有森さんは、学生の質問に応じます。その際、有森さんが語ったのは、「マラソンを走った経験がある?」と学生に尋ねた上で「(マラソンは)誰でも出来る。絶対に42.195キロを走れる。なぜなら、歩こうが止まろうが、前にさえ進めば、いつか42キロ先のゴールに絶対にたどり着けるからだ」というシンプルな事実でした。そして学生に訴えます。「できない唯一の条件があるとしたら、それはあなたができないと思っているか、思っていないかなのでは?」。

 学生たちとの質疑応答ののち、有森さんはコロナ禍で不安な日常を送る学生らにエールを贈ります。「人生も(マラソンと)一緒」と強調。続けて、「自分が自分の思いと、自分のプラスを消さないこと。それさえあれば、できないことはない」「どんな状況であっても常に、自分が自分という姿や思いを、ちゃんとあるかどうかを大事にしてほしい。そうすれば、いつでも、どんな状況でも、誰かがそれに気付いてくれるから、出来ないことはないと私は思っている」などと語りました。

学生の質問に答える有森さん
有森さん、藤山編集委員を囲んで
担当の深澤教授

深澤晶久教授の話

 藤山編集委員のお心遣いから生まれた有森裕子さんの特別講座、昨年は残念ながらオンラインとなりましたが、今年は教室で直接お話しをお聞き出来ることになりました。学生のアンケートからも、様々な有森さんのお言葉が響いたことを実感しましたが、なかでも「どんなに苦しくても諦めないことの大切さ」「自分の信念、いわば軸をしっかり持ち続けることの大切さ」そして、思うようにいかない場面では「せっかく」という言葉を頭につけることでどんなネガティブなこともポジティブなことに置き換わる「魔法のフレーズ」が特に印象的でした。貴重なお話しをありがとうございました。

2021年7月29日

コロナ禍時代の新コスメ製品を学生が提案!資生堂ジャパンと社会連携授業で最終プレゼンを行いました(6/18、6/25)

ニューノーマル時代にふさわしい資生堂の新製品を学生が考えるPBL(課題解決型)授業の最終プレゼンテーションが、資生堂ジャパン株式会社(東京都港区)と本学の社会連携授業として開催されました。同社プレミアムブランド事業本部の渡部卓明氏を特別講師に招聘(しょうへい)。12チームの学生がコスメ新製品のアイデアを競い、新型コロナウイルス感染拡大(コロナ禍)を契機に化粧品業界が直面する窮状の課題解決を目指しました。

 資生堂ジャパンとの社会連携授業は、大学2年生が対象の共通科目「実践キャリアプランニング」のなかで実現しました。文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育担当)が指導教授です。今年度は62人が履修しています。
 最終プレゼンは、6月18日と同25日の2回に分けて実施、6チームずつ発表しました。最終プレゼンに先立ち、各チームは渡部氏から「ニューノーマル時代のメーキャップ商品を開発し、その販売促進計画を考えなさい」という課題を与えられており、1チームが5~6人が約6分間、コロナ禍時代のコスメ課題解決に向けた提案を行いました。

資生堂ジャパンの渡部さん

コロナが生んだ「ニューノーマル時代」とは?-「マスクの時代」、なぜか「ジェンダーレス?」

 ただ、プレゼンを終えても、学生がホッとする暇(いとま)はありませんでした。渡部氏との質疑応答が引き続き行われ、資生堂の現役ビジネスパーソンが学生のプレゼンの弱点や矛盾点を鋭く質したからです。答えに窮した学生が立ち往生する場面も、一度や二度ではありませんでした。

【10グループ】

 そんな質疑応答の真剣勝負は、12チームのトップを切り発表した10グループのプレゼンでスタートしました。10グループは、ニューノーマル時代をマスクの時代と捉え、マスクによるメイク崩れを防ぐティントタイプのリップ「餅紅」を提案しました。学生との質疑応答の中で、渡部氏の関心は学生が考えるニューノーマル時代の定義に向けられます。

