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2025年10月23日

企業の美意識を知る!国文学マーケティングプロジェクトの授業で、資生堂企業資料館館長大畑昌弘氏による講演が行われました。

10月2日(月)に国文学マーケティングプロジェクト(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)にて、株式会社資生堂(以下資生堂)資生堂企業資料館館長の大畑昌弘氏をお招きし、企業の歴史と理念についてご講演をいただきました。国文学マーケティングプロジェクトは、文学部国文学科を対象に開講されている専門教育科目です。日本文学とかかわりの深い企業を主体的に調査研究することで、マーケティングと文学の関連性を意識し、学科で学ぶ意義をより深めていくことを目的としています。

講演のはじめに大畑氏は、「資生堂は『変わらないために変わり続けてきた会社』」と紹介し、「『世のためにという思い』『いつの時代も〈本物〉を造り出そうとしたこと』『創り出した〈本物〉の価値をきちんと届けること』この3つのこだわりを大切にしてきました。今回の講演で、それを感じていただけたら」と述べました。

資生堂企業資料館について

静岡県掛川市にある資生堂企業資料館。1992年に設立され、創業当時から今につたわる貴重な資料の保存・収集・展示を行っています。
設立のきっかけは、1972年に社史である「資生堂百年史」を編纂したこと。
資料収集を行う中で、統一された収集ルールと保管システムが求められ、企業資料の長期保存を目的に資料館が企画されました。

「資生堂企業資料館」公式サイト
https://corp.shiseido.com/corporate-museum/jp/

「資生堂企業資料館オンラインツアー」
https://corp.shiseido.com/jp/company/museum/

資生堂の創業

資生堂は1872年、福原有信が日本初の民間洋風調剤薬局として創業しました。1888年には、日本初の練歯磨〈福原衛生歯磨石鹸〉を発売。当時としては高価格でしたが、科学的な機能性や高級感を打ち出し、大きな成功を収めました。大畑氏はこれを「資生堂の本物志向や高品質へのこだわりが表れた商品」と紹介しました。

1897年には、資生堂初の化粧品〈オイデルミン〉を発売。赤い化粧水をガラス瓶に詰めたこの商品も高品質を追求したもので、「資生堂の赤い水」として評判を呼び、資生堂を象徴する存在となりました。

資生堂パーラーについて

資生堂のDNAである「先進性・高品質・本物志向・西洋風」を象徴する事業が、化粧品会社が飲食店を経営するというすこしかわったビジネスである、資生堂パーラーです。1900年、創業者・福原有信はパリ万博視察の帰路にアメリカを訪れ、ドラッグストアで人気を博していたソーダ水に着目。日本でも導入を決断し、機材だけでなくグラスなどの食器もすべて本場から輸入しました。本物へのこだわりが「まるでアメリカにいるよう」と評判を呼び、休日には遠方からも人が訪れる一大名物となりました。

これが発展し、1928年に薬局から独立したレストラン〈資生堂アイスクリームパーラー〉が開業。西洋料理の草分けとして人気を集め、高級志向と本物感を追求する場は文化人のサロンとしても機能しました。当時の小説に「資生堂」や「パーラー」が登場するほど文化的存在感をもち、その洗練されたイメージは資生堂全体のブランド形成に大きく寄与したと紹介されました。

「美と文化の発信者」という企業文化の確立

資生堂の美の提案意識を確立したのは、創業者の理念を継承した初代社長・福原信三でした。画家志望から家業を継ぎ、アメリカで薬学を学んだ信三は、1916年に意匠部と試験室を設立。パッケージや店舗設計、研究開発の体制を整え、現在の研究拠点の礎を築きました。また、鷹の図柄を廃し〈花椿マーク〉を考案、1927年には「資生堂書体」を制定するなど、時代に先駆け企業ブランディングを実施。資生堂のイメージの定着を図りました。

さらに、〈資生堂ギャラリー〉を開設して若手芸術家を支援し、美容科や子供服科を通じて総合的な美容文化を提案。文化情報誌〈花椿〉では、最先端の生活文化の発信と共に、時代の波によって刷新されていく新しい女性像を発信しました。大畑氏は「資生堂は単なる化粧品会社ではなく、文化を創造し生活に彩りを与えてきた」とまとめました。

資生堂の発展

二代目社長・松本昇は、震災や戦争の動乱期に資生堂の価値伝達の仕組みを経営的な側面から確立しました。大畑氏はその具体例として、「品質本位主義」など社員の精神を示す〈五大主義〉や、社員が本物の価値を届ける〈ミス・シセイドウ〉などの取り組みを紹介。

特に重要と話すのが、1923年導入の〈資生堂連鎖店(チェインストア)制度〉です。これは「お客さま・小売店・資生堂が共に栄える」という〈共存共栄主義〉の実践であり、乱売(大変安く売ること)されがちだった化粧品を契約小売店で正規価格のみ販売する仕組みでした。震災で販売網が打撃を受けた中、新しい販売経路を築く狙いもありましたが、資生堂の高級志向のブランドイメージが信頼を呼び、業界の冷笑をよそに契約は年間目標200件に対して1700件を突破。ピンチをチャンスに変え、資生堂の価値を世に広く伝える契機となりました。

