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2022年1月29日

サントリーホールディングス株式会社執行役員 コーポレートサステナビリティ推進本部長の福本ともみ氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(12/9)

与えられた「仕事」をきちんとやる人間は信頼される

その先に、「私事」や「志事」へのチャレンジがある
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。2021年12月9日に行われた第5回の登壇者は、サントリーホールディングス株式会社執行役員 コーポレートサステナビリティ推進本部長の福本ともみ氏です。

見出し 世界の潮流となった「パーパス経営」にも通ずる
サントリー創業者の信念「利益三分主義」

「何のために働くのか」をテーマにした今回の講演。福本氏は自分の話をする前に、企業の話から講演をスタートさせました。
福本氏によれば、近年、企業の存在意義(パーパス=Purpose)に基軸を置いた「パーパス経営」が世界的に注目を集めているそうです。「パーパス経営」とは、「社会をよりよくすること」「よい環境を次の世代につなげていくこと」などに軸足を置いた経営のこと。企業ですから、もちろん利益を上げることは大切です。しかし、そうした利益至上主義が、環境破壊や過重労働などを引き起こしていることも事実です。そういうなかで、国内外を問わず、パーパス経営を実践する会社が増えてきました、と福本氏は説明します。
「この考え方は、近江商人の心得である『三方よし』の精神にもつながっています」と福本氏。ちなみに、「三方よし」とは、売り手と買い手の双方が満足し、社会に貢献できてこそよい商売であるという考え方です。そしてそれは、サントリーの創業者・鳥井信治郎氏が信念としていた「利益三分主義」(事業によって得た利益は、「事業への再投資」「得意先・取引先へのサービス」に留まらず、「社会への貢献」にも役立てたいという考え方)にも通ずるものなのです、と福本氏は話します。

創業者 鳥井氏の創業精神を語る福本氏

お酒や清涼飲料水のメーカーとして
社会福祉や文化貢献、環境経営を推進

熱心に耳を傾ける学生

福本氏によると、鳥井氏が1899年に「鳥井商店」(現・サントリーホールディングス株式会社)を設立し、最初に商品化したのはワインだったそうです。甘口葡萄酒「赤玉ポートワイン」は大ヒットしますが、間を置かずに、初の国産ウイスキーづくりに挑戦します。理由は、日本人の味覚に合った洋酒をつくり、日本の豊かな洋酒文化を切り拓きたいと考えたから。この時代は、貧しい地域での無料診療所や戦災孤児のための施設運営など、社会福祉活動に力を入れていました。戦後は、「物が豊かなだけではなく、心が豊かになるように、文化的な活動で社会に恩返しを」という考えのもと、1961年にはサントリー美術館、1986年にはサントリーホールを開館。1990年代以降は、自然の恵みに支えられている企業の責務として環境経営を推進し、2005年には、「人と自然と響きあう」という企業理念のもと、社会やお客様との約束として「水と生きる」を制定したそうです。そこには、「利益を追求するだけのグローバルプレイヤーではなく、社会に貢献し、世界中の人々から信頼される企業グループを目指したい」という思いが込められています、と福本氏は教えてくれました。

就職したら「これをやった」といえる仕事がひとつはほしかった
会社を選ぶつもりで就活に臨もう

しごとには、仕事(MUST)と私事(CAN)と志事(WILL)の3つがあります。仕事は、自分の役割として責任を果たさなければならないもの、私事は自分自身の成長につながるもの、志事は自分が志すものであり、個人のパーパス。ひと口に『しごと』と言っても、その中身はいろいろで、何のために働くかを考える時、組織のパーパスと個人のパーパスの重なりを大きくすることが大切です。」(福本氏)
そしてここから、いよいよ福本氏ご自身の話が始まります。
「就職活動を前に、何がやりたいのか分からない。そもそもやりたいことがなかった」と福本氏は苦笑します。しかも、当時は「男女雇用機会均等法」も施行されていなかったため、4年制大学を卒業した女性を雇ってくれる企業はかなり少なかったそうです。
「やりたいことも明確ではなかったのですが、ただ、せっかく就職するのだから、『これをやった』と誇れる仕事をひとつでも残したいと思っていました。ですから、女性を戦力と考えてくれる会社で働きたかった。4年制大学卒業の女性を雇ってくれる会社は、手当たり次第に会社説明会に行きました。そのなかで、サントリーだけが若い女性社員が出てきて生き生きと話をしてくれたんです。私は、この会社で働きたいな、と思いました」(福本氏)。
そんな自らの体験を通して、「会社を選ぶつもりで、就職活動に臨んでほしい。『ここで働きたい』という気持ちを、大切にしてください」と福本氏はアドバイスしてくれました。

3つの「しごと」を話す福本氏

自分ができることを一生懸命にやることの重要性と楽しさ
仕事(MUST)をしっかりやることの大切さを知った

入社当時を語る

福本氏が入社して初めて配属されたのは、人事部だったそうです。
「最初の担当は、アルバイトさんを採用する仕事。社内の各部署で必要なアルバイトさんを、必要な期間、必要な人数を集めるのが仕事でした。ところが、募集広告を出しても応募がほとんどないこともあって……。でも、このアルバイトさんがいないとあの部署の人たちは困るんだろうな、と思い、知り合いなどに声をかけて必要な人数を集めるようにしたんです。そうすると、感謝されるんですね。それが嬉しくて、やりがいも感じました」と福本氏。
入社当初は優秀な同期のなかで、いつもみんなの後ろを追いかけているのではないか、ご自分は要領があまりよくないと感じられていたそうです。でも、3、4年経つにつれて、重要な仕事を任されるようになっていった、と福本氏は言います。それである日、上司に聞いてみたそうです。  
上司の答えは、「確かに君は要領がよくない。でも、大切なのはやるかやらないかだ。『コピーとりみたいな雑用はできない』と文句を言ったり、『こんな仕事ができます』と自己アピールをする前に、与えられた仕事で実績を出すことが重要なんだよ。君は結果を出している。与えられた仕事を120%やる人間が信頼される」。
ここでいう「しごと」は、まさにMUSTの「仕事」。志をもった志事、成長できる私事をと望む前に、仕事きちんとやり遂げることが大切なのだということを、身をもって実感できた、と福本氏は話してくれました。

「相談されて嫌な人はいない」という上司の言葉に背中を押され
「チャンスに尻込みをしない」ことを覚えた

最初の転機は入社7年目のことだった、と福本氏は当時を振り返ります。
「人事部の仕事にはやりがいを感じていましたが、そろそろステップアップするためにもCANを増やさければいけないと感じていました。一方の会社も、『女性にも“留学”の門戸を開こう』と考え始めていました。そこで私は、候補試験を受けてみようと思ったんです」(福本氏) 
ただ、候補試験を受けるためには、事前にレポートを提出する必要がある。どうしていいか分からなかった福本氏が上司に相談すると、「君は何でも自分でやろうとしすぎだ。いろんな人にどんどん相談してみなさい」と言われたそうです。相手に迷惑をかけたくないという気持ちが強かった福本氏がためらっていると、上司は「相談されて嫌な人はいないよ」と福本氏の背中を押してくれました。その言葉に勇気をもらった福本氏は、いろいろな人に相談してみると、皆さん、喜んで相談にのってくれたそうです。
「この経験で私は、『チャンスに尻込みをしないこと』『情報をとることの重要性』を学びました。一人ではこのチャンスを掴むことはできなかったと、今も思っています」(福本氏)

意見を交わす学生

小さなPR会社の女性社長の言葉が
プロフェッショナルになるきっかけをくれた

プロフェッショナルになるきっかけを話す

国内留学でビジネススクールに通って勉強した福本氏は、広報部を経てサントリーホールで仕事をすることになりました。そこで福本氏は、挫折を味わうことになります。
「広報の仕事は、簡単に言えば、新聞や雑誌の記者さんやテレビのディレクターさんにサントリーの情報を伝えて記事にしていただくことです。ただ、本社の広報部は大きな組織なので、いろいろな人がサポートしてくれました。ところが、サントリーホールは小さな組織で、広報担当は私ひとり。何でも自分でやらなければなりませんでした」(福本氏)。しかも、音楽ホールのことも音楽のことも自分は知らない。音楽記者とのコミュニケーションもままならず、約1年は納得できる仕事ができなかったそうです。悶々とする日々が続いたある日、小さなPR会社の女性社長に「私たちは一生懸命に仕事をしても、成果が出なければ次の仕事はこなくなっちゃうのよ」と言われたそうです。
「ハッとしました。大きな会社だから成果が出なくてもお給料はもらえますが、自営業やフリーの方はそうはいきません。この女性社長さんの言葉で、『自分はプロフェッショナルにならなければいけない』と強く思いました」(福本氏)。その頃、上司から「敵にしたら向かい風だけれど、味方につければ追い風だよ」と言われたこともあり、以来、音楽記者とも密にコミュニケーションをとり、人間関係が良くなるように努めたそうです。

「務まるかなぁ」ではなく、就任したからには「務める!」
「音楽を通して幸せな体験をしていただく」という“志事”ができた

その後、2008年に副支配人としてサントリーホールに戻った福本氏。翌年には支配人となり、事務方のトップとして約300人のスタッフをまとめることになったといいます。しかし、自分はその役割を果たすことができるのか不安だった、と福本氏。そんなとき、元通産官僚で外務大臣も務めた経験もある川口順子氏の「政治家と官僚は違う。これまでの延長線上では務まらない。政治家になったから、私は性格を変えたのよ」という言葉を思い起こしたそうです。この言葉に、またハッとさせられた、と福本氏は言います。
「私にこの仕事が務まるかなぁ、と考えている場合ではない。就任したからには、自分を変えてでも務めなければいけないんだ、と思ったのです」(福本氏)
 スタッフをまとめ、音楽家の方たちに気持ちよく演奏していただくためにはどうすればいいかを考えた、と福本氏は言います。
「結果、お客さまにも、サントリーホールのスタッフにも、音楽家にも、音楽を通して幸せな体験をしていただくことが私の務めだと思いました。このときの経験こそが志事で、志のある仕事ができたと今も思っています」と福本氏は笑顔を見せました。