(渡部)「ニューノーマル時代を、マスクの時代と決めたのはなぜ?」
(学生)「コロナ禍になり、外に出るのにマスクが手放せないようになり、それで外出の機会が少なくなったのが、ニューノーマル時代だから」
(渡部)「今、国の政策もあり、どんどんマスクが普及している。感染が抑えられて、マスクがいらなくなったら、どうするの?」
(学生)「もちろん、マスクのある時代にも対応できると思うし、マスクのない時代にも落ちにくいリップは需要があると思う」
(渡部)「最後の質問です。マスクをしているのに、なぜ口紅を付けないといけないの?リップを付けないといけないの?しかも色付きで?」
(学生)「マスクをしていても外す瞬間はある。例えば、食事の時間。やはり、せっかく化粧をしたのに、ご飯で外した時に、すごく(化粧が)べろべろになっていたら、みんな嫌だと思う。そんなマスクを外した時も、きれいな顔になっていたいという意味です」

10班

 渡部氏は、10グループのプレゼンを「非常にシンプルに論理が組み立てられている」「楽しい提案」などと評価しつつも、改めて提案の意義を問い直します。それは「この新製品のリップを使うことをお客さんは何を喜んでくれるの。化粧が落ちないことや、ずれないことが、本当に嬉しい事なの。それって、いつも夏になると必ず言われることじゃない?」。その上で、学生が考えるニューノーマル時代の意義についても、「新しい時代や生活習慣が生まれて来ることをどう捉えるか。これからのビジネスチャンスとして、みんなが気付かないところにも、もう少し考察というか、観察を集中させると、もっと違うアイデアが出て来たような気がする」と論評しました。

【9グループ】

 10グループだけではありません。各チームが提案の土台とした「ニューノーマル時代」の捉え方は、質疑応答の中でも、とりわけ重きが置かれ、丁寧な検証が加えられました。このうち、ニューノーマル時代を「ジェンダーレスの時代」と定義して異彩を放ったのが9グループです。彼女らのプレゼンは、提案内容に加えて、ジェンダーレスの内容も議論されました。

 具体的には、9グループの提案は、ニューノーマル時代を「コロナとの共生」や「ジェンダーレス」な時代と定義したところに、他グループとの大きな違いがありました。加えて、その具体化に向け、9グループはアイシャドウとチーク、リップが一体化した3ウェイのマルチユースコスメを提案しています。衛生面や大きさの使いやすさに加えて、価格帯、男女関係なく手に取ってもらえるような配慮することで、「ニューノーマル時代にマッチしたメーキャップ製品を目指した」と説明しました。

 その際ですが、学生らはニューノーマル時代をジェンダーレスと規定した理由を「男性がコスメに手を伸ばす製品を考えたかった。そこで男性のメイクは今後減ることはなく、むしろ増えるはずと考え、ニューノーマル時代をジェンダーレスと考えた」と問題提起しています。

9班

 これに対し、渡部氏は学生のニューノーマル時代に対する捉え方を「コロナ流行のパンデミックがもたらした生活環境、生活習慣の変化と単純に捉えるべきではない」と論評しました。併せて、「『新たな常識が発生する時代がこれからやってくるよ』『その中の一つに、ジェンダーレスもあるよ』みたいな流れをつくり、説明すべきだったのでは?」と指摘。その上で、「これからのメーキャップの流行の中で、お客さんに受け入れてもらうとか、しかも男性も使っていくようなニューノーマル時代が、本当にトレンドになるのか。もう少し考えてみることが、皆さんのアイデアを深めていくことになる」と続けました。

カオスな提案内容をバッサリ!-「不思議ちゃん?」や「一体どっち?」

 プレゼンの提案内容についても、容赦ない渡部氏のチェックが入ります。内容がテンコ盛りすぎて相反する要素が混在するプレゼンのほか、メーキャップ製品なのかスキンケア製品か途中で分からなくなった提案、いつしかマスク販売に傾いたメーキャップ製品…。いずれも渡部氏により、カオスな提案の整理・検証が行われました。