時代に合わせた変化

資生堂は戦争で化粧品が奢侈品に指定され生産販売ができなくなった時代も、形を変えて存続しました。戦後では日本初となるカラーポスターを発表し人々に希望を届け、1960年代には特色ある販売キャンペーンを展開。その中で生まれた広告では「上品で清廉な資生堂スタイル」に対抗し、女性自身が求める新しい女性像を提示する「反資生堂スタイル」が登場しました(「太陽に愛されよう」ポスター)。さらに1980年代には「サクセスフルエイジング」を掲げ、老いを前向きにとらえる視点を社会に広めます。近年も、2011年の東日本大震災支援や、2020年のコロナ禍で手に優しい消毒液を開発し売上の一部を寄付するなど、社会の困難に寄り添う取り組みを実施。資生堂は災害や疫病の時代にも「できること」を模索し続け、常に時代に応じた価値を発信し続けています。

本物の価値を創造し、それらを伝えるため、時代や社会に合わせて様々な変化に挑んできた資生堂。大畑氏は「私も『今の私にできることを精一杯やろう』という気持ちで常に活動している。その中で何かしら皆さんや社会に寄与する会社でありたい」と、社員としての在り方を述べ、講演を終了しました。

鑑賞と質疑応答

講演の最後には、資料館から持参された貴重な品々を間近で鑑賞する時間が設けられました。会場では、大畑氏の解説を受けながら、1897年に販売が始まった化粧水「オイデルミン」のレプリカや、シーンに合わせたメイク方法を紹介する「ビューティーチャート」などが紹介されました。なかでも注目を集めたのは、日本で初めて女性ホルモンを配合したクリーム「ホルモリン」です。容器には、繊細な装飾と資生堂の花椿のロゴが施されており、大畑氏は学生に「率直な感想を聞きたい」と問いかけました。学生からは「小さくてかわいい」「ロゴのワンポイントが素敵」などの声があがり、大畑氏は「今の感覚を知りたかったのですが、やはり“かわいい”と感じてもらえるのですね」と満足そうに話しました。

ビューティーチャートを説明する大畑氏
オイデルミンのレプリカを撮る学生
ホルモリンを近くで鑑賞する学生たち

その後の質疑応答の時間でも活発な意見交換が行われました。

学生から「働いている人の男女比率はどのくらいですか?」という質問が出ると、大畑氏は「美容部員を含めると女性が8割。含めなくても5:5か4:6くらいで女性が多いと思います」と回答。学生たちは、その割合が予想以上だったのか、驚いた様子を見せていた。

また「館長の仕事はどのようなことをしているのですか?」という質問には、「開館日・閉館日にかかわらず、見学案内や問い合わせの対応、資料整理や資料の貸出など、資料館ならでの仕事をしています。同時に複数の業務を並行して行うことも少なくないので、メンバーやアシスタントさんたちに対応いただくタスクの優先順位を決めたり、館内における基本的な決裁も私の仕事ですね。」と説明しました。

今回の講演は、文化にも寄与する企業の意識に触れる貴重な機会となりました。

担当教員からのメッセージ

国文学の学びと企業活動を結び付けて考えることをコンセプトにした本講座も6年目を迎えました。
本講座には、資生堂と叶匠寿庵の2社にご協力をいただいて授業が進行していきます。
まずは、資生堂企業資料館の大畑館長からの講話をいただきました。150年を超える長い歴史を持つ資生堂、常に時代の先導者として、「美」へのこだわりを繋ぎ続けてきた社員たちの深い思いがあります。
そして、近代文学の中にも数多く登場する資生堂パーラーなど、国文学の学びが、企業の歴史の中に散りばめられていることを改めて学びました。大畑館長には、この場を借りて心から感謝申し上げます。

2025年10月16日

食品衛生学bの授業で、サントリーブレンダー室長の明星嘉夫氏の特別講演が行われました。

9月29日(月)に食品衛生学b(担当:食生活科学科 大道 公秀 准教授)にて、サントリー株式会社(以下サントリー)スピリッツ・ワイン開発生産本部、ブレンダー室長の明星嘉夫氏をお招きし、サントリーの品質管理と、明星氏ご自身の経験から得たキャリア観についてご講演をいただきました。

明星氏はサントリーのウイスキーの生産と管理を担うブレンダー室長です。技術開発部で蒸溜などの商品技術開発に長く携わり、ブレンダー室に異動後はスコットランドでウイスキーの研究を経験されました。現在、山崎蒸溜所に勤務されている明星氏。山崎蒸溜所は、サントリーがウイスキーを蒸溜開始した1924年から稼働する、100年以上の歴史がある拠点です。

ブレンダーとは

明星氏はブレンダー室について「簡単にいうと、原料を組み合わせ、樽に眠る原酒をよりおいしくしていく部署」と紹介し、ウイスキーの製造や商品開発を担当していると述べました。そして、「ブレンダー」とは、ウイスキー製造の要である「ブレンド」という工程を担う社員のことを指します。五感を駆使して品質を管理するプロフェッショナルです。さらに「サントリーには約160万丁の樽があり、それぞれ熟成の状態が異なる。その一つひとつを社員が手作業でテイスティングし、原酒の状態を確認している」と説明しました。