熱心に話を聞く学生

仕事をしていく上で大切なのはプロフェッショナルになること
仕事を楽しみ、努力を惜しまず、人との関係を大切にする

「プロフェッショナルとは」を語る福本氏

最後に福本氏は、“志事”を見つけ、全うする秘訣を教えてくれました。
「これまでの経験で、私は仕事をしていく上で大切なのはプロフェッショナルになることだと考えています」(福本氏)。では、プロフェッショナルとはどういう人なのでしょうか。福本氏は以下の3つを挙げてくれました。
・自分の仕事を楽しむこと〜好きこそものの上手なれ
・努力を惜しまないで熱中すること〜人並みのことをしていては人並みにしかなれない
・人との関係を大切にすること〜何をするかと同じくらい「誰と」するかも大事
 具体的で分かりやすく、示唆に富んだ言葉は、これから就活に臨み、社会人としての一歩を踏み出す学生たちに、たくさんの勇気とヒントを授けてくれたはず。講演と質疑応答が済み、教室を出て行く学生たちの顔には明るい表情が広がっていました。

深澤晶久教授の話

お話しを通して伝わるお人柄の素晴らしさを浴びながらのあっという間の1時間でした。
そして、サントリー様の理念でもある“やってみなれ”精神を随所で発揮しながら、様々な部門での経験に裏付けられた企業トップとしての矜持を感じさせていただきました。
学生たちは、福本様の、しなやかに美しく、志事を貫くその姿勢から、多くの学びをいただいたことと思います。それにしてもサントリー様の社員の会社を愛する気持ちは、今も昔も変わらないということに、改めて気づいた時間でもありました。

2022年1月27日

生活環境学科が恒例の学科講演会を開催!ハーブやアロマの香りで暮らしをウェルビーイング(11/18)

暮らしのなかのウェルビーイングを考える講演会が11月18日(木)、日野キャンパスの香雪記念館で開かれました。生活環境学科が、毎年恒例の学科講演会として主催。講師は、ハーブやアロマの専門ショップ「生活の木」から招いたマーケティング本部プロモーションプランナーの梅原亜也子さんです。今年度のテーマは「自然の恵みを活かす生活」。梅原さんは、講演を通じて「何事にも興味を持ち、挑戦することが大事だ」と学生たちに語り掛けました。

香りを楽しむ生活の仕方など講義

ウェルビーイングは、体の健康のウェルネスを含め、心と体の充実した状態を意味しています。梅原さんは講演の中で、日本にハーブ・アロマテラピー文化を普及させた「生活の木」の取り組みや、自身のキャリアを紹介。また、ハーブやアロマテラピーの基礎知識や香りを楽しむウェルビーイングな生活の仕方などを学生たちに提案しました。

「自然の恵みを活かす生活」に向けて

直談判の相手が後の社長という奇縁

講演する梅原さん

このうち、とりわけ学生を驚かせたのが、梅原さんのキャリアに関する逸話でした。それは彼女と「生活の木」の最初の出会いのエピソードです。当時、梅原さんは大学1年生。ショッピングセンターの店の壁一面にデコレーションされたハーブ染めに心奪われ、その場にいた男性スタッフに「アルバイトをさせてほしい」と直談判したと言います。生憎、当時、同店舗でアルバイト募集はしていませんでしたが、なんとこの男性スタッフが、後に社長に就任する重永忠社長という奇縁。アルバイトは即採用。後に梅原さんが「生活の木」に入社するきっかけとなりました。

この逸話に、多くの学生が勇気付けられました。学生の何人かは梅原さんの行動力に感激し、「私は現在、就職活動中ですが、梅原さんの様に自ら率先してきっかけを探し、より良いキャリアプランを自らの手で掴みにいける様に頑張りたいと思いました」「私は現在、就活を始めるにあたり、自分がどんな仕事に就きたいのか、とても迷っています。しかし、梅原さんの話を聞いて自分も情熱を持って出来る仕事をしたいと強く思いました」などと講義後の感想で述べています。生活環境学科の大川知子准教授は「何が人生のきっかけになるか分からない、ということを皆さんには知っていただきたい」と学生に語り掛けました。

熱心にメモを取りながら

「漫画研究クラブ」が取り持つ縁

大川准教授が逸話を紹介

その意味では、今回の講演会実現のきっかけも、本学の文化部「漫画研究クラブ」が取り持つ縁という偶然からでした。大川准教授によると、先生がたまたまある会で名刺交換したお相手が、「生活の木」の重永忠社長だったとか。重永社長は先生を本学の教員と知り、「生活の木」の創業当時、本学の漫画研究クラブに協力してもらったエピソードを本当にしみじみと語ってくださったそうです。

「(漫画研究クラブに)僕たちは、大変お世話になった。というのは、ハーブやアロマを日本で広めていくためには、やはり女性の支持がないと難しい。そこで、(同じ渋谷区内ということで)実践女子大学の漫画研究クラブとのご縁でP O Pやフライヤーを作ってもらった。その出来が素晴らしくて、生活の木が女性の間で認知度が高まる一助になった」

世の中、どこで縁が繋がっているか分かりません。重永社長が旧恩に報いるのに相応しい講師として、自身に代えて派遣したのが、人一倍、ハーブ愛・アロマ愛に溢れる梅原さんだったというわけです。

多彩な効能に、学生が驚きの声

学生がハーブやアロマテラピーに対するこれまでの認識を改めるのに、梅原さんの講演が強力なインパクトとなったのは疑いありません。多くの学生が講演後、「就職活動などによりストレスを溜め込みやすくなると思うので、活用していきたい」などと語っています。

「今日の話を聞いて、アロマは自律神経や精神状態を安定させる働きがあることを知り、活用したいと思った。また、香りによって効果が変わるのも面白いし、沢山ある中で自分に合ったものを選ぶのも楽しそうだと思った」

アロマテラピーのメカニズム
コロナ禍でソーシャルディスタンス

ハーブやアロマテラピーの多彩な効能のうち、学生が関心を寄せたのは、消毒殺菌や免疫力アップ、自律神経のバランス調整…など、リラックス効果や安眠効果以外の使い道でした。実に様々な効果や楽しみ方があることを梅原さんは教えてくれました。わけても、「月経痛に良いアロマがある」という梅原さんの案内には多くの学生がびっくり。耳をそばだて、「アロマテラピーマッサージを試してみたい」などの声が相次ぎました。

「アロマの香りによってこんなにも心身へのアプローチが違うことや、その種類が豊富であると学びました。私は、月経痛がひどい上、花粉症もあり、とても興味を持ちました。今回の知識を、日常に活かしたいと思います」

「リラックス効果だけでなく、消毒殺菌や自律神経のバランスも整う効果があることを知り驚きました。気圧の変化や女性特有の月経痛にもいい影響を与えるとお聞きし、先ずはラベンダーの香りを使ってみたい気持ちが高まりました」

関心の高いテーマでした

生活環境学科の学科講演会は、3年生の必修科目「生活環境学セミナー」の時間を使って毎年企画・実施されています。今年は3年生約80人が聴講しました。

2022年1月14日

SBI金融経済研究所株式会社取締役代表理事の政井貴子氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(11/25)

与えられた機会に丁寧に向き合うことで、

専門性が高まり、また新たな機会へと繋がる
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。4回目となる2021年11月25日のゲストは、SBI金融経済研究所株式会社取締役代表理事の政井貴子氏です。実践女子大学文学部英文学科の出身で、学生たちにとっては大学の先輩でもある政井氏。学生たちは真剣な眼差しで、政井氏のお話に耳を傾けていました。

男女共同参画が政策として推進される時代の中で、自身のキャリアを積み重ねてきた

「私は2021年6月まで日本銀行の政策委員会審議委員を務めていましたが、任期満了で退任し、今はSBI金融経済研究所の取締役代表理事を務めています」

大きな拍手を受けて壇上に上がった政井氏は、講演をこのような言葉で始めました。この日のテーマは、「なぜ、女性活躍推進なのか」「写真で振り返る私の履歴書」「Opportunity」の3つ。「一つ目のなぜ、女性の活躍推進なのか、についてお話しするのは、皆さんが女性という当事者として、国の政策を理解しておくことは大切だと考えたからです。また、私自身がその流れの中でキャリアを積んできたということもあり、歴史的背景を掴んだ上で、私のキャリアのお話しをするのが良いと思ったのです。」と政井氏は話します。
 
政井氏によれば、世界的規模で性差別撤廃に向けた取り組みが始まったのは1975年のこと。メキシコシティで開催された国連主催の「第1回国際女性年世界会議」で、国際女性年の目標達成のためにその後10年にわたり国内、国際両面における行動への指針を与える「世界行動計画」が採択されたのがきっかけだったそうです。1985年には日本も「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別条約)」を批准。同年、「男女雇用機会均等法」も制定されました。
 
さらに、2010年にはイギリスが「コーポレートガバナンス・コード(上場会社向けの行動原則)」、および、「スチュワードシップ・コード(金融機関を中心とした機関投資家のあるべき姿を規定したガイダンス)」を制定。2014年には、日本も「スチュワードシップ・コード」を制定しました。
 
残念ながら、コロナ禍で日本のジェンダーギャップは拡大してしまいました。しかし、時代の流れとともに意識は確実に変わってきていますし、女性活躍の状況は投資判断でも重視されるようになってきています、と政井氏。
 
「1988年に社会人となった私は、こうした女性の活躍を推進する流れの中で、キャリアをスタートしました。現在は、次世代の活躍する女性のために自分なりに役割を果たしていきたい、とも考えています。」と政井氏は話してくれました。

SBI金融経済研究所株式会社
取締役代表理事 政井氏

You never know what you can do until you try. だからまずはトライしてみてほしい

政井氏が大切にしている言葉

大学卒業後、政井氏は外資系金融機関でそのキャリアをスタートさせ、約22年間、複数の外資系金融機関で金融市場関連の仕事をしてきました。その後、日本企業でも働いてみたいという希望もあって、2011年に新生銀行に転職。2013年には女性初の執行役員になり、2016年には日本銀行政策委員会審議委員に就任したそうです。
 