【2グループ】

 このうち、内容にトレードオフな要素を盛り込みすぎ、「不思議ちゃん」と称されたのは、2グループでした。2グループは、時短メイクとして「塗って剥がせるアイシャドウ」を提案しています。お湯で流せてメイク落とし不要、細く書きやすいペン型の採用などの時短テクニックを提唱しました。

2班

 翻って、渡部氏から「不思議ちゃん」と指摘された部分は、顧客ターゲットや販促計画、ユニセックスのパッケージに関する説明でした。というのも、ターゲットを大学生から若い社会人とするならば、現実は「大学生活と社会人生活は、明らかな変化がある」からです。また、販促計画も「ECサイト中心としながら、ドラッグストアやバラエティーショップの売り場が大事」などと強調。加えて、パッケージも「男性も手に取りやすいものにする」と強調したことが、「『女性にとって化粧とは』を全体のトーンとしていたはずなのに、そこにいきなり男性モードが入ってきちゃう不思議さ」と指摘されてしまいました。

 渡部氏によると、同グループのプレゼンの不思議さは「相反する要素がいくつか、ぐしゃと、一つの中に入っているため、あれ?って思ってしまう」ことが原因とか。このため、「(相反する要素を)どっちか一つに決め、決めた方に必要なことだけをまとめて、もう一回プレゼンテーションをまとめ直した方がいい」と助言を受けました。そうすれば「本当に塗って剥がすアイシャドーが必要なのかどうかという本質が、もう少しクリアになると思う」とアドバイスを受けています。

【11グループ】

 また、「提案したのは、メーキャップ製品かスキンケア製品かどちらなの?」と問われたのは、11グループでした。11グループは、マスクによる肌荒れを防ぐ保湿効果のある製品として、スティックタイプとチューブタイプの2種類の製品展開を提案していました。これが「メーキャップ製品の開発が課題のはずが、結論として出てきたのはスキンケア製品ではないか」と受け止められ、説明を求められました。

 学生の答えは、「どちらも兼ね備えているが、保湿をメインとしているのでスキンケア製品と捉えて欲しい」というものでした。渡部氏は、そうであるなら「どこかで『これからのメーキャップのあり様はこのように変わる』という説明を入れないと、論理破綻を起こす」と指摘しています。

 加えて、プレゼンで製品計画のスライド中にあった「沢山の声」についても、渡部氏は「これは誰の声?」と質問。「私たちグループの中の声です」という学生の返答に「周りの人とか、友達に聞いてみなかったの?」と畳み掛けました。渡部氏が言いたかったのは、「(製品企画で)一番大切な、お客様が何を求めているのかというところが、自分たちの欲しいものを列挙しただけで終わっている」という趣旨のようです。

11班

【12グループ】

 同様に、12グループにも二者選択な質問が向けられました。「提案の中にメーキャップとマスクの2つの製品が出てくるが、この企画でどちらが今より売れるようになると思う?」。12グループはアイシャドウとマスクを一体的に扱い、「襲色目(おしいろめ)」で個性を出すメーキャップ製品を提案していました。渡部氏が教室の学生に挙手で意見を求めたところ、「メイクでなくマスク」という声が大勢。渡部氏は「マスク用品屋さんが喜ぶ提案だとは思うが、メーキャップが売れる理由がちょっと見つからない」と論評しました。

12班

 内実を明かせば、学生たちは「他のグループとの違いを、どうしても出したかった」のだとか。「『マスクも一緒に』というアイデアが出た途端、飛びついてしまった」と言います。渡部氏は「着眼点は面白いが…」としながらも、「結果が、私が期待していたものとマッチしていなかった」と残念がりました。

プロの創造力も大いに刺激!-「サボリーノ」の再来?自分受けメイク?