「山崎」ブランドページ〈ブレンダーの仕事とは〉:https://www.suntory.co.jp/whisky/yamazaki/yamazaki_club/006/

サントリーの品質管理について

明星氏は、品質方針である「All for the Quality」を説明しました。質を最優先する管理体制を強調し、法律の基準のほかに独自の自社基準を設定していることを説明。両者をクリアした商品が世に送り出されていることを紹介しました。また、商品の製造プロセスの中でも、調達と製造が特に重要であると述べ、実際に行っている品質管理の取り組みについて説明しました。

具体例として、ウイスキーの製造プロセスの一つである発酵を取り上げました。明星氏は、ウイスキーの発酵中に酵母の数と微生物の数のバランスが崩れてしまう状態を「汚染」と呼ぶことを紹介し、品質を守るためには汚染を避ける必要があることを説明。「汚染状態になると酸っぱくなったり、腐敗した匂いを発することもある」と変化によって引き起こされる味の変化について述べ、「数値を測定するとその変化がわかるため、定期的に検査を実施している」と実際行われている品質管理の体制を紹介しました。

キャリアについて

明星氏は、就職活動について自身の経験を踏まえた考えを共有しました。「環境変化の早い業界では将来を見通すことが難しい」「業界ごとに傾向が異なるため、自分に合った選択が必要」「自分の価値を高めるには、自分がユニークな存在になれる場所を選ぶことが大切」と、身を置く場所によって自分の価値も変わることを示しました。

続いて、仕事への価値観について触れ、「どんな企業でも暗闇は迎えるもの。明けない夜はないと考え、社会のために自分ができることを選択してきた」と述べました。ウイスキー販売の低迷期に入社した経験に触れながら、先行きが不透明な中でもウイスキーのために働き続けたことを紹介。「なんのため働くか目標は変わっても、本質的な姿勢は変わっていない」と振り返りました。

明星氏はキャリアを重ねる中で「価値の軸」が変化した経験も共有しました。かつては技術開発のスキルや専門性を重視し、「人と関わることは苦手で、マネジメントの技術も重要視していなかった」と回想。しかし海外勤務の経験と、帰国後にマネジメント業務に携わるようになると、価値観は大きく変わりました。「苦手だと感じていた業務が仕事の中心となり、当時は大変だったが、確実な自己の成長を実感できた。それまでは自分のことを第一に考えていたが、次第に周囲を第一に考えるようになった」と述べ、さらに「自分のためではなく、人のため、集団のために行動することに価値を感じる新しい自分と出会うことができた。人が働く理由は自己実現だけではない」と語りました。

講演の最後に

最後に学生へのメッセージとして、「人として魅力ある社会人であることは、結果的に幸せな人生につながる」と述べました。具体例として、挨拶や誠実さといった基本的な行動を挙げ、「当たり前のように思えるかもしれないが、実は大切なこと」と強調しました。さらに「社会人としての姿勢を支えるのは、人間としてのあり方であり、その積み重ねが最終的に人生の幸福につながる」と呼びかけ、学生に向けて「この視点をもって今後の進路を考えてほしい」と結びました。

担当教員からのメッセージ

今回、明星様には食物科学専攻3年生の「食品衛生学b」の授業内での講演をお願いしました。食物科学専攻の学生は食産業に係るフードシステムや食品企業で商品開発に興味をもつ学生も多いため、明星様の講演を私たちはとても楽しみにしていました。明星様には、ウィスキーを例に挙げて、サントリー株式会社における品質保証や商品開発の取り組み事例をご紹介いただきながら、サントリーにおける食に関わるビジネスの展開について語っていただきました。産業界における品質保証の具体的事例を学ぶことは、「食品衛生学」の一環としても意義があったと考えています。また明星様にお話しいただいたウィスキーを例にした商品開発のアプローチは、食品ビジネスに関わる仕事がどのようなものかを知る機会になったと考えています。これらは食物科学専攻の学びとして大変意義深いものでした。授業の後半では、明星様にはキャリア形成についても語っていただきました。就職活動をこれから本格化していくような学生には大変参考になったと思っています。

教室では、熱心にメモをとり、うなずきながら聴講する学生の姿も見受けられ、担当教員として嬉しく思いました。 

明星様には、お忙しい中、貴重な講演の機会を設けていただきました。本当にありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

2025年7月18日

巡礼を通し本当の「ホスピタリティ」を学ぶ。「国際理解とキャリア形成」の授業でサンティアゴ巡礼を通じた国際交流の特別講演が行われました。

共通教育科目「国際理解とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、5月20日に元株式会社資生堂の社員だった片山琢美氏、杉山祐一氏をお呼びしての特別講演が行われました。サンティアゴ巡礼の経験を通して感じたことを、写真を交え語られた二人。学生たちは国際的なつながりやホスピタリティについて考える貴重な機会となりました。