 金融市場での現場経験を積んでいくうち、いつの頃からか、メディアで経済金融情勢の解説をする機会を得たり、講演や講義を実務の専門家として依頼されることも多くなっていきました。と政井氏は言います。

 もっとも、就職時に金融市場関連の業務に就きたい、といった希望は特に持っていなかったそうです。「でも、どんなことでも続ける、ということには一定の意味があると感じています。」キャリアをスタートさせた外資系金融機関から20年以上一貫して金融市場の現場を担う仕事に従事していく中で、その経験を軸に知識を深めていくことになります。様々な機会に丁寧に向き合っていく中で、専門性も自ずと高まり、メディア出演など、更に新たな展開、機会を得ていきます。

 自身のこうした経験もあり、皆さんへのメッセージとして、どんなことでもまずやってみてほしい。と政井氏。「それに、何かをお願いされるのは、相手はあなたにはできる、ときっと思っているから。だから皆さんにも何であれ、まずはトライしてみてほしいと思っています。」

学生時代、実は英語は得意科目ではなかった

「実は私、英語は不得意だったんです。」という意外な言葉が政井氏の口から飛び出したのは、講演も終盤の質疑応答のときでした。学生たちの「英語がうまくなる方法を教えてください。」という質問に答えたときのことです。

「受験生の時、実は、英語がとても不得意でした。結局最終的には、英文学科を選択、大学でも英語を中心に勉強を続けたのです。そうしたこともあり、就職する頃には、英語を道具として使う必要のある仕事がしたい、と考えるようになっていたと記憶しています。」

英語力をつけ、維持することの秘訣として、「語学力というのは、筋力と同じで、常に動かしていること(使用すること)、つまり、英語を生活の中に取り入れていくことが大事だと感じています。今は、外資系企業に居た時ほど英語を使う機会はありません。ですから、例えば、iPhoneの表示を英語にしてみたりするなど、なるべく生活の中に英語を取り入れるように気を遣っています。」と、政井氏なりの英語力維持の秘訣を教えてくれました。

メモを取る学生

仕事も、プライベートも、さまざまなことに前向きに取り組むことで、彩り豊かな人生を過ごしてほしい

熱心に話を聞く学生

「仕事とは、人生を彩る重要なピースの一つ。私が皆さんの年頃だった頃、金融経済という現象が、私の人生をこんなにも彩るとは想像していませんでした。世の中の流れも女性の活躍を後押ししている中、皆さんにも仕事を通してご自身の人生を豊かにしていってほしいと願っています。もっとも、今日は、女性とキャリア形成という視点でしたので仕事のお話が中心になりましたが、もちろん人生は仕事だけではありません。」

 「人生を歩んでいく途中には、家族のことなど、いろいろな出来事、必ずしも楽しい嬉しいこととは限らない出来事にも遭遇します。私にとって、そうした出来事全てが結果的に自分の人生をより豊かにしてくれた、と感じています。」と政井氏。

 「人生にはいろいろなことが起こります。良いこともあれば、悪いこともあるでしょう。でも、それらを全てひっくるめて、前向きに取り組み、楽しみ、ご自身の人生をより彩り豊かなものにしていっていただきたいと思っています。」 

 同窓の先輩は、これから社会に羽ばたこうとしている後輩たちに、温かくも力強い励ましのメッセージを送ってくれました。

深澤晶久教授の話

本学卒業生お二人目としてご登壇いただいた政井貴子様は、外資系の金融機関をご経験の後、日本銀行の政策委員会審議委員を務められた方であり、お話しの随所にシャープな切り口が散りばめられた、日本の金融の中心でご活躍になられる政井様ならではの講演をいただきました。
 
マクロな厳しい視点からのアドバイスもいただけた一方、仕事だけが人生ではないというご自身の経験からのお言葉は学生の心に深く届いたことと思います。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

2021年12月24日

東急株式会社 代表取締役副社長 巴政雄氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(11/11)

苦手だからと避けるのではなく、しっかり取り組んで武器にしよう!

仕事に責任を持つことで、仕事への誇りが生まれる
参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座。第3回目となる2021年11月11日にお迎えしたのは、東急株式会社代表取締役副社長の巴政雄氏です。渋谷キャンパスに通う学生たちにとって、「東急」は馴染み深い名前。その代表取締役のお話は、身近な暮らしに根ざしたものが多く、学生たちはメモを取りながら、熱心に耳を傾けていました。

2024年に刷新される新一万円札の顔
「渋沢栄一」も深い関わりを持つ東急グループ

「宿命、運命、使命」というテーマで行われたこの日の講演は、まず、「東急の歴史」から始まりました。巴氏によると、東急グループは渋沢栄一らが1918年に設立した田園都市株式会社が起源。1922年に田園都市株式会社の鉄道部門が分離・独立して設立されたのが、現在の東急株式会社の前身となる目黒蒲田電鉄株式会社だったそうです。以降、同社は民間事業者として鉄道を中心とした街づくりを担ってきました。
 「その集大成ともいえる『東急多摩田園都市』の街づくりは、1953年に当社の五島慶太会長がまとめた『城西南地区開発趣意書』をもとに進められたもので、2都県4市にまたがる日本最大級の街づくりになりました」と巴氏は語ります。そして東急グループは現在、SDGsも見据え、「世界が憧れる街づくり」の実現を目指しているとのことです。

東急株式会社 代表取締役副社長 巴氏

苦手なものから逃げてはダメ
一度自分のモノにしたらそれが自分の武器になる!

真剣にメモを取る学生

農家の出身で、大学卒業後は実家を継ぐことも考えていた、と巴氏。しかし、「一度くらい社会に出てみたら」という両親の勧めで就職を決めたと言います。
 「東急に入ったのも、ある意味偶然。でも、今考えてみればそれが良かったと思っています。会社には、学生さんたちが想像している以上にたくさんの仕事があります。自分を枠にはめずに、まずは飛び込んでみましょう。そして、過度な苦手意識は持たないことです」(巴氏)
  20代後半の頃、巴氏は上司から「巴君、数字を避けてきたよね」と言われたことがありました。実際、文学部出身の巴氏は数学に自信がなく、劣等感を持っていたそうです。
「まんまと弱点を突かれました。でも、その上司はこうも言ってくれたのです。『避けて通ることができないなら、やってみなさい。一回自分のものにしたら、それは君の武器になるよ』。以降、約18年間、私は40歳になるまで財務や経理の仕事をやり続けました」(巴氏)
 そしてその後、ホテル事業などを経験した巴氏は、部長として財務部に戻ったそうです。

「はんこは命がけで押してね」という上司の言葉の真意が分かったとき、仕事に誇りが持てるようになった

巴氏には、前述の上司から言われた言葉で、今も心に深く残っている言葉がもうひとつあるそうです。それは、「はんこは命がけで押してね」という言葉です。
 「会社では、書類が回ってくると、読んだことを証明するために印鑑を押す習慣があります。でも、その上司は、『ただ読んだだけではダメで、その内容をきちんと把握し、『自分がこの仕事の責任を持つ』という気概を持ってはんこを押さなければいけないんだよ』と言うわけです。最初はその意味が分かりませんでした。しかし、仕事をしていくうちに、『責任を持つ』ということがどういうことなのかが分かるようになってきたのです」(巴氏)
 各人の仕事は、大きな絵を描くための重要なピース。だからこそ、誰一人としていい加減なことをしてはいけない。どんな仕事でも必ず深い意義がある、と巴氏は話します。
 「その頃の私の仕事はまだまだ小さなものでしたが、それでも会社の一端を担っていることが実感できるようになってくると、仕事に誇りを持てるようになってきたのです」(巴氏)

自らの経験を学生に伝える巴氏

ときには「お言葉ですが……」と目上の人に言ってみる
自分の意見をしっかり持って、思ったことを発言しよう

熱心に話を聞く学生

かつて巴氏は上司から「巴君は、『お言葉ですが……』とよく言うよね」と言われたことがあるそうです。上司と意見が合わないときも、巴氏は臆せず自分の意見をはっきりと言ってきたからです。
 「意見にはきちんとした根拠が必要です。それは大前提として、意見が言えるチャンスがあれば、ときにはきちんと発言したほうがいいと私は思っていますし、年齢や立場にかかわらず発言できる雰囲気は社内でも常につくっておきたいと思っています」。なぜなら、言うべきことを言わなければ、物事は変わらないと考えるからだそうです。
 「皆さんも、相手が先輩や上司であっても、根拠のある意見ならば自分のなかに閉じ込めてしまわないで、いつでも自分のポケットから出せるように、感性を豊かにしておいてほしいな、と思います」と巴氏はアドバイスしてくれました。

「人と交わることで自分が分かる
リアルな人間関係は大事

知識の習得という大前提はありますが、大学とは、人間、社会人、市民としてのミッションを発見する場、と巴氏は言います。そして大学は、他者との関係性において、さまざまなことを深く学ぶことができる場所でもあります。
 「他者を通して自分を知ることは少なくありません。コロナ禍の今はなかなか難しいと思いますけれど、リアルな人間関係は大切にしてほしいですね」(巴氏)

想いを語る巴氏

宿命に耐え、運命と戯れ
使命に生きる

意見が飛び交うグループワーク

最後に巴氏は、テーマに掲げた「宿命、運命、使命」について話してくれました。
 「物事には、自分ではどうにもできないことと、自らの関わり方で修正できることがあります。宿命は、自分ではどうすることもできないので、耐えるしかありません。運命は、捉え方や関わり方によって修正することができるもの。幸福も不幸もあるので戯れてしまいましょう。そして、使命は自分に与えられた重大な務め、成し遂げるべきことであり、それを全うするために生きていくことが大切。一度しかない人生です。主体的に関わって、使命に向かって進んでいきましょう」と巴氏は目の前にいる学生たちに力強くエールを送りました。