 もちろん、渡部氏のようなプロの感性や創造力をいたく刺激したプレゼンもありました。時短メイクの金字塔「サボリーノ」の再来を彷彿させる製品の提唱や、コロナ禍時代だからこその「自分受けメイク」の提案などです。

【6グループ】

 それによると、渡部氏をして「右側の脳みそを刺激してくれた」と評価された提案は、6グループの時短メイク「ペーストアイシャドウ」です。6グループは「タトゥーシールみたいにサッと貼れるアイメイクがあればいい」と考え、同製品を考案。渡部氏から「時短コスメのサボリーノのようになる可能性がある」と高評価を受けました。

 サボリーノは、「サボってもキレイでいられる」を実現する時短コスメブランドです。例えば、2015年に誕生した朝用マスク「目ざまシート」は、寝起き肌に60秒貼るだけで「洗顔+スキンケア+保湿下地」を完了することができます。

 このため、ペーストアイシャドウも「テレワークとかオンライン会話の前にペタッと貼り、完璧でなくても化粧している印象を、画面を通じて相手に与えられるなら、この製品のアイデアが活きる余地がある」と渡部氏から評価されました。実際、学生のアイデアがヒントとなり、「サボリーノは朝にマスクをぺたって顔に貼るだけ。これと同じぐらいインパクトのあるものができないか」という自身の創造力を駆りたてられたと明かしました。

6班

【8グループ】

 他方、8グループは、「良い思い出にいいティントを」をテーマに「自分受けメイク」を楽しむティントの新製品を提案しました。コロナ禍で化粧品全体の売上高が大きく落ち込むなか、それでも8割がマスク着用時もリップを付けているというデータに着目。外出自粛要請時もリップを付ける理由のトップが「自分が楽しむため」である事実を重視したといいます。

8班

 ただ、プレゼンの内容は、第三者に理解してもらうには、いささか難解すぎたようです。渡部氏は「『良い思い出』と『ティント』、『自分受けメイク』を楽しむお客さんの意識の繋がりが理解できない」と繰り返し尋ね、学生と質疑を重ねました。ようやく「何となく想像できる世界で言うと」と断りながら指摘したのは、「とりあえず自分が楽しんでメイクをするみたいな世界があるのは、何となく想像できた。(だとすれば)そこに徹底的にこだわる気持ちがあるのであれば、それはそれで一つのビジネスチャンスだ」という見解でした。

 「やはり、いい思い出を目指すのか、あるいは自分受けの何か新しいメーキャップを徹底的に考えるのか、その切り口の曖昧さがプレゼンで露呈した」と渡部氏は語りました。その結果、8グループのプレゼンを「見た目には非常に斬新だけれども、よくよく考えてみると、今一つビジネスとして成立するかどうか、ちょっと考えなくちゃいけない、危険なにおいのするプレゼンテーションでした」と論評しました。

「SNSは本当に万能?」-販促計画の効果を検証!企業コラボにも盲点あり

 新製品コスメの提案ばかりではありません。各チームとも、新製品の販売促進計画にも工夫を凝らしています。コロナ禍で実店舗販売が思うにまかせないなか、いずれのチームもSNSやECショップなどオンライン手段をフルに動員したのが特徴です。

 ただ、今回は販促手段として各チームが当然視するSNS活用について、その在り方が議論されました。実際、12グループのうち11グループが販売宣伝手段にSNS活用を盛り込んでいました。渡部氏は、今どきの学生の「常識」にも懐疑の目を向け、「みんなツイッターを使えば必ず情報は拡散できるみたいなことを言うが、本当にそうなの?すべて無視されてしまうツイッターもあるのではないか?」などと問い掛けました。

【5グループ】

 例えば、5グループです。5グループはZOOM映えを意識したマルチパレットやリップの製品化を提唱していました。しかし、改めて「通信販売、ネット販売をする理由は何か?」と問い直されました。

 学生らが、知恵を絞った答えは次のようなものでした。「現在、実店舗での売り上げが減っている。なぜ実店舗での売り上げが減っているかを考えたら、あまり人と接触したくないからだと思う。接触せずに購入してもらえるのが、ネット販売と考えた」。いささか無難な返答に、渡部氏もすかさず畳み掛けます。「皆さんは、化粧品を購入する時に試さずに買えるの?」。思わぬ問い返しに、学生らは顔を突き合わせて、しばらく鳩首会談。「今はテスターなどが使えないところが増えてきているので、製品などをインターネットで買うことが多い」などと、何とか切り返しました。