1ヶ月間歩いて自分と向き合う

最初に登壇したのは片山氏。

1975年に資生堂に入社し41年間勤め上げました。物流に関する仕事に携わり、海外での業務経験も豊富。

退職後サンティアゴ巡礼の旅に魅せられて、現在までに3回踏破しています。サンティアゴ巡礼とは、スペイン北西部にあるサンティアゴ大聖堂までの道を、ヨーロッパ各地から自分の足で歩く旅のこと。パリから出発した場合、サンティアゴまでの道のりは1500キロで、2か月間歩き続ける過酷な旅となります。今日では、あらゆる宗教を乗り越えて、世界で180ヵ国以上(*1)の人々がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩いており、2024年には50万人が歩いたと言います。 (*1)サンティアゴ巡礼事務所2024 年度統計情報)

片山氏もキリスト教徒というわけではなく、「歩くのと写真を撮るのが好き」と言います。特に高校生のときに見たゴッホの描いたヨーロッパの田園風景に強い憧れを抱いていました。

フランスの麦畑を自転車で走ってみたいと、少年の頃からの夢を実現するために、自転車旅をしたのが巡礼の始まりだと語りました。

一期一会でみんながファミリー

片山氏は巡礼路で出会った人々との写真を見せつつ、たくさんのエピソードを語ってくださいました。

①遠いスペインの地で偶然出会った日本人。彼の姉は、僕と同じ広島の高校だった。世界は広いようで狭いと感じた。
②自転車で喘ぎながら坂を上っていた時、急に背中が浮いた。足を引きずりながら僕の前を歩いていたオランダの青年が背中をぐぃっと押してくれていた。そのやさしさに涙が溢れた。
➂大切なエピソードとして「巡礼路ではみんなファミリー」という言葉を紹介。巡礼宿で誤って骨折したカナダの女性を、オーストラリアの女性が気遣って病院へのタクシーを手配した時、僕に話してくれた言葉。それは、巡礼者同士の助け合い、共同性の精神だった。
④朝ごはん食べませんかと、オーストラリアの青年が声を掛けてくれた。あっという間に8ヵ国の人々が車座になった。
⑤ブルゴスで出会った自転車旅のスソさん。「スペインの陽気な青年でゴールのサンティアゴまでお供してくれ、とても助かりました。彼とは、今でも交流があります。」

「巡礼路を歩く人々は、ほとんどがもう一生会えない人たち。まさに一期一会です」と片山氏。

「出会いは一度限りだからこそ、いま自分に出来ることを尽くし、心を込めてもてなすというホスピタリティを実感した」と感慨深く語りました。 

新しい自分に生まれ変わる旅

後半は杉山氏にバトンタッチ。
杉山氏は片山氏の資生堂時代の先輩ですが「仕事での絡みは少なかった」と話します。「サンティアゴ巡礼を通して盟友になりました」と語る杉山氏は、2012年から2018年にかけて計6回巡礼路を踏破。距離はなんとのべ3,000kmになると言います。
杉山氏は絵を描くのが好きで巡礼に魅せられたと語り、コロナ禍にはこれまで書き溜めた巡礼路の風景のスケッチをまとめた本も出版されました。

杉山氏もさまざまな経験を語り、サンティアゴ巡礼でかけがえのない体験をしたことを学生たちに伝えられました。
一番ドラマチックなのはなんといっても到達の瞬間だと語ります。サンティアゴ大聖堂のオブラドイロ広場では、たくさんの巡礼者がハグをしたり石畳に大の字になったりと全身で喜びを表します。
「巡礼者たちの多くは、新しい自分に変わりたいと思って巡礼の旅を始めます」と杉山氏。まだ見ぬ自分と出会うことができるのか、迷いや不安のなか歩き続けるのです。
そして到達のとき、長かった道のりを思い返し、静かな意志のある表情に変わっていくと言います。「それぞれが新たな目標を決め、これから頑張ろう、と思うようになるんです」と、自分自身を乗り越える旅であることを語りました。

ホスピタリティにより生まれる利他の心

そしてサンティアゴ巡礼で欠かせないのが、「ホスピタリティ」です。杉山氏は「ホスピタリティとサービスの違いはなんだか分かりますか?」と学生たちに問いかけました。サービスはマニュアルがあり、画一的なもの。
対してホスピタリティは一対一の関係性で成り立つものだと語ります。「お世話をした人、された人どちらも満足してこそホスピタリティ。行われる手助けはそれぞれオリジナリティがあり、相手の期待を上回るものです」と話しました。

「片山さんも言っていましたが、巡礼者はお互い助け合うゆるやかな共同性の中で過ごします。皆さんも例えば文化祭などの企画で、大学外の人たちと共同作業を行うこともあるでしょう。違うコミュニティの人たちが集まり、お互いの立場を尊重しながら同じ目的に向かっていく連帯感からホスピタリティは生まれます」と杉山氏。
このホスピタリティと、歩くことで自身と向き合う内省の時間が化学反応を起こし、人の役に立ちたいという「利他の心」が生まれると話しました。

何度も巡礼をする魅力とは?