自分はどういう人生を歩みたいかを考えることが自分のミッションを決める第一歩
上手くいかなかったときは諦め、次にどうするかを考える

1時間の講演のあとは、質疑応答です。学生たちから出てきた質問とその答えをいくつかご紹介していきます。ひとつ目の質問は「大学時代にはどのようなミッションをお持ちでしたか。また、広い視野を持つためにどのようなことをしていらっしゃいましたか」。それに対して巴氏は、「大学生時代は明確なミッションは持っていませんでしたが、どういう人生を歩みたいのか、どういう領域を歩みたいのか、といったことはよく考えていました。まずは興味から入って、少しずつターゲットを絞っていくことで、どういう人生を歩みたいかを見つけていけると思います。また、広い視野を持つために、私は日本経済新聞を隅から隅まで読んだり、今まで知らなかったことを勉強してみたり、違う情報に触れたりしました。友人と会って話すことでも、新たな気づきがあったりしました」。
 また、「うまくいかないときに引きずってしまいます。どうすればマインドチェンジができますか」という質問には、「長く考えない、夜、考えるのはダメ。堂々巡りは泥沼にはまるから、そうなりそうになったら止める。全然違うことをしてみる。上手くいかなかったのは仕方がないと諦め、次にどうするかを考える」など、巴氏は人生の先輩として、さまざまな妙案を教えてくれました。
 最後に、今回の担当グループが「『自分の意見をもって走り抜く』『他人との関わりで自分を知る』という言葉がとても印象に残りました」と感想を述べ、講演会は終了しました。

学生からの質問

深澤晶久教授の話

渋谷で学ぶ我々にとって、最も身近な企業と言える東急様、巴副社長は、本当にフレンドリーに、学生に語り掛けて下さいました。
鉄道だけではなく、気が付かないうちに、東急様の様々な事業に触れさせていただき、その理念である“豊かさ”を提供いただいていることを改めて感じる時間になりました。
そして、使命、言い換えればミッションを持つことの大切さを伝えて下さり、これからの生き方の指針をご教示いただけたのではないかと思います。

2021年12月10日

アフラック生命保険株式会社 取締役 専務執行役員 木島葉子氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(10/28)

なにごとに対しても主体的に取り組むことで
楽しさや、やりがいが見えてくる

参加者全員の集合写真

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座です。2021年10月28日の第2回目の登壇者は、アフラック生命保険株式会社取締役 専務執行役員の木島葉子氏。家政学部食物学科卒業の先輩でもある同氏の登場に、学生たちも興味津々の様子でした。

自分のやりたいことに専念した大学4年間
就職は4年制大学の学生を採用してくれる会社を探した

学生時代の話をする木島氏

学生たちの大きな拍手で迎えられた木島葉子氏は、「大学の4年間は、自分のやりたいことをやる時間だと考えていました」と講演の口火を切り、学生時代の思い出へと話を続けました。卒業論文のテーマは「高血圧予防に関する主婦の意識及び健康管理状況の調査」だったそうですが、就職に関しては、業種にはこだわらなかったといいます。1986年4月にアフラック生命保険株式会社に入社。2001年に課長に昇進して以降、2012年に執行役員、2020年には取締役専務執行役員に就任するという道のりを歩んできました。

生命保険業界初の女性役員を輩出
アフラック生命保険は歴史的に女性活躍に積極的

「『アフラック生命保険』は日本で初めて『がん保険』を提供した会社です」と説明する木島氏は、同社が1997年に生命保険業界初の女性役員を輩出したことや、1998年には営業の現場に女性支社長が2人誕生したことなどを紹介。アフラック生命保険株式会社が創業当初から女性活用に意欲的であり、2014年に女性活躍推進プログラムを策定して女性活躍推進をさらに加速させるなど、ダイバーシティに積極的に取り組んでいる会社であることを話してくれました。

アフラック生命保険の説明

与えられた仕事を淡々とやっていく毎日に変化
ある上司のおかげで気づきが生まれ、挑戦する楽しさを覚えた

真剣に話を聞く学生

「入社当初の私は、与えられた仕事を淡々とやって帰宅するような社員でした」
 最初の転機は3年目に訪れました。
「10人ほどのチームのリーダーを任されるようになったのですが、このときも、目の前の仕事を淡々とやっているだけでした。そんな私を見て、上司の女性は『このままではこの社員はダメになる』と思ったのでしょうね。出張や代理店さん向けの研修会など、何かにつけて私を連れ出してくれたのです。そして、いろいろな仕事をさせていただくなかで、新たな気づきが生まれ、新しいことにチャレンジしていこうという気持ちになりました。この上司はとても厳しい方でしたけれど、この方がいなかったら今の私は絶対になかったと思います」と木島氏は当時を振り返ります。

新しい部署の立ち上げに参画
視野が広がり、仕事の楽しさを覚えた

次の転機は入社から13年目くらいに訪れたそうです。
「一般に言うコールセンターの立ち上げに参画しました。新設部署ですから、これまでの事務職としての経験はあまり活きません。とにかく他社を参考にするため、業界を問わず、さまざまな会社の担当者にお話を聞きました。いろんな意味で、視野が広がりましたね」と木島氏は話します。
 当時は、担当者なので判断する権限はありません。
「でも、自分なりに考えて課長に報告をすることに、仕事の楽しさを覚えました。今考えれば、管理職前の研修だったんだと思います」と木島氏。その約2年後、木島氏は課長に昇格しました。

仕事の楽しさについて話す木島氏

分からないことは素直に人に聞くが鵜呑みにはしない
自分でも必要な情報を集めて判断する

管理職として仕事をすることについての話

課長になった数年後、木島氏は実務経験がない分野に配属されました。しかし、部下たちは実務経験のない木島氏に、「これで進めていいですか?」など判断を仰いできます。
「でも、私は彼らの言っていることが分からない。解読したとしても、判断ができません。悩みに悩み、原因不明の高熱にも見舞われ、やっとのことで思い至ったのは『分からないことは人に聞く』というごく当たり前のことでした。部下にモノを聞いてはいけないという思い込みがあったんですね。でも、部下のほうがその領域については知識を持っているわけですから、その人に教えてもらって判断をすればいい。でも、それを鵜呑みにはせず、判断するために必要な他の情報を自分でも集めるという行動を意識的にやるようにしました。こうしてやっと、管理職っぽくなっていったように思います。自分自身もこうやっていけばいいんだと思えるようになりました」

東日本大震災での挫折と学びで
自分はまたひと回り大きくなれた

「私がキャリアを語る上で欠かせないのは、2011年3月の東日本大震災です」
 当時、木島さんは契約管理事務企画部長を務めていました。
「そういうなかで、私は120万人の契約者に向けたお見舞い文書の作成・発送と、津波などで深刻な被害を受けた地域の契約者20万人の安否確認を任されたのです」
 木島氏は、一刻も早くお見舞いの文書を契約者に送りたいと思い、必死に具体策を提案しました。しかし、社長ら経営陣は納得してくれません。何度も何度も突き返されました。理由は「同業他社の対応や金融庁の考え方も示さず、自分の思いだけを綴った文書を提出されても、こちらは判断ができない」ということでした。今考えれば当たり前です、と木島氏は苦笑します。
「そこで私が学んだのは、いかに準備をして、相手の目線で相手が納得するよう対応をすることでした」と木島氏は大きな挫折感とそこから学習した学びを話してくれました。
 やったことのない業務に挑戦するしかない状況に追い込まれることは多々あったけれど、結果的にそれがよかった、と木島氏は笑顔を見せます。
「仕事もキャリアも主体的に取り組み、決めたことは自信と責任をもってやり抜くこと。そして、一人でできる仕事はそれほど多くはないので、チームをつくり、仲間と一緒に協力しあって仕事をやり抜いていただきたいと思います」と木島氏は経験を語ってくれました。

困難な業務経験から得た学び

仕事仲間の存在が原動力
思い通りにいかなくても探求することで気づきがある

学生からの質問

約1時間の講演のあとは、質疑応答の時間です。いろいろな質問のなかで、あるチームの「上り詰められた原動力は何ですか。また、最初から保険会社を目指していたのですか」という問いに、木島氏は次のように答えてくれました。
「人と一緒に仕事をすることに楽しさを感じるタイプなので、チームの仲間と一緒に困難を乗り越えることにやりがいを感じますし、仲間の存在が原動力になっていますね。それから就職活動についてですけれど、私は4年制の女子大学生を採用してくれる企業、正社員として採用してくれる企業を目指しました。そして、入ったアフラック生命のなかで仕事の楽しさややりがいを見つけてきました。ですから、自分の希望とは異なる会社という理由だけで失望しないでください。入ってみれば、いろいろな仲間がいて、会社の良さも分かってきます。思い通りにいかなくても、そこがどんなところか探求してみることが大切。そこから気づきややりがいが見つかることもあります」
木島氏は後輩たちにエールを送りました。

深澤晶久教授の話

ご講演の最後に、当日、同行されていた木島専務の部下のお二人にご発言をいただきました。その時に発言されたのが、「私たちは“木島組”の一員です」。厳しい経営環境において成長を続ける会社の秘訣を垣間見る瞬間でした。木島専務が、人を大切にし、とりわけ部下たちに心を配るチームワークの良さを感じさせていただきました。 
心から感謝申し上げます。

2021年12月9日

トヨタ自動車 元社長 渡辺 捷昭氏が本学の「女性とキャリア形成」の授業で講演しました(10/14)

仕事に貴賤はない
「やりたい仕事じゃない」と拒否する前に自分ができることを探そう

2021年度の共通教育科目「女性とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)は、実践女子大学の卒業生を含む企業トップの生き方から学ぶリレー講座です。2021年9月30日からスタートしたこのリレー講座は、激動の社会のなかで活躍しているさまざまな業界のトップの方たちを招き、ご自身の経験も踏まえて、仕事への向き合い方を語っていただくというもので、12月23日までの間に6人の方々に登壇していただきます。

