「スポーツ栄養学a」の授業で元朝日新聞記者によるスポーツとメディアの関係について特別講義が行われました。
7月2日に「スポーツ栄養学a」(担当:生活科学部食生活科学科 奈良典子准教授)の授業で、元株式会社朝日新聞社の記者の安藤嘉浩氏による特別講義が行われました。スポーツ記者として長く取材をしてきた経験から、スポーツとメディアの関係を詳しく紹介。学生たちにとって、これからのメディアの在り方や新しい気付きが多い講演でした。
元球児が高校野球を取材
安藤氏は朝日新聞で記者をやって33年。朝日新聞時代から主に野球を担当されており、高校野球を中心に取材。球児だった安藤氏にとって憧れの地であった甲子園に記者として関わることができ、「夢が叶った」と語りました。
その後、柔道も担当するようになり、2004年にはアテネ五輪の取材も行いました。「そのときに奈良先生とご一緒したんです」と、当時管理栄養士として選手団に参加していた奈良准教授との出会いを説明。自身のダイエットの助言ももらったと笑いを交えて話されました。
メディアとともに発展したスポーツ
「さて皆さん、ニュースって何でチェックされますか」と安藤氏は問いかけました。学生のほとんどはインターネットと回答。テレビや新聞に手を挙げた学生は少数でした。インターネットも新聞社のサイトなどではなく、yahooなどでチェックする人が多数でした。安藤氏は「それでも、大学生のなかでも信頼感という意味ではNHKの次に新聞という調査結果が出ています」と新聞は高い信頼を持っている情報源であることを確認しました。
安藤氏はメディアとスポーツの発達を並行して説明。新聞は印刷技術が発達して明治初期に誕生したメディアです。時を同じくして近代スポーツも日本に伝来してきました。1915年にはストックホルム五輪に日本初参加し、前後する時期にラジオが普及。戦後テレビが放送開始し、1964年の東京五輪では初の衛星放送が導入され、世界どこにいてもリアルタイムに見られるようになりました。そしてカラーテレビから時代はインターネット配信が主流になっています。「去年はネット配信で高校野球が地方予選からすべて中継を見られるようになった」と話されました。
新聞社が主催して高校野球は始まった
話は高校野球の話題へ。高校野球は1915年に初開催されました。「実は朝日新聞が主催です」と安藤氏。当時野球人気は高まっていたものの、地方予選を開催したくとも競技団体が存在せず、まとまって大会を行うことが出来ずにいました。そこで全国に通信網がある新聞社がハブになることで開催が実現。新聞にはたくさんの記事が書かれ宣伝となり広まっていったのです。
「これには関係者たちの思惑があります」と安藤氏。野球の発展を目指す野球経験者を始め、沿線の開発を目指す阪急電鉄や、販路拡大したいスポーツ用品企業などが朝日新聞に主催を依頼したのです。朝日新聞自身も部数競争に勝つために大会主催を決断しました。それまで新聞は戦争の報道を知るためのメディアとして主に利用されていました。戦後になり、次に人気があるニュースがスポーツでした。スポーツを伝えることは新聞社にもメリットが大きいのです。Jリーグや2021年に開催された東京五輪なども多くの新聞社が支援しています。
ただ、メディアには大きな影響力があり、スポーツのルールを変えてしまうことも。バレーボールのラリーポイント制や、バスケットのクォーター制はテレビ中継の都合と言われており、「それがはたして正しいのか。スポーツの発展に寄与していればいいがそうとも言い切れないところもある」と安藤氏は語りました。さらに注目の大会の放映権料は年々高騰を続けています。2022年に開催されたサッカーワールドカップでは200億円とも。日本ではネット配信企業が放映権を取得しましたが、契約者しか見ることが出来ず、安藤氏は「見たい人しか見られなくなっているのも良いのかどうか、今後の課題です」と話されました。
新聞記者は「歴史を残す」仕事
安藤氏は「新聞記者は歴史を残す仕事」と先輩記者に言われたことを紹介。「昔の書物を見ることで、昔のことが分かります。歴史を残すと思って記事を書いている」と話し、同時に「報道は公平でなくてはいけない。はたしてちゃんと報道できているのは懸念があるまま今に至っている。僕らも注意しながら記事を書いています」と話しました。
とはいえ、うまく伝わらないことも。高校野球部の女子マネージャーを取材した際、毎日部員におにぎりを作るため進学コースを一般コースに変更したことを美談として取り上げたとき、それは正しい在り方なのかと「今でいう炎上」したと話しました。「いろんなことを理解し、勉強して記事を書かなくてはいけない」と真剣に語りました。
様々な一流アスリートを取材した経験から学んだことは、何事にも努力する姿勢やいつも前向きであることなど。そして、彼らに話を聞くときには食事に誘うのが定番だったと言い、「栄養や食事に関することは人々を豊かにすること。勉強したことを活かして頑張っていただきたいと思います」と、食生活科学科の学生たちにエールを送りました。