講演の後は質疑応答の時間。学生が次々に手を挙げました。
「大変な旅だと思いますが不安はなかったですか」という質問に、杉山氏は「不安はあります。言葉が特に。言葉はスペイン語の他に世界各国の人が来るので英語力も必要ですね」と回答。
片山氏は「行くときは毎回不安です。でも終わると達成感に包まれるんです」と答えました。

「巡礼について初めて知りましたが自分もやってみたいと思いました」という学生も。
「巡礼を終えて心境の変化はありましたか」という質問に、杉山氏は「あるがまま、ということを実感できるようになりました」と話します。
片山氏は「前向きになり、いろいろなことにチャレンジできるようになりました。皆さんも、これだと思ったことは積極的にやってほしいと思います」と語りました。

めったにない体験を伺い、学生たちにも刺激になった講演となりました。

担当教員からのメッセージ

私が資生堂勤務時代にお世話になった片山さんと杉山さんをお迎えしてのスペイン特別セッションが今年も行われました。今年は、前半のセルヒオさんのご講演を含めて2回シリーズとなりました。この授業のタイトルでもある「国際理解」の本質につながる様々な経験をされている片山さんや杉山さんのお話しから、学生は貴重な時間を過ごさせていただいたと感じています。
サンティアゴ巡礼という特別な経験の中からお二人がお話しされた「人と人との出会いの大切さ」まさに「一期一会」の大切さを改めてそして深く教えていただきました。
片山さんは、この講座の後、再びスペインに出かけられました。
片山さん、杉山さん、そしてセルヒオさんに、厚く御礼申し上げます。

2025年7月10日

女性が社会で活躍するために。「女性とキャリア形成」の授業で元日本銀行審議委員の政井貴子氏が講演を行いました。 

共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、5月22日にSBI金融経済研究所株式会社の取締役理事長である政井貴子氏をお迎えしての、特別講演が行われました。女性が社会に出ていく前に知っておくべき心構えなど、実体験やデータに基づいた貴重なお話をお伺いしました。

なぜ女性が活躍することが重要なの?

この授業は進行も学生が行います。キューブと呼ばれる担当の班の学生が「つねに前向きに学びを深めながら、華麗な転身をしてこられた」と紹介し政井氏が登壇されました。
この授業に出演されるのは4年目です。「毎年気付きがあるのでそのたびにブラッシュアップしています」と話します。
「今回はそもそもなぜ『女性とキャリア形成』という授業があり、女性活躍推進が重要なのかしらという背景の共有をできればと思います」と講演を始められました。

まず政井氏は「男女雇用機会均等法」について説明。性別にとらわれずに自由に働けるための制度です。
逆に言うと、制度がないと女性は自由に生きていけなかった過去があります。
「皆さんは小学校の家庭科の授業は男子も一緒だったと思いますが、私のときは女子だけ。男子は技術という工作の授業を別々に受けていた」と話します。

第二次世界大戦を経て国連が成立した際、あらゆる差別を撤廃するべきだという動きが世界中で盛り上がりました。
そのなかには女性への差別も含まれ、1985年に女子差別撤廃条約に日本も批准。男女共同参画社会基本法を制定し、1999年に男女雇用機会均等法が制定されました。
「こういった流れのひとつとして、皆さんの雇用を後押しする一つとしてこの授業もある」と政井氏は話しました。

男性の意識はどうか

しかし、格差がまったくなくなったわけではありません。
世界のジェンダーギャップの解消には100年以上かかるという試算が。特に政治経済格差はなかなか縮まらないと言われており、それは日本も同様です。

では具体的にどういうことが課題となっているかと言えば、ひとつは家事の分担です。
政井氏は、家事を男女のどちらが担うべきか、男性に取ったアンケート結果を示しました。39歳以下の7-8割は、半々で負担するべきと回答。
しかし年齢が上がるにつれ割合は少なくなり、60歳以上になると半分以上の人がパートナーに任せたいと回答しています。
「女性は家庭に入るべきだと思っている人はまだまだいるということ。社会に出れば、年上とも仕事します。特に60歳くらいの人は偉いポジションも多い」と政井氏。
年上の男性と接する際は、口には出さずとも女性は家庭に入るべきという考えをもっている可能性も想定した方がいいと忠告されました。

ジェンダーギャップはこれからもある

政井氏は続けて「若い世代は大丈夫では、と思うかもしれませんがそうでしょうか」と次のアンケート結果を表示。
「営業職は男性の仕事だ、職場では女性は男性のサポートにまわるべきといった質問に、若い男性もそう思うと回答する人も2割ほどいる。10人いれば2人くらいは内心そう思っている人がいるんだと知っておくべきです」と語りました。
そして「皆さんは、そういうのも含めて会社を見て就活をしましょう」と話しました。
「出したデータは平均値なので業態や会社ごとにばらつきがあります。特定の業種や会社に偏っている可能性もある。受け入れ側の体制がどうなっているか、変わって行きそうかをみるのも大事ですよ」と語り掛けました。

また、賃金格差も依然としてあることを指摘。
政井氏は「私も役員をやってきましたが、世代的にも安く使われていると思います」と告白しました。
「昔は今よりも男女格差が大きかったので、役職に就けるだけで信頼されていると思っていた」と話します。
現在は男女差が出ないようポストに対して報酬制度が決まっているところもあります。「稼いでいくことが目的ではないですが、生涯賃金を考えるのも大事」と話されました。

女子校でリーダーシップを養われる!