スピーカーが伝えたかったことを探究し、
物事の本質を見抜く力を修得する

トヨタ自動車株式会社 元代表取締役社長 渡辺氏

この授業を担当する深澤晶久教授は、リレー講座の狙いを次のように話します。
「この講演を通して学生たちに身につけてほしいのは、多様性を受容し、多角的な視点でもって世界に臨む姿勢です。また、講演の前後に行われるインプット&アウトプットの時間を通じて、学ぶ楽しみを知るとともに、スピーカーが伝えたかったことを探究し、物事の本質を見抜く力を身につけて欲しいと思っています。『お話は面白く聞きました。勉強になりました』だけでは、授業としてはいまひとつ。講演内容の核心に迫るような質問や感想を期待しています。
 講演に関するさまざまな役割は基本的に学生が務め、毎回、司会進行などを担う担当グループを決め、質疑応答なども各グループで意見をまとめて発表。受け身の授業ではなく、学生一人ひとりが自発的に講演に関わっていくことで、より深い学びを目指しています。」
 では、リレー講座のトップバッターであるトヨタ自動車株式会社元代表取締役社長、渡辺捷昭氏の登壇です。

女性の行動が女性の活躍の舞台を広げる
世界を見据えて考えることが大切

渡辺氏からは、①今の時代をどう考えるか、②トヨタの社員だった頃に考えていたこと、③リーダーとして心がけてきたこと、の3つに分けて、お話がありました。
「今は、『少子高齢化』『人生100年時代』『ジェンダー平等』の時代で、女性が活躍できる舞台は、皆さんの行動ひとつで多方面に広がる可能性を秘めています。実際、「日本科学技術振興機構(JST)」が若い科学者たちを対象に「2050年にどういった科学技術でどのような社会をつくりたいか」というテーマで研究テーマを公募したところ、採用された1チームの3人のリーダーうちの2人が女性でした。メンバーには女性も多い。『女性が活躍できる場を増やそう』などと言っているのはもう遅い。皆さんが積極的に前に出ていき、実力を発揮する時代はもうすぐそこまで来ているし、先ほどの2人の女性リーダーのようにすでに活躍している人たちもたくさんいます。今はそういう時代です」と渡辺氏は話します。
また、地球環境に関する問題は国も企業も学校も一丸となって取り組んでいかなければいけない世界規模の課題だし、情報通信の技術が飛躍的に進化していることも忘れてはいけない、と渡辺氏は言葉を続けます。
「さらに、コロナ禍をきっかけに時間と場所の概念がガラリと変わり、今後は働き方や生活の仕方が変わってきます。これをどう受け止め、進めていくかも考えていかなければなりません。そして、ますます世界は狭くなってきています。つまり、今は世界の影響を直接受ける時代。だからこそ、世界を見据えて考えること、判断することも重要になってきます」(渡辺氏)

3つの話をする渡辺氏

与えられた仕事のなかで自分のやりたいことをする
人生を仕事で変えていく

真剣に話を聞く学生

「私は仕事に貴賎はないと考えています。ただ、どんな仕事をするにしても、私はこの仕事とどう向き合っていけば自分の人生に役立つか、自分の成長につながるか、その仕事を通して自分のやりたいことがやれるか、人の役に立つことができるかが大事だと思っています。
 トヨタ自動車に入社した私が最初に配属されたのは、福利厚生課の給食係でした。工場の社員食堂の係です。どう考えても、自分のやりたい仕事ではありませんでした。辞めてしまおう、と思ったこともありました。でも、とりあえず、一度、現場の食堂に行ってみよう、と思ったのです。食堂の現場に行き観察しているといろいろな問題がみえてきました。例えば、食事の献立の美味しさ、仕込み量と残飯量などです。そこで残飯に目をつけ、毎日、残飯の量を測り、データ化していきました。
 ちょうどその年、全社でデミング賞(品質管理に関する実務や理論に貢献した個人や団体に贈る賞)受賞の話が持ち上がり、人事部も対象になりました。そこで、私の“残飯量の分析と改善提案”が目に留まりました。その後、人事部のデミング賞受審チームの一員として、1年間受審活動をしました。
  ここで私が言いたいのは、あのとき、腐って辞めていたら、今日の自分はなかったということです。実際に現場へ行ったから、気づきがあった。そして、そのときの自分にできることをやってみたことで、ビジネスマンとして前に進むことができました」(渡辺氏)。

その後、異動になった広報課では、世間で「販売のトヨタ、技術の日産」と呼ばれていたことに疑問を感じ、トヨタの技術力をアピールするために自社の技術研究所をマスコミやオピニオンリーダーたちに公開することを会社に提案し、実現しました。
「広報課は何をする部署なのか、トヨタはどういう会社なのかを考えた結果のことでした」(渡辺氏)
 次に配属になった購買課では、課長として「良き購買マンは良き営業マンになるべき」と宣言。メンバーの意識や行動、仕事の仕方を変えるよう努めました。
「1982年には秘書課に異動。嫌で嫌で仕方がありませんでしたが、トップの役に立つ秘書の3つのミッションを考え行動しました。3つとは、①忙しいボスの精神安定剤、②さまざまな人と関係を持たなくてはならないトップと人々との間の潤滑剤、③ボスの頭脳役(ブレイン)です。」(渡辺氏)
 続く異動先の総合企画部は、当時はあまり陽の当たらないような部署。「何もしないで早々に帰れ」と言われているような印象を持ったことから、渡辺氏は「早々帰宅部」というあだ名をつけたそうです。しかし部長だった渡辺氏は「早々帰宅部」からの脱却を目標に、部員全員で1年目から各部署に「会社の問題や課題はないか」を聞いて回り、それらの内容を整理したと言います。
「そこで、『このままでは大企業病になって会社がつぶれるかもしれない』という危機感を覚えた私は、会社の課題や問題点を整理し、将来のあるべき姿をみんなで考え、トップに提案しました。部の名前も、総合的に企画をしながら経営に参画することだと考え、経営企画部に変えてもらったのです」(渡辺氏)
 思い返してみると、私は新入社員の頃から部長に至るまで、いつも「何をしなければいけないかを考え、問題や気づきをしっかりと意識して行動していくこと」を大事にしてきた、と渡辺氏はトヨタ時代を振り返りました。

仕事の目的を考えて、夢や目標、ビジョンを描く
身の丈を計り、賛同者を増やすことを心がける

「私が仕事をするなかで心がけていたことは、次の3点です。
 ひとつは、与えられた仕事の目的をしっかり考えて、夢や目標、ビジョンを描くこと。そして、やれること、やりたいことをきっちりとやりきることでした。2つ目は、そのときどきの自分や自分が所属するチームの身の丈を計ることです。自分も全知全能ではないから、誰かの助けを求めなければいけないときもある。そのときはチームをつくるんです。賛同者をつくる。賛同者を得るためのしかけや仕組みをつくることも重要です。自分の実力を伸ばすためにしっかり努力することはもちろん、周りで協力してくれる人と一緒に考えて行動することも心がけました。3つ目は、理想と現実のギャップを埋めるためには何をすれば良いのか、具体的な方策を考えること、そしてそれをチームと一緒にやりきることです。私は新入社員のときからこの3つは肝に銘じてきました」(渡辺氏)。
 そして、ご自身の経験をもとに、学生たちにこんなアドバイスをしてくれました。
「ひとつは好奇心を持つこと。そして、危機意識をもってほしい。それも「ダメだ、ダメだ」と嘆くばかりの後ろ向きの危機意識ではなく、対策のある危機意識を持つことが重要です。対策がない危機意識は不安感を募らせるだけですから、危機意識を健全にしてほしいですね。「こんなことをしたらきっと良くなるぞ」と確信を持って言えるくらいのものが、良い意味での好奇心であり、気づきであり、問題発見能力であると思います。2つ目は、夢や目標を持つこと。3つ目は、やってみること、やりきってみることです。勇気や覚悟、執念が必要ですし、壁も多いけれど、いろんな仲間と気持ちを同じくしてチームで挑むことは、自分もチームも成長させてくれるはずです」(渡辺氏)

仕事の目的を話す

「どうやったら好奇心が持てるか」という学生の質問に
「『なぜ?』という疑問が好奇心につながる」と答えを

学生からの質問

約1時間の講演のあとは、質疑応答です。さまざまなグループからいろいろな質問が出ましたが、ここではひとつだけご紹介しておきます。
「思い切ってやること、自分の意志の大切さを強く感じました」という感想のあと、「好奇心は持とうと思って持てるものではないと思います。どうやったら好奇心を持つことができるでしょうか」という質問が出ました。それに対して渡辺氏は「好奇心とは、言い換えれば問題発見能力です。私はいつも、現場に行って作業員の動きを見たり、話をしたりしました。そのなかで、例えばやりにくい作業があったら、『どうしてやりにくいんだろう』と考えます。この『なぜ?』が好奇心につながります」と答えてくれました。

深澤晶久教授の話

ご講演の2週間後、学生が渡辺様にお送りした手書きのサンクスメッセージが、再び学生の手元に戻ってきました。
そこには、なんと一人ひとりに宛てた渡辺様の手書きのメッセージが添えられていたのです。
深い心遣いに学生の感動は計り知れないものがありました。
心から感謝申し上げます。

2021年11月11日

オリエンタルランドと連携授業が実現しました!学生が客単価向上策を提案(6/29)

東京ディズニーリゾートの運営会社「オリエンタルランド」と本学の夢のコラボレーションが、文学部国文学科の深澤晶久教授が担当する共通教育科目「キャリアデザイン」で実現しました。東京ディズニーランドや東京ディズニーシーの課題解決を提案するPBL授業の最終プレゼンテーションが6月29日(火)に行われ、課題で与えられた客単価の最大化プランを発表。3学部6学科の3~4年生45人が、9チームに分かれて多彩でユニークなプランを競い合いました。

課題は、講師を務めた同社フード本部フード統括部の横山政司部長から与えられました。具体的には「パーク内でのフード客単価を『最大化』させる施策を提案せよ」です。横山部長は6月8日(火)の課題提示に際して、▼面白いこと▼説得力があること▼情熱にあふれていること-を、学生が行う提案内容やプレゼンに求めました。