5班の2人
5班の3人

 渡部氏は、課題提示に際して「頭がちぎれるくらい考えなければいけない」と学生に呼び掛けていました。渡部氏は、このような質疑を経て「何となくみんなが考えたアイデアの奥底にあるストーリーが、ようやく浮かび出てきた」などと説明。「そういうところの互換関係みたいなことがきちんと整理されていないと、なぜこの方法を採るべきなのかということが、伝わってこない」などとアドバイスしました。

【4グループ】

 販売促進計画の企業コラボも、渡部氏の厳しいチェックを受けました。。その対象の一つが、4グループが提案する、まつ毛の超カールキープ製品「ラッシュアップJJ」の販促計画です。同グループは、製品のターゲット層に定めた10代~20代に対する販促の一環として、テーマパーク「サンリオピューロランド」(東京都多摩市)とコラボレーションを計画していました。

 サンリオコラボの是非を学生と検討するに当たり、渡部氏は自らのサンリオ体験を学生に紹介。それによると、サンリオピューロランドのファン層は、「ラッシュアップJJが顧客層として想定する10代~20代ではない」。その上で「キティちゃんのファンを総称してキティナーというが、調べると40代~50代が多い。皆さんがターゲットとする10代~20代とは少し違うのでは?」と続けます。渡部氏によると、「単純にこうしたコラボで強いのは、ゲームとのコラボが断トツ」なのだとか。「そこを、あえてサンリオとコラボするというところに何か意味があるなら、そこをもっと狙いとして深掘りしていかないと販促計画としては滑ってしまう」と注文しました。

4班

【7グループ】

 一方、販促計画の内容で評価が高かったのは、7グループの計画です。7グループは「フレッシュ、プロテクトタイプ」と銘打ち、ミストで化粧仕上げを行う新製品を提案しました。販売促進計画も、販売前と販売後分け、販売前に行うインスタグラムやLINE、ツイッター。販売後もインフルエンサー活用のほか、LINE広告や公式インスタグラム・ツイッターなどのSNSを使った抽選プレゼントを行うとアピールしています。

7班

 翻って、7グループのプレゼンは、販売促進計画の説明にスライド6枚を使うほど、力を入れているのが特徴です。ただ、渡部氏は同グループのプレゼンを「一個一個のピースというか、要素がうまく組み立てられている」と評価しつつも、SNS活用に限れば「皆さんは、インスタグラムとかLINEで宣伝するというが、見たくなるインスタ、見たいと思わないインスタとかあるのではないの?」と問題提起。その上で、「普通にスルーされちゃうインスタと、そうでないインスタとの違いを少し研究してみてはどうか」と注文しました。

 また、7グループの販促計画は、インスタグラムやLINE、ツイッターなどをフル活用するSNSの種類の多彩さも特徴です。渡部氏はSNSの数の多さについても触れ、「やはり、特性の違いを意識した活用をすべきではないか。そういう視点を持って考えれば、もう一段か二段、いいアイデアが盛り込まれたプレゼンになる」とアドバイスしました。

「エッセンスが存在」「メイクの新たな意味が感じられた」-最優秀の資生堂賞

 最優秀の資生堂賞は、こうした白熱した議論を経て、18日のプレゼン前半は1グループ、25日の後半は3グループに贈られました。渡部氏によると、1グループは、そのプレゼンが「普通に聞くと、ちょっとつまんない提案ではあった」。しかしながら、「その中に何かエッセンスが存在していて、そこを資料の中に盛り込んでいた」と言い、評価できると語りました。
 これに対し、3グループのプレゼンは「提案としてしっかりしていた」点が、高評価につながりました。加えて、「全般を通して、これからの新しい時代をどう想定しているかが感じられ、コロナ禍のなか、メーキャップをする新たな意味に何かしら手を入れようとする行動が感じられた」などのプラス評価も考慮されました。