「私が学生の頃はキャリアを考える授業もなく、自分もここまで長く仕事をするとは思っていなかった」と政井氏。
英語を使える仕事が良いと外資系金融業へ就職し、周囲は全員外国人のなか、人の数だけいろんな考えや価値観があることを知ったと言います。

日本の会社でも仕事したいと、現SBI新生銀行へ転職。
その後長年金融業界で働いた実務能力を買われ、日本銀行の審議委員へ就任されました。
「経済を学んだことのない私が専門家と混ざって意見交換する立場になるなんて」と話しましたが「20年もやっていると専門家として認めてもらえることもある」と誇らしげに語りました。

「女子校卒は不利ですか、と質問を受けることがあるのですが、そんなことはない」と本学の卒業生でもある政井氏は力強く話します。
「男性がいない中で女性がリーダーシップを取ることが求められる。人の前に立って行動することを経験できることはとても貴重です」と言います。
「皆さんの人生はまだまだ長い。振り返ってみて悔いの残らない充実した時間になると良いなと思います」と政井氏は講演を締められました。

キャリアを積み重ねるには

講演のあとは質疑応答の時間。学生から次々に手が上がりました。
「女子校でリーダーシップが養われることは実感がある」という学生からは、「男性のいる場で女性がリーダーシップを発揮できますか」という質問が。
政井氏は「なかなか自分にチャンスが回ってくることは少なかった」自身の経験を回答。
「一緒に仕事する人によって環境にばらつきがある世の中。自分に何が必要なのか考え、足らないことを実践してみる人がキャリアを積み重ねられると思います」と答えました。

さまざまな仕事をされている政井氏に「新しい仕事で環境が変わるとメンタルも影響出ると思いますが、どうやって前向きでいたのか」と質問した学生には「重要な視点ですね」と感心した様子も。
不安なときは友人に相談していたと話し、「大事なことを相談できる友達の存在が大切かも。そういう存在が学生のうちにできるといいですね」と回答。
「どうしても納得が出来なかったら辞めて、充電できたらまた仕切り直せばいい。手放すのも選択肢のひとつです」と伝えました。

学生たちにとってこの上ないロールモデルとして、貴重なお話を伺えるひとときとなりました。

担当教員からのメッセージ

政井様は、この授業には初回からご登壇いただいています。本学の卒業生ということもあり、学生の姿も真剣です。政井様のキャリアは特筆すべきものがあり、金融業界で、中央銀行、国内系、外資系とあらゆる組織でキャリアを積み重ねられた価値は、なかなか存在しないと思われます。今までは比較的遠い存在であった金融のフィールドでしたが、今の学生が社会を牽引するこれからの世の中を考えた時、一人ひとりがみずから資産設計することが求められることになります。政井様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2025年6月6日

自身のキャリア志向を知ろう!「女性とキャリア形成」の授業で、日本マナー・プロトコール協会理事長による講演が行われました。

5月8日に行われた共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、日本マナー・プロトコール協会の明石伸子理事長をお迎えしての特別講演が行われました。明石氏は、積極的になることで人生が変わったと話し、ご自身のエピソードを交えて学生に前向きにキャリアを考える大切さを語りました。

チャレンジ精神を持ってキャリアを切り拓く

司会進行は「キューブ」と呼ばれる班ごとに学生が行います。
学生から紹介され明石氏が登壇されました。明石氏がこの授業で講演されるのは今年で3回目。
「毎年とても楽しみにしています。学生が主体的に運営していて質問も活発にあり、私自身モチベーションが上がります」と笑顔で仰いました。

「ただ、皆さん真面目で優秀なのに、チャレンジ精神がちょっと足りないなと思うことがある」といいます。質問に対して、分かっているのに手を上げないなど積極性に欠けると感じる場面があると話しました。
「キャリアを振り返ってみると、勇気を出したことで今の自分につながってきたなと思うことがたくさんあるんです」と話し、「キャリアも人生も自ら切り拓く」と題し、講演を始められました。

最初の就職先はよく検討して選択しよう

明石氏は大学卒業後、日本航空株式会社(JAL)に新卒のCA(客室乗務員)として入社。今では憧れの職業と言われるCAですが「なりたくて入ったわけではない」と言います。
明石氏が就活をしたのは、第2次オイルショックで4年制大学卒の女性は就職が難しかった頃。
大量採用していたJALになんとか入った、と話されました。

「現在は人手不足で売り手市場と言われている。ある意味、皆さんが企業選択の決定権をもっています」と明石氏。
転職も当たり前になっている現代ですが、「それでも最初の就職先はこれからの人生に大きく関わってくる」と話します。
「たくさん内定をもらっても、最初に入れる会社は1社しかない。だからこそ、入ったらしっかり頑張れるところを選んでほしいと思います」と、よく検討して選択するよう勧めました。

自分のキャリア志向とは?