「月間フードランキング」など提案-2班

ディズニーオタクに景品ランダム化作戦-1班

モバイルオーダーを導入-3班

「売り子販売」を提案-9班

待ち時間を楽しむコンセプトメニュー-4班

和食のおにぎり販売-5班

自販機で待ち時間活用-7班

フードも屋外広告を-6班

コイン配布やプリクラ機設置-8班

熱のこもった9チームのプレゼンに対し、横山部長は「月間フードランキング」などを提案した2班の発表を最優秀と認定しました。また、学生間の投票で最も評価が高かったのは、9班の「売り子販売」でした。

横山政司・オリエンタルランドフード本部フード統括部長の話

各チームとも発表ギリギリまで詰めて提案してくれました。その熱量は私のところにも十分に伝わってきました。最後まで諦めず、より良いものを追求して提案することは、仕事する上でも、すごく大事な姿勢です。

 プレゼンテーションも、どのチームも工夫を凝らしており、すごく分かりやすいものでした。自分たちのプレゼン力に自信を持ってください。

 その上で、皆さんが一層成長するために必要と思うことを4点挙げます。
1点目は提案の説得力です。現状分析をしっかり行った上で、一番ポイントになる課題を抽出し、解決案を探るべきです。説得力を高めるために、現状分析をしっかりやりましょう。

 2点目は、課題の本質を捉える事です。1店舗の客単価だけ上がっても、他の店舗の客単価が下がり、全体の客単価も下がれば、ミッション達成とは言えません。その辺の視点が、もう少し欲しかったと思います。

 3点目は、提案の一貫性です。チームで役割分担して作ったパーツを1つに結合した時に、全体の一貫性があるか、論理が通っているかを忘れずにチェックして下さい。

 4点目は、全員が意見を言えるチーム作りです。一部の人の意見だけでプランを作るとスムーズに進みますが、抜け穴も多くなります。様々な価値観の人が意見を出し合ったプランは、時間はかかりますが、抜け穴が塞がれ、実行段階でスムーズに進みます。全員が意見を出し合えるようなチームづくりを心掛けてください。

講師の横山政司部長
深澤晶久教授

深澤晶久教授の話

学生にとって極めて関心の高いオリエンタルランド社との連携授業は、当科目にとっても、大切な時間となっています。特に本年度は、今までにないリアルなテーマであり、学生にとってのハードルは上がったものの、深く企業や、仕事のことを考察する時間となりました。

 横山様には、プレゼンテーション当日まで、幾度となくアドバイスをいただき、仕事の厳しさも学ばせていただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。就職活動を目前に控えた学生にとって、働くこととは、仕事とは、そして企業とは、一人一人が自らと向き合い、どこまで深く考えられるかが重要であることに気づいて貰えればと考えています。

2021年8月23日

身近な課題を解決する実践的な授業で、大学生としての学びをスタート!

全学共通科目「実践入門セミナー」は全学部の1年生が受講するセミナー形式の授業で、その到達目標は、「実践女子大学の学生として学んでいく上で必要不可欠な基本的な知識や技能を身につけること」と「社会についての視野を広げて卒業後の将来について考えること」です。とくに、生涯にわたって知を探究して学び続ける自己研鑽力、現状を正しく把握して課題を発見する行動力、他者と互いに役割を理解して協力できる協働力という3つの力の育成を目指しています。今回は、人間社会学部の1年生の「実践入門セミナー」(担当:人間社会学部 竹内光悦教授)をご紹介します。

いきなりの重大ミッション
実践女子大学の魅力をより多くの高校生にアピールするには?

実践女子大学の「強み」のひとつは、「171以上の企業・組織と協働したプログラムで、実践的な学びが豊富」という点です。今回の授業は171のプログラムには含まれませんが、社会とのつながりを意識した実践的な授業となっています。今回は、1年生に親和性が高いテーマを用いた、チームビルディングとプレゼンテーション機会の実践となります。

入学して間もない1年生たちは、5月17日に「実践女子大学の魅力をより多くの受験生に知ってもらうにはどうしたらよいか」というお題を与えられ、4チームに分かれて課題解決に向けたディスカッションを開始。6月7日の中間発表を経て、6月21日の最終発表となりました。発表は7分間以内で、質疑応答も含めて10分間以内に終わらせることがルール。学生たちは各チームオリジナルのスライドを使いながら、自分たちの考えを発表しました。

竹内教授からプレゼンテーションの評価ポイントなどを説明
SNSの活用や部活・サークル活動を起点にした魅力の訴求など、学生らしい視点で様々な意見が提案されました

「HPより動画のほうが気軽に見られる」ことに着目
YouTubeで実践女子大学の魅力を発信!

「世界に発信! 実践女子大学!」というタイトルでグループワークの成果を発表した「チームA」。学生たちはターゲットを全国の女子中高生とし、10代の利用率が高いYouTubeに注目。実践女子大学の公式YouTubeチャンネルの開設を提案しました。また、再生回数を上げるためには、「SNSでPR」「動画は3分以内に」「キャッチーなタイトルに」「動画の最後にSNSの紹介をする」などの方法を提示。7分間の発表を終えました。

課題やターゲット、SNSをしっかり分析!
動画投稿の時間帯や予算なども具体的に提案

2番目に発表した「たまごチーム」のタイトルは、「JJしか勝たん! 〜きらきらJDへの道!〜」。「認知度の低さはどこからくるのか」「実践女子大学の良さはどこか」「ターゲットとなる女子高生の特徴は何か」などを丁寧に分析し、結論に至るまでの過程をスライドなどを使って紹介しました。さらに、発信ツールは女子高生の嗜好なども考慮して、10代の利用が圧倒的に多いTikTok に決定。発表では、効果が出やすいように動画の投稿時間帯や方法などもチェックして提案したほか、予算や効果展望などにも言及しました。

女子高生の不安と実践女子大学の強みを結びつけた
ツールは1日を通してよく使われるTwitterに着目

「将来が不安な女子高生! 実践女子大学に集まれ!!!」というタイトルでグループワークの成果を発表した「チーム名 いぬ」。その提案は、高校3年生の52.1%が「将来の夢やなりたい職業がない」というアンケート調査の結果と、「さまざまな分野を学べる」という人間社会学部の特徴を結びつけたものでした。ターゲットも進路未定の女子高生に絞り、彼女たちの興味を引くような情報を発信していくことを考えました。また、投稿が拡散されやすい時間帯もチェック。投稿する動画の内容も、授業の様子だけでなく、学食のメニューや在校生の今日の私服など、リアルな実践女子大学を紹介していくことを提案しました。

「YOSAKOIソーラン部wing」への興味のきっかけに
「実践女子」の名を知ってもらい、受験者数増を狙う

最後は、発表のタイトルに「#咲かせよう実践の輪」を掲げた「TEAM ZOO」。全国各地で活動する大学のサークル「YOSAKOIソーラン部wing」を広告塔に据え、地方に住む高校生やその家族に実践女子大学の名前を知ってもらおうという作戦を考えました。また、地方遠征が中止になった場合はオンラインで実践クイズ大会を開催し、高校生に人気のコスメブランドのアルコールジェルをプレゼントするなどの代案も考案。予算などもしっかりとと組み込み、OC参加者数・受験者数の増加を狙う7分間の提案を終えました。

ドキドキの結果発表!
どのチームも伸び率がすごく、接戦だった

4チームの発表が終わり、ホッとした表情を見せる学生たち。そして、いよいよ優勝チームの発表です。学生たちの前に立った実践女子大学 入学支援課 課長の朝比奈るみさんは、「中間発表のときはどうなるかと思いましたけれど、どのチームも伸び率がすごかった。データに基づいてきちんと分析された結果の提案になっていたし、質疑応答の対応も素晴らしかったです。リアリティが感じられる発表でした。どのチームを優勝とするか、とても悩みましたが、今回の優勝はたまごチームです」と発表。「たまごチーム」の間から歓声が上がり、賞賛の拍手が教室中に響きわたりました。

また、竹内先生は優勝できなかったチームの学生たちに、「悔しい思いをした人たちは、その悔しさを次に活かしてほしいと思います」とエールを送りました。

実践の場で、良い意味で失敗してもらう
そこに気づきがあり、次の目標が生まれる

「学部全体で、PBL(課題解決型学習)を推していこうという流れがあります。なるべく早く実践の場に立って、いい意味で失敗をしてもらう。例えば、質疑応答で指摘され、データ数が足りないことが分かった。それこそが、失敗から学ぶ「気づき」です。そしてその気づきが、「調査系の授業を受けよう」「マーケティングの授業を受けよう」という行動につながります。知識を得てから実践するのではなくて、ウチでは「まずは実践をして、失敗しつつ、足りないことを自分で学びましょう」というスタンスで授業を行っています。今回は学内の部署への提案でしたが、3年生になるとビジネスコンテストなどにも出場します。一昨年は、あるビジネスコンテストでウチの3年生のゼミが2位になりました。こうした経験は、自信にもつながります。大学生ですから、可能性はたくさんあります。1回目であきらめるのではなく、何度もチャレンジしてみる。成功しても失敗しても、その体験は「こういう経験をしました」という就活時のネタにもなります。そして私たちも、そういったことを常に意図しながら授業を行っています」と竹内教授は話してくれました。

2021年8月6日

日野市と連携!多世代交流カルタ「相詠みかるた」を日野市中央公民館かるた会でお披露目(7/1)

多世代交流カルタプロジェクトでは、「相詠みかるた」を完成させ、7月1日に日野市中央公民館かるた会でお披露目しました。「相詠みかるた」とは、高齢者と若者が、「互いの気持ちや考えを交わし合い、日々大切にしたい生き方、暮らし方の交流を行う」というコンセプトのもと、制作したものです。

人口減少が本格化する中で、地域がつながり支え合うためには、お互いが交流し知り合う場の創出が大切です。多世代交流カルタは、異世代が理解しあうツールとして役立てることを目的に、シリーズで、デザイン・作成されています。

 今回の「相詠みかるた」の読札は、日野キャンパスの現代生活学科で地域コミュニティについて学ぶ学生が創作し、絵札は、渋谷キャンパスで開講されたオープン講座履修生の学生が担当し、パッケージ化しました。そして、このほど、日野市中央公民館のご協力を得て、地域のご年配の皆さまと現代生活学科学生が、このカルタで初めて交流を行いました。