【1グループ】

 このうち、1グループはマスカラやリップティント、メイクキープミストを提案しています。それぞれ▼マスカラは、フィルムタイプでカールキープされるがお湯で落ちる▼リップティントは、保湿成分配合でマスクをしていても落ちず、付かない▼メイクキープミストは、マスクによる崩れ防止や乾燥・肌荒れ防止-などが特徴です。

 渡部氏は、1グループの提案に「皆さんのプレゼンには、気付いているかどうか分からないが、新しい問題の発生と、それに対してビジネスチャンスがあるということに、ちゃんと触れている」と他グループにはない評価を与えました。というのも、「コロナ禍でメーキャップをしなくなれば、それを放置すれば、化粧品業界は潰れてしまう」と強調。「やはり別の形でメーキャップをするためのモチベーションとか意味を、お客さんに与えていく必要がある」と続けました。

 また、渡部氏が提案に対して「新しいモチベーションを作り出すトライを感じた」ことも、学生には幸いしたようです。学生は、今回の評価に「おうちの中やリモートでは、メイクが濃くても画面上だと相手には分からない。そういうところで出来るメイクを楽しんでもらいたいと提案した」と振り返ります。余談ながら、これは8グループが提案した「自分受けを楽しむメーキャップ」と、どこか相通じるアイデアともいえます。

1班

【3グループ】

 一方、3グループが提案したのが、男性向け化粧品の展開です。例えば資生堂の調査などによると、メンズメイク未経験者の約9割が「してみたい」(20~50代男性)と考えており、女性も約9割が「メンズメイクに抵抗なし」と回答しています。同チームの提案は、こうしたメンズメイクに関する最近の男女の意識の変化に注目。それをベースに提案を組み立てたといえます。

3班

 それによると、質疑応答の際に議論されたのが、男性がメイクをする意味でした。例えば、渡部氏は「なぜ男性がメーキャップ製品に興味を持ち、(女性からみても)使わないといけないと思うか」などと学生に問い掛けています。学生が「メイクの意味は、人との関係性の中で存在する自分の自己表現だから」と返答すると、すかさず渡部氏も「メーキャップは、人と人との関係の中で存在していることに意味がある」などと語り、学生の意見に同意。「おそらくニューノーマル時代は、人間関係が変化する中で、自分がどう表現すればいいかを模索しなければならない時代だ」などと自説を展開しました。

 続けて、渡部氏はプレゼンの構成の変更を学生に提案します。即ち、「メイクによる効果を列挙したスライドを、メンズメイク未経験者の9割がメイクをしたいとする円グラフのスライドの直後に持ってきてはどうか」。その上で、「(入れ替えた後で)すべてのストーリーを考えてごらん」と提案しました。それで、どんな効果が期待できるのか。渡部氏は「具体的に、どういう製品にしなければならないか、すべてが変わってくる」などと語り、「もっと皆さんのアイデアに張りが出てきたり、思わぬ考えや新しい発見が出てきたり。そんな違ったアピールができそうな感じがした」と強調しました。

集合写真①
集合写真②

資生堂・渡部卓明氏の話

 皆さんが、これから社会に出てマーケッティングとか、そういった仕事をする素晴らしさは、何か一人のアイデアが、組織の中の隣に座っている人とか、同じグループで働いている人たちを動かし始めることにあります。そして、グループの意思が部門の意思となり、それがやがて事業本部だとか、会社の意思になり、だんだん世の中に広まっていく。最終的には、たった一人が考えたことが、数十万、数百万の生活者とか影響を与えていく仕事に、これから皆さんは携わるチャンスがあるわけです。これは素晴らしい機会だと思います。是非、これから学ぶ時間が数年間あると思いますが、大学の時間を使っていただいて、社会でまた楽しい経験ができるように頑張っていただきたいと思います。