就職活動をするにあたり、自分自身がどういうキャリア志向なのかを確認することが大事だと明石氏は話します。
例えば自分でやってみたい自立志向型や、人を動かすほうが向いているプロデュース型、まずは何かをやってみたいチャレンジ志向型など。「自分を知ることで、より迷わず、流されず、後悔しないキャリアにつながります」と伝えました。
また、「人生はキャリアだけではない」との言葉も。
「専業主婦だって素敵なことですし、地域活動に力を入れるのも素晴らしい。自分はどういう人生を歩みたいのか考えることが、有意義な企業選択に繋がる」と強調されました。

自分のやりたいことが分からない人には、『置かれた場所で咲きなさい』という元ノートルダム清心学園理事長の故・渡辺和子先生の言葉を紹介。
与えられた仕事を真摯に頑張ることの大切さを伝えました。「人生も仕事も必ず起伏がある。そのときにどうするかで、その人の真価が問われると思います」と話し、逃げずに継続する勇気を持つことが大事だと話します。
ご自身も離婚を経験されたとき、初めて劣等感や将来の不安を感じたと告白されました。
しかし子どものためにも自分が頑張らなくてはと一念発起し、当時まだベンチャー企業だったパソナに秘書として入社。
そこで経営を間近に見る機会を得、その後のコンサル業へとつながっていきます。
「大変なときこそ成長するチャンス。うまくいかなくてもチャレンジ精神をもって乗り越えてほしいと思います」と語りました。

人とのつながりを大事に

最後に強調されたのは、人とのつながりを大切にすること。
「チャンスをくれるのも評価をするのも、相手や周囲の人たちです」と明石氏。
日本マナー・プロトコール協会の立ち上げに加わったのも、会社を立ち上げてから人脈が広がったためだと話しました。
「それまでは一人で仕事をしていましたが、あまり社会貢献をしている気がしていなかった。マナーやプロトコール(国際儀礼)を普及させていくことは社会的に意義があることと思い、協会を立ち上げました」と言います。

そして、主体的な思考をすることを勧めました。
「誰かと同じほうが安心、と思う人もいるかも知れません。しかし正解はひとつではありません。自分で調べいろんな人の意見を聞き、自分なりの判断の基準を持つことが大事」と話し、「本質を見る目を、ぜひ若い時からはぐくんでほしいと思います」と伝えました。

チャンスで力を発揮するためには

講演後は質疑応答の時間が設けられ、たくさんの学生が手を挙げました。

「自分のキャリア志向が合っているか確認する方法は?」という質問には、「やってみないと分からない。ライフステージが変わったら志向も変わることがあります。自分にはこういう面があるなと気付いたらキャリアチェンジも考えていきましょう」と回答。

「いろんなキャリアを歩まれたと思いますが自分の軸はいつ見つけましたか」という質問も。
明石氏は「私自身若い頃はやりたいことが漠然としていたタイプでした。だからこそ『置かれた場所で咲きなさい』を実践し、そのときそのときで自分の力が発揮できるかやってみることを重視しました」と話し、「チャンスはいつ巡ってくるか分からない。いろんな出会いを大切にしてください」と伝えました。

担当教員からのメッセージ

今年も、日本マナー・プロトコル協会理事長の明石伸子様にお越しいただきました。
大変素晴らしいキャリアをお持ちの方ですが、一方、ご苦労の多かった経験もお話しいただきました。
いつも笑顔を絶やさないそのお姿が印象的であり、語りかけるようなお話しに、自然と学生が
引き込まれていく様子を強く感じました。

コロナ禍以降、人と人との触れ合いが減少したと言われています。
しかし、これからどんな時代が来ようとも、人と人とが出会い、直接語り合うことの大切さは
変わらないと思います。そのような大切なことを教えて下さいました。

この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2025年6月5日

スペインと日本のつながりの歴史とは?「国際理解とキャリア形成」の授業でスペインを知る特別講義が行われました。 

共通科目「国際理解とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、5月13日にスペイン人留学生であるセルヒオ・マテオ・アランダ氏による特別講演が行われました。日本で長年住むなかで体験した、文化の違いで驚いたことや新しい発見などを楽しく語って下さいました。学生たちにとっても、国際的な目線から日本を客観的に知ることができる機会でした。

子どもの頃から親しんだ日本文化

セルヒオ氏は現在、埼玉大学の大学院の博士課程に在籍中で、日本語がとても流暢です。「スペイン人は明るいので冗談好き。面白かったら笑ってね」と、なごやかな雰囲気で講演が始まりました。彼はスペインのアンダルシア地方マラガ市の出身です。スペイン南部、地中海沿岸の温暖な地方に住んでいました。子どもの頃から両親の影響で、アジア文化に興味を持つようになりました。最初は三国志、そこから日本のアニメーションなどに触れるようになったと話してくれました。