当日は、最初こそ緊張感がありましたが、「相詠みかるた」を皆さんで一度行うと、一気に場が和みました。そして、「この文章はどうやって作ったの?」「絵札の絵の一つひとつも手作りなの?」と興味津々に作品を手に取ってくださいました。後半は、読札の中から、気になる読札の言葉をきっかけに、昭和の暮らしや現代の暮らし、若者の思いや高齢者の思いなど、自由にお話を交わし合い、最後に、一人1枚ずつ、自分が一番気に入った読札を選び、なぜそれを選んだのかの思いを語り合って、会を閉じました。

学生たちは「緊張したけれど、皆さんとたくさんお話しができてとても楽しかった」「自分が作った札がこんなふうに地域で使っていただけて嬉しい」など、このカルタの手ごたえを感じた様子です。

 日野市中央公民館からも「若い方たちが公民館で活動していただけるのは本当に嬉しい。利用者の皆さんも笑顔の輝きが違う」と大変喜んでいただきました。

参加者の皆さんが「気に入った読札」として選んだ読札と、一言コメントをご紹介

「たいせつな おもいは手紙にしたためて」
昔、各家に電話もなく、真心こめて手紙を書いたことを思い出します。

「再利用 大切な木材 無駄にしない」
ものを大切に使い切る。また違う使い方をして、再び命がよみがえる。何か得した気持ちを楽しんでいます。

「ラッパの音 鍋をもって はしりだす」
鍋を持って豆腐を買う。ごみを出さない今こそ必要。

「レッツゴー コミュニティにとびこもう」
まだまだ皆さんと勉強し、教えていただくこと、学ぶことがたくさんあると思いました。

今後も、このカルタを用いた交流を、いろいろな形で行っていきたいと考えています。

2021年3月8日 毎日新聞 掲載
「カルタで多世代交流 実践女子大と本社、意見交換」

本学が毎日新聞社との社会連携事業として計画している、カルタによる多世代交流が取り上げられました。現代生活学科の須賀由紀子教授のゼミ生が中心となり進めており、毎日新聞と2月24日に日野キャンパスで打ち合わせが行われたと紹介されました。

2021年3月8日 毎日新聞 朝刊

2021年8月2日

コロナ禍でも「自分の思い」消さないで!五輪メダリストの有森さんが本学で特別講義を行いました(7/6)

東京2020オリンピック競技大会開幕を18日後に控えた7月6日(火)、五輪女子マラソンメダリストの有森裕子さんが、本学渋谷キャンパスを訪れ、特別講義を行いました。

有森さんは、新型コロナウイルスの感染者急拡大で大会開催に批判が高まるなか、「オリンピアンとしては、オリンピックそのものが悪いとは全然思っていない。社会との関わりの中で存在するオリンピックの存在意義を考えてみて欲しい」と強調。また、コロナ禍で不安な大学生活を強いられる学生たちに「自分の思いと自分のプラスを消さないこと。それさえあれば、できないことはない」と呼び掛けました。

 授業は、2~3年生が対象のキャリア教育科目「国際理解とキャリア形成」の中で行われ、スポーツニッポン新聞社の藤山健二編集委員と有森裕子さんの対談が実現しました。指導教授は文学部国文学科の深澤晶久教授(キャリア教育)です。今年度は学生26人が履修。コロナ禍でオンライン講義を余儀なくされた昨年と違い、今年度は教室で行われました。

未熟な?オリンピック

 対談は冒頭、コロナ禍で異例ずくめの東京オリンピックに関する話題でスタートしました。感染者が急拡大するなか、開催それ自体にも批判がある今回の大会をどう評価するか。有森さんは「藤山さん、こんなに想像つかないオリンピックは今までありましたか?」と藤山氏に水を向け、同氏も「これまでのオリンピックの中で、初めてです」などと、応じました。

 その上で、有森さんは学生たちにも問い掛けます。「(今回のオリンピックの)イメージが悪いのは、どこが悪いのかを皆さんに聞きたい。オリンピックそのものが本当に悪いのか。今起こっているコロナ禍の現実がおかしいのか」。有森さんは「私は、オリンピックそのものが悪いとは全然思っていない」と強調した上で、「そこは本当に一番間違えてほしくない」と訴えました。

 ただ、組織委員会などを含む大会主催サイドが、これまで通りのスタンスのままでいいのかというと、そうとも言い切れないようです。というのも、今回のオリンピック開催に従来のような一般の圧倒的支持がないのも事実だからです。

 この結果、有森さんは「非常に毎日、悩ましい日々を過ごしている」と胸中を明かしました。けだし、「社会との関わりの中で存在するオリンピック開催であれば、すべてに優先されるというのは、自分たちの勘違いではないか」と自問自答していると言い、「(そういうことを)今まで考えてこなかったところに、やはり『オリンピックが未熟だった』と凄く感じている」「本当の意味で、社会の中で論ずべき自分たちの存在意義を考えてこなかったことが、今露呈している」などと強調しました。

対談する有森さんと藤山編集委員

オリンピアンはエリートばかりか?

藤山編集委員

 他方、藤山氏も有森さんとは別の角度から、東京オリンピックの課題を探ります。藤山氏は自らの取材体験を通して、「オリンピックに無関心、反対と言う人たちは若い人が多い」と語り、若者たちの声に耳を傾けたのです。

 「どうして無関心なのか、若い人にいろいろ聞いてみると、『オリンピックに出場するような選手たちは、小さい頃からエリートで、特別に育てられてきたような人とばっかり。自分たちと全く住む世界が違う人なので、オリンピックは勝手にやってくださいよ』みたいな人が、とても多かったんです」と藤山氏。

 オリンピックに出場するアスリートは、本当に絵に描いたようなエリート選手ばかりなのでしょうか。藤山氏は対談を通じて検証を試みます。そのアンチテーゼともいえるのが有森さんの競技人生といえるからです。対談では有森さん曰く、「エリート街道とは無縁の、変な街道」の競技人生を振り返りました。

無名の存在から、一躍五輪の銀メダリストに

 翻って、有森さんが陸上競技の表舞台に登場したのは、1990年の大阪国際女子マラソンからです。初マラソンで2時間32分51秒の初マラソン日本最高記録をたたき出し、6位に入賞。2年連続で出場した翌年の大阪国際女子マラソンも、2時間28分1秒の日本最高記録で2位に入り、トップランナーの座を不動のものとしました。翌1991年夏、東京開催の世界陸上は4位。そして1992年夏のバルセロナ五輪女子マラソンで銀メダル獲得と、一気に世界の最高峰へ駆け上がるのです。

 この間、わずかに2年半。ところが、それ以前は本当に無名で、後の五輪銀メダリストが陸上競技界で注目を浴びたことは、ほとんどありませんでした。故障がちで、そもそも満足に走れなかったせいもあります。それ以前の有森さんは、どこで、何をしていたのでしょうか?

競技人生の始まりは「門前払い」から

 有森さんが陸上競技を始めたのは、岡山市の私立就実高校に入学してからでした。市内の公立中学校時代はバスケットボール部。ただ、有森さんは持久力に優れ、その特性を活かして校内運動会の800m走で3年連続優勝したと言います。それがきっかけで、バスケットボールから陸上に目を向け、「バスケの下手な自分より、走ってゴールテープを切れる自分の方がいい」と考え、陸上競技転向を決意したと振り返りました。

 しかし、高校生となった有森さんは、陸上部に入部を希望するも、同部の顧問から「素人はいらない」とあっさり門前払いされてしまいます。就実学園は中学・高校・大学の一貫校で、同高校の運動部は全国優勝したバレー部に代表されるようなスポーツ強豪校。中等部から内部進学した逸材がゴロゴロしていました。他校から入学した素人同然の有森さんは相手にしてもらえなかったのです。ただ、そこは後にマラソンで驚異の「粘り」を発揮する有森さんです。1か月かけて陸上部顧問の先生のもとに通い詰め、とうとう根負けした陸上部顧問から仮入部を勝ち取りました。

 そうまでして陸上をやりたい気持ちが強かった理由は何だったのでしょうか。有森さんは「頑張ったら人から評価され、自分の自信にもなったものが、運動会で走ったことが初めてだったんです。陸上がしたいというより、唯一走ることで得られた自信を手放せなかったんです」と話してくれました。

有森さんは、2年続けて登壇

トライアスロン転向を目論むも、あっさり頓挫

五輪メダリストの実話に学生は興味津々

 ただ、有森さんによると、高校時代は全くの鳴かず飛ばず。実績はゼロでした。国民体育大会やインターハイとはまるで無縁で、陸上部顧問の恩師の推薦で日本体育大学を受験した際は、面接官から「有森さんはどうしてこの大学に入れたんですかね?」と不思議がられる始末でした。大学入学後も、1年時に関東学生選手権大会で3000m2位に入賞し周囲を驚かせたことはあっても、またもや足を故障。やがて名門・日体大陸上部の中で、その存在を忘れられていきます。

 この間、有森さんは密かにトライアスロンへの転向を目論見ます。当時、トライアスロンにはまだ女子の第一人者がいなかったからと言いますが、要は「現実逃避」です。親からの仕送り10万円の大枚を全てはたいて、高額なトライアスロン用自転車を購入。転向計画の準備は着々と進展するかに見えたのですが、早晩、計画はあっさり頓挫してしまいました。「肝心の自転車が盗まれてしまい、いきなり目の前から消えてしまいました」。有森さんは、はっと我に返ります。その時の心境を、高額な自転車を盗まれた悔しさよりも、「自分は何をしているのか。何のために大学に進学したのか。走るためだろう」と振り返りました。

未来切り拓いた、小出監督との出会い

 卒業後は体育の教師になるつもりでした。高校と大学を通じて実績ゼロの自分に、実業団から声が掛かることは有り得なかったからです。そう頭では分かっていても、これまでの陸上競技人生に「不完全燃焼感」は拭えませんでした。そんな時に岡山市内の自宅に掛かってきたのが、リクルートの小出義雄監督からの一本の電話でした。後に有森さんが「小出監督の勘違いだった」と分かった監督からの電話が、有森さんの未来を切り拓きます。

 小出義雄監督は、女子選手育成に卓越した手腕を発揮する名伯楽として当時から知られていました。2019年4月に80歳で亡くなりますが、有森さんのほか、2000年シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さん、1997年世界陸上アテネ大会女子マラソン優勝の鈴木博美さん、2003年世界陸上パリ大会女子マラソン3位の千葉真子さんなどを育て、幾多のトップランナーを世に送り出しました。

 有森さんは、友人の紹介を頼りに手紙を通じて実業団のリクルートにアプローチ。小出監督は同社陸上部のマネージャーから入部希望の有森さんの存在を知らされたようです。電話での2人の会話は、小出監督が過去に有森さんと面会したことがないのに会ったものと勘違いしていたせいで、どうにもチグハグなものでした。結局、「多分、僕ね。物忘れがひどいから、思い出すかもしれないから、会ってみよう」ということになり、有森さんは翌日、千葉のリクルート合宿所の小出監督のもとに嬉々として向かいます。

小出監督との出会いが、飛躍のきっかけ

熱意を監督に認めてもらう

初対面で、小出監督が困り果てる?