深澤晶久教授の話

例年、本授業の後半では、企業にご尽力いただき、PBL型のワークショップを実施しています。今年は、例年に比べ、学生の授業への取り組み意欲の高さを感じたことから、よりリアルなテーマに挑んでもらいました。結果としては、私の期待を上回るアウトプットがあり、充実した授業となりました。対面でスタートし、途中オンラインに切り替わり、そして終盤、再び対面と、目まぐるしく環境は変わりましたが、学生達は、その期待に見事に応えてくれたと振り返っています。そして、何より、資生堂渡部氏の鋭いフィードバックもあり、学生が対応に苦慮する場面もありましたが、渡部氏が、学生ではなく、資生堂の社員のように応対してくれたことに感謝するコメントも多く、授業のためのPBLではなく、いわばインターンシップレベルの内容で実施出来たと思います。資生堂の渡部様に、心から感謝いたします。

深澤先生も対面授業で熱がこもる

2021年5月21日

「アスリート×女性×食事」をテーマに!柔道家として世界を舞台に活躍されてきた佐藤愛子准教授(東京女子体育大学)が本学で講演を行いました(4/30)

健康栄養専攻4年次の「総合演習」(奈良典子准教授 スポーツ栄養学研究室)では、さまざまな現場で活躍する栄養士や専門家の方々をお招きし、ゲスト講義を行っています。2021年4月30日に実施された授業では、柔道家として世界を舞台に活躍されてきた佐藤愛子准教授(東京女子体育大学)をゲストに、減量時の壮絶な経験談、アスリートと栄養士・管理栄養士とのより良い関係性などについて講演を行っていただきました。

現役時代の過酷な減量

優勝するという輝かしい成績を残されてきました。しかし、大学4年生になるまでは52kg級というひとつ下の階級で大会にのぞんでいたことから、減量にはとにかく苦しんだといいます。

「アスリート×女性×食事」をテーマに語る佐藤先生
熱心に聴講する対面参加の学生

1か月で8kgも落とす過酷な減量により、ついには歯のエナメル質が解けることに

当時、佐藤先生のオフシーズンの体重は60kgでしたが、これを大会前の1か月ほどで8kgも減量。高校時代までは激しい練習に加え、減量着を用いることで容易に減量できたそうですが、大学入学後は筋肉量が増えたこともあり、次第に難しくなっていったそうです。
 そこで絶食や脱水、下剤の服用など、無理な減量を行うようになっていったと、佐藤先生は話します。そのほかにも長時間にわたってガムを噛み、唾を出すことで体内の水分を強制的にしぼり出すことをくり返しました。その結果、月経異常が起こり、生理は年に2回程度に減少。ガムを噛みすぎた影響で歯のエナメル質が解けるという悪影響に直面します。極度の空腹と脱水から、試合でもベストなパフォーマンスを発揮できず、日常生活においても常に気持ちがはりつめ、生きている感覚すらなかったと、当時を振り返りました。

苦しみぬいた減量の末に気づいた、食事を通じた体調管理の大切さ

こうした体験をきっかけに、佐藤先生は57kg級への転向を決意します。そのタイミングで、「総合演習」を担当している本学の奈良典子先生との出会いなどもあり、アスリートがパフォーマンスを向上させるためには食事が大切であることを痛感。骨密度の低下にともなうケガ、女性ならではの月経異常、摂食障害につながる危険を防ぐ観点からも、日頃から食事の内容と質を重視すること、栄養に関する正しい知識をもつことの必要性を強く感じたといいます。
 さらに佐藤先生は、国際的なスポーツ大会で自分が受けた厳正なドーピング検査を例に挙げながら、アスリートは薬局で売っている風邪薬ですら、成分によっては摂取できないことがあると話しました。そうした意味でも普段の食事を通じた日常的な体調管理が非常に重要で、これを実現していくためには、栄養のプロである栄養士や管理栄養士の存在が欠かせないことを、学生たちに教えてくださいました。