小学生の時から授業を、スペイン語と英語で受けており「言語を学ぶことは楽しかった」と話してくれました。 マラガ大学在学中に、埼玉大学に一回目の留学を果たし、日本の観光についての論文を書きました。卒業当初は、エンジニアを目指していましたが、「言語を勉強することへの情熱が芽生え、まだ見ぬ自分を発見した」と語ってくれました。
そして一念発起し、アジアと日本の文化交流を調査するために、2023年から二回目の留学で、埼玉大学の大学院に在籍しています。

スペインと日本、文化の違い

次にセルヒオ氏はさまざまなスペインの写真を見せながら、学生たちにスペインのイメージについて話しました。 スペインは明るく晴れた日が多いので、レストランにはテラス席が多くあるけど、「日本では外のテーブルが少ないですね」 と話してくれました。この違いは、スペインの乾燥した気候と、日本の温暖湿潤の違いによるものです。
また、パエリアやトルティージャ、アヒージョなどスペイン名物の料理を紹介し、日本で同じ名前で食べられているものと、本場のものは少し違うと形状を比較し、その面白さについて語ってくれました。

「スペインはパン派でしょうか、米派でしょうか」という質問がありました。当然パンが多いのですが、パエリアをはじめお米の料理も多数あり、お米もよく食べる国民だと話してくれました。

また、スペインでは大晦日にマスカットを12粒食べると話してくれました。それは、翌年の12か月間が幸せに過ごせるようにとの願いが込められているそうです。「日本では年越し蕎麦を食べるが、スペインでも同じような伝統がある」と話しました。

セルヒオ氏が、最初に日本に来たのは2016年で、さまざまなカルチャーショックがあったと言います。些細なことで言えば、自転車通勤のサラリーマンのこと。スペインでは通勤と言えば自動車なので、自転車通勤の人が多いことにびっくりしたとか。また、困ったのはやはり漢字でした。「言葉はわかるけれど限界がある」と言い、市役所の手続きなどが大変だったと話してくれました。

古くからつながりのあった両国

セルヒオ氏は、フラメンコのダンサーが扇子を持った写真を見せてくれました。「日本でも扇子がありますね。遠い遠い国なのに、なぜ同じものがあるのでしょう」とセルヒオ氏が話しました。「不思議に思って調べてみると、私たちの国のつながりの歴史が分かりました」と語りました。

それは17世紀に、伊達政宗の臣下だった支倉常長が、バチカンに手紙を運ぶ使節団を結成し、その途中、地中海を通った彼らのうちの数十人がスペインに移住。その地で、日本の文化が定着したと話されました。

「南スペイン出身のスペイン人のなかには、苗字にJAPON (ハポン)と名乗っている人たちがいまも住んでいます。彼らの子孫ですね」と長い歴史のなかで、いまも繋がりがあることを話してくれました。

もうひとつ、スペインと日本で似ているものが「巡礼路」。スペインのサンティアゴ巡礼と日本の熊野古道の巡礼路は、どちらも世界遺産に認定されています。 どちらも長い歴史があり、巡礼路としての発祥時期が9世紀頃であったこと、また、殊に女性にとっての巡礼は子宝や安産祈願などが関わっていたことなどの共通点も。加えて、熊野古道の温泉郷(湯の峰温泉)やサンティアゴ近郊のオウレンセ市の露天温泉などの共通点もあり、「双方が温泉や観光にもいい場所ですよ」と紹介されました。

海外で生活するためには運も必要

講演の最後には、質疑応答の時間が設けられました。
「日本にきて驚いたことはなんですか」という質問には、セルヒオ氏は「自分より高齢者が元気なこと」と、笑いを交えながら回答されました。「異文化として、温泉にみんなが裸で入ること。ヨーロッパでは水着を着て入るので、 裸は恥ずかしかった」と話されました。

「話を聞いていて、日本でとても楽しそうに過ごしているなと感じました。モチベーションはなんですか」という質問もありました。セルヒオ氏は頷いて「確かに、日本の生活は楽しいです」と答えてくれました。

「ただ、海外で生活するには運もある。大変なこともありますが七転び八起きです。今は、日本で住み続けられるよう、翻訳家を目指して頑張っています」と目標を話されました。

日本に住む外国籍の方のお話を直接聞く機会はなかなかありません。学生たちにとって国際的な目線を得られる貴重な機会となりました。

担当教員からのメッセージ

元資生堂の片山様にお越しいただいて3年目を迎えます。片山さんに加え、杉山さんにも加わっていただき、今年は、スペイン人留学生のセルヒオさんも駆けつけて下さいました。日本に関心を持ち、現在も、日本の大学で留学生として学ぶセルヒオさんのお話しは、スペインから見た日本、スペイン人から見た日本人について、とても興味深いお話しをいだたきました。日本語も流暢で、かつ、とてもユーモアのある内容に、思わず聞き入ってしまう、大変興味深いご講演でした。次週は、片山さんと杉山さんからスペイン巡礼の道についてお話しいただきます。今年は2週にわたるスペインの旅です。セルヒオさんに心から感謝申し上げます。