 有森さんによると、1時間ほどの面談は「逃げ出したくなるような面談」だったそうです。小出監督は「有森さん、国体は何位?」「インターハイは?」などと質問を重ねますが、いかんせん、有森さんは高校や大学で実績ゼロ。ひたすら「入部したい」「これから実業団で頑張りたい」と熱意を強調して直訴するしかありませんでした。小出監督もようやく事情を呑み込めたようで、最後の方は困り果てていたと有森さんは述懐します。

 有森さんは「(僕の)勘違いだった。あまり情報がなかったから呼んでしまったが、ちょっと無理だよ」と小出監督が言ってくれれば、入部は諦めていたと言います。しかし、小出監督から返ってきた答えは意外なものでした。

 「有森さん、今うちね、いい選手が5人いる。高校チャンピオンや日本記録保持者、インターハイ・国体チャンピオン…。そうそうたるメンバー。素質や実績、肩書き…すべてパーフェクト。ただね、有森さん。人間は、どんなに素晴らしい素質や肩書き、実績を過去に山ほど持っていても、『これからどうしたい』『夢や目標を持っているか』ということが、本当に大事なんだ。それをね、有森さんは見事に持っている。僕もびっくり。これほど持っている人を目の前で初めて見た。もっとびっくりなのは、これだけ何も実績を持ってない人が、よくぞここにやってきたということ。その根拠のないやる気、とっても興味がある。僕はあなたの根拠のないやる気を形にしてみたい」。

 千葉での面談から2日後、岡山市の実家に帰っていた有森さんにリクルート社人事部から電話で採用の連絡が届きました。1989年、有森さんは日体大を卒業と同時に、晴れてリクルート社に入社しました。

悔しさバネに、マラソン転向

 入部後の有森さんは、1年目の秋にマラソンに転向します。当初は国体種目の1万メートルを目標に練習していましたが、岡山県の最終予選で優勝するも、陸上部が選手登録をしていなかったミスで失格。岡山県代表の夢は儚く消えました。しかし、陸上部から謝ってもらえるどころか、小出監督からは「お前に実績がないから、そういうことになるんだ」と突き放される始末。悔しさの余り、涙ながらに寮の自室の壁を足で蹴りながら、「今に結果を出してやる。今に見てろ。絶対忘れられない選手になってやる」と誓ったうえでのマラソン転向でした。

一日40キロの猛練習で才能開花

 転向後のマラソン練習は、1か月間で1200キロ、一日平均で40キロに達するハードなものでした。成人女性の一日平均摂取カロリーは1400~2000カロリーと言われますが、有森さんは「4000カロリーは普通に摂っていた。そうでないと痩せてしまう」と述懐します。

 また、バネがなくてスピードが出ない有森さんに、小出監督がタイムを要求することはなかったと言います。代わって小出監督が要求したのは、他人の倍以上のメニューの消化でした。小出監督から「お前な。42.195kmを全力で走らなきゃいけないから、その距離(40キロ)が普通にならなきゃいけない」と言い含められ、有森さんは「はあ?そうなんですね」と、さしたる疑問も抱かずに、毎日の猛練習に耐えていたそうです。

今年は教室で対面講義が実現

コンタクト片方で駆けたバルセロナ五輪

「銀メダルの実感は?」と対談で

 こうして転向後2年で迎えたスペインのバルセロナ五輪。結果は周知の通り、有森さんは銀メダルに輝きました。日本女子選手で64年ぶりのメダルです。対談では、当日の朝にホテルでコンタクトレンズの片方を失くし、片目だけでレースを走ったこと。また、沿道のスペイン語による「アニーモ」という声援を、自分のニックネームである「アリモ」と聞き違え、大いに気をよくしてコースを駆けたことが、エピソードとして紹介されました。有森さんは、藤山氏の「銀メダルを実感した時はいつ?」という質問に対し、「表彰式後にホテルに戻り、メダルを掛けたまま鏡に映る自分の姿を見た時」と語りました。

足の故障など、心身ともにどん底を経験

 しかし、バルセロナ後は栄光の競技人生が暗転。周囲との軋轢から心身のバランスを崩し、足のケガも重なって、スランプで走れなくなってしまいました。

 有森さんによると、バルセロナ直後は「優勝したエゴロワ選手の安定した走りに刺激をもらい、『私もあんなフォームを身に付けるんだ』『もっと筋力をつけるんだ』と、本人はモチベーションを失っていなかった」と言います。

 ところが、周囲の反応は全く違ったものでした。「これで引退できるね」「これからは指導者だね」などと、メダル獲得を花道に競技人生の引退を勧めるかのような接し方だったと言います。それが有森さんには疑問であり、不満でした。「自分はメダル獲得を契機にさらなる高みを目指すつもりなのになぜ?」。そうした周囲の接し方が我慢ならない有森さんでしたが、反発すると逆に誹謗中傷を受ける始末。タイミングが悪いことに、バルセロナ後は疲れから体はガタガタ、足の痛みも悪化し、記録は落ちる一方でした。もちろん、そんな「過去の人」の言葉に重みはありません。「これでは誰も私の話など聞いてくれない」と焦って走ると、さらに記録は落ち、ますます袋小路に陥ってしまいました。

 転機は足底筋膜炎の手術でした。手術は成功。再び走る意欲を取り戻し、翌1995年夏にアトランタ五輪の選考レースを兼ねた北海道マラソンに出場。大方の予想を覆して優勝し、アトランタ五輪への切符を手にしました。

 ただ、アトランタ五輪出場に賭ける気持ちは、無心で臨んだバルセロナ五輪とはまるで違いました。心身ともにどん底を経験した有森さんのみが知る固い決意を秘めていたのです。「何色でもいいから、何が何でもメダルを獲らなければならない」。それは「オリンピックは手段。決してゴールではない」という、自らの信念の正しさを証明するため必要なメダル獲得でした。自分の言葉に耳を傾けてもらうには「過去の実績ではなく、今の明確な実績が必要だった」と信じて疑わなかったのです。

「自分をほめたい」は、納得感から出た言葉

 そして迎えた1996年7月のアトランタ五輪。有森さんは再び女子マラソンのスタートラインに帰ってきました。4年間の紆余曲折を経て、たどり着いたスタートラインは「すごく気持ちのいい、変な緊張など何もない」という非常に落ち着いていたものだったそうです。結果は銅メダル。ゴール直後に、この年の流行語大賞にもなったあの言葉が生まれます。「自分で自分をほめたい」-。

 それは「単に銅メダル獲得という結果に対して出た言葉ではない」と有森さんは強調します。「オリンピックは、あくまで手段であり、ゴールではない」という、自らの信念を証明するため、どうしても必要な2度目のメダル獲得でした。対談では、あの感動の言葉がゴール直後に口をついて出たゴール直後の心境を「全てにおいて自分しか知り得ない内容を、求めるもの全てをクリア出来たという納得感から出た言葉だった」と明かしてくれました。

あの流行語大賞は、納得感から生まれた

「どんな状況でも、自分の思い大事に」

 対談の最後に有森さんは、学生の質問に応じます。その際、有森さんが語ったのは、「マラソンを走った経験がある?」と学生に尋ねた上で「(マラソンは)誰でも出来る。絶対に42.195キロを走れる。なぜなら、歩こうが止まろうが、前にさえ進めば、いつか42キロ先のゴールに絶対にたどり着けるからだ」というシンプルな事実でした。そして学生に訴えます。「できない唯一の条件があるとしたら、それはあなたができないと思っているか、思っていないかなのでは?」。

 学生たちとの質疑応答ののち、有森さんはコロナ禍で不安な日常を送る学生らにエールを贈ります。「人生も(マラソンと)一緒」と強調。続けて、「自分が自分の思いと、自分のプラスを消さないこと。それさえあれば、できないことはない」「どんな状況であっても常に、自分が自分という姿や思いを、ちゃんとあるかどうかを大事にしてほしい。そうすれば、いつでも、どんな状況でも、誰かがそれに気付いてくれるから、出来ないことはないと私は思っている」などと語りました。

学生の質問に答える有森さん
有森さん、藤山編集委員を囲んで
担当の深澤教授

深澤晶久教授の話

 藤山編集委員のお心遣いから生まれた有森裕子さんの特別講座、昨年は残念ながらオンラインとなりましたが、今年は教室で直接お話しをお聞き出来ることになりました。学生のアンケートからも、様々な有森さんのお言葉が響いたことを実感しましたが、なかでも「どんなに苦しくても諦めないことの大切さ」「自分の信念、いわば軸をしっかり持ち続けることの大切さ」そして、思うようにいかない場面では「せっかく」という言葉を頭につけることでどんなネガティブなこともポジティブなことに置き換わる「魔法のフレーズ」が特に印象的でした。貴重なお話しをありがとうございました。