食事の大切さを伝える佐藤先生と奈良先生
チャットからの質問に回答する佐藤先生

栄養士・管理栄養士に求められるのは、体だけでなく心も満たす栄養指導

続いて授業は質疑応答へ。学生から寄せられた質問に、佐藤先生が丁寧に答えました。特に、7月にチェコで開催されるオリエンテーリング世界大会に参加予定の学生に対しては、競技で最大限に力を発揮できるようエールを送ってくれただけでなく、その国でしか味わうことのできない食べ物を実際に食べてみることの大切さも教えてくれました。
「アスリートの立場から見た信頼の置ける栄養士・管理栄養士とは?」という質問に対して挙げたのは、「アスリートの心に少しでも寄り添ってくれること」という条件でした。苦しい減量と向き合っているアスリートの悩みに「そうだよね、わかるよ」と共感してくれたり、「こうしてみたら?」と新たな提案をしてくれたりと、教科書通りの栄養指導に加えて、心までサポートしていくこと。食事とは身体だけでなく、心を満たしていくものであることを忘れないことが、両者にとってより良い関係性を築いていくために重要だと話してくれました。

質疑応答に続き、佐藤先生による迫力のある柔道のデモンストレーションを学生は体験し、たいへん有意義な授業となりました。

2021年4月14日

スポーツニッポン新聞社と今年度の社会連携授業スタート!お題は「オリパラ開幕日の一面紙面」(4/13)

スポニチの一面模擬紙面を学生が考える本学キャリア教育恒例の社会連携授業が4月13日(火)、2021年度の検討をスタートさせました。7月13日の最終プレゼンテーションに向け、学生が5チームに分かれ、渾身のアイデアを競います。

検討のキックオフに伴い、講師でスポーツニッポン新聞社の藤山健二編集委員から、今年度のテーマ「2021年7月23日のスポニチの1面を考えてください」が与えられました。新型コロナウイルスの感染拡大(コロナ禍)で1年延期された「2020東京オリンピック・パラリンピック」開幕日に焦点を当てたお題です。藤山編集委員は、テーマ出しに際して「コロナウイルスで大変な世の中ですが、皆さんの力で明るい紙面を作っていただけることを期待します」と学生に呼び掛けました。

スポニチ紙面を使い講義する藤山講師

授業は、渋谷キャンパス704教室で行われました。藤山編集委員にとり2年ぶりの対面授業です。昨年度と違いZOOM画面に向かってではなく、教室のホワイトボードを背に学生らに向かって教壇に着席。履修する学生26人に対し、マスク越しに紙面作成に必要な東京オリンピック・パラリンピックの予備知識を講義しました。

社会連携授業を説明するスポニチの藤山編集委員

本学とスポーツニッポン新聞社の社会連携授業は、今年度で4年連続となりました。文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育担当)が担当する「国際理解とキャリア形成」のなかで実施しています。大学2~3年生が対象のキャリア教育共通科目です。

 5チームは、1チームが5~6人。履修者に関心のある国をアンケート集計した結果をベースに学部・学科の垣根を越えてチーム分けされています。今年度は「アジア・オセアニア」「アメリカⅠ」「アメリカⅡ」「ヨーロッパⅠ」「ヨーロッパⅡ」の5チームでミッションに取り組みます。

深澤晶久教授の話

毎年、学生の関心の高い科目で、今年も定員の3倍の希望者の中から選抜されました。この授業は、スポーツニッポン新聞社様とのコラボで進行する「オリンピック・パラリンピック連携講座」と、“机上の世界一周旅行”と称してレクチャーやゲスト講演で組み立てられる「国際情勢をまなぶ講座」の2つの柱で構築されています。
 新型コロナウイルスの影響で、グローバル化も「東京2020」も大きな影響を受けました。そのような時代の変化も見据えつつ、学生の主体性を磨き上げるというゴールに向かって動き出しました。毎年感じる学生の成長の姿を、今年はリアルにみられることがとても楽しみです。

2年ぶりに教室にリアルが戻ってきました

スポニチ Sponichi Annexにも掲載されました