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2024年7月25日

自分の大事なことを軸に!「国際理解とキャリア形成」の授業で資生堂国際マーケティング部の岡野静佳氏の講演が行われました。

6月4日(火)に大学共通教育科目「国際理解とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、株式会社資生堂の岡野静佳氏をお招きしての講演が行われました。今年の5月に育休から復帰したばかりの岡野氏は、キャリアの築き方や生活との両立など、女性としてのロールモデルを示してくださいました。

変わらないために時代に合わせて変わっていく

岡野氏も、京都の女子大学出身。「女子大学を卒業した女性として、そして今後出産を考えている人には働くママの参考としてもらいたいと思います」と講演を始められました。岡野氏は2007年に資生堂に入社。そのときの人事担当が深澤教授だったと言います。面接後、エレベーターが閉まるまで深々と頭を下げていたのを今でも覚えていると語り、「学生に対しても、真摯に向き合ってくれる会社なんだと実感しました」と話しました。

資生堂は1872年創業の150年以上の歴史を持つ日本を代表する企業です。現在の売上比率の73%は海外で達成している、立派なグローバル企業でもあります。
けれどもそんな大企業でもコロナ禍の打撃は大きかったと言います。
「コロナ禍でお客さんの購買の意識も、市場も変わりました。変わっていく環境にどう対応していくかが大事」と『ビジネストランスフォーメーション』という言葉を伝えました。
「ただ、変わりたくないところ、資生堂らしさはなにかということも考えていかなくてはいけません。大事な部分が変わらないために変わり続ける」と、企業の理念を伝えました。

化粧品ってどうやって作られる?

岡野氏はデパートの営業部からスタートしました。
しかし、いつかは海外で働きたいと思い続け、募集があった際に手を挙げ国際マーケティング部(SHISEIDO GLOBAL BRAND UNIT)に配属。以来ずっと商品開発に携わっています。
そのなかの一つ、2018年に大学生をターゲットにしたブランドを立ち上げた際の経験について詳しく語ってくださいました。

若年層のメイクポーチに資生堂のアイテムを入れてもらいたい、という思いから大学生たちへアンケート調査をすることからスタート。
そして資生堂らしさをどう表現するかを考えます。手をかけて心を込めて作られる、という共通点から日本伝統の和菓子をコンセプトとすることで、繊細な『手つむぎ』を表現し商品として届けようと考えました。
コンセプトが決まれば色作り。研究所で他のブランドのアイテムも参考にしつつ、若い世代に受け入れられそう、かつその時期に流行りそうな色を考えます。さまざまなものを混ぜ合わせて考え、ときには絵の具にジャムを混ぜたことも。
色を研究所に伝え製品ができると、話題化の仕掛けとして有名和菓子店とコラボレーションしてポップアップストアを展開。
その甲斐あってSNSで話題となり、2018年限定のブランド予定でしたが翌年以降も展開する大成功をおさめました。

働く女性として、ママとして

順風満帆に見える岡野氏の活躍ですが、表で示された人生はアップダウンの連続でした。
入社直後は営業の仕事がつらく落ち込みますが、徐々に仕事が楽しくなり上がっていきます。念願の国際マーケティング部に異動するも、やりたかった仕事とは違い理想と現実のギャップに悩みます。
仕事が認められるようになると自信が付き、「今は思い通りの商品が作れるようになってきた」と、「今は仕事がとても楽しいです」と語りました。

また、岡野氏のなかで大きな出来事として「母という新しいキャリアを始めた」こと」だと言います。
「育児は未知の世界で、仕事をしているほうが楽だと思ったくらい」と両立の大変さを話しましたが「家庭だけではない、仕事での顔があることは自分にとって、とても良かったと思います」と語りました。

いまもベースになっている留学中のあるできごと

ここで岡野氏は「自分の原点」という留学中のひとつの出来事を語りました。
空港で、全盲・難聴の男性に助けを求められ、なんとかコミュニケーションを取り手助けしたエピソードです。彼が飛行機に乗る間際、満面の笑みで手を振ってくれたのを見たとき、岡野氏は「今までにないものを感じました」と話します。
自分が人を助けられたという満足感や、喜ばせられたという嬉しさ。それらがとても印象的だったと言い、就活のときはこのエピソードをエントリーシートに書いたり面接で話したりしたと語りました。

「ガクチカというと、学生時代に力をいれたことだけと思われがちですが、こういった日常の一コマでもいい。自分の言葉で、何が自分のなかで価値になったのかを伝えられること」が大事と力強く話します。
ドキドキしたりワクワクしたり、自分しか経験してないことを探すことが、就職活動でのヒントになると話しました。
心を重んじ、「自分が何をしたいのかを大事にしてくれる企業を選んでほしいと思います」と講演を終えられました。

企業に合わせず自分の軸を大事に

講演後に学生は班ごとで話し合いが行われました。
その後意見や感想をリアルタイムで掲示板に投稿し、読み上げる形で質疑応答がありました。就活について、女性として働くことについての質問が続々寄せられます。

「就活のときにやりたいことはありましたか」という質問には「なかったです。やりたいことではなく、自分が大事にしていたいことを忘れなくていい企業を選ぶことが大事」と回答しました。
「内定を取る秘訣は?」というものには。
「私はエントリーシートを企業に合わせて書き換えたりはしていなかったです。企業に合わせず、自分の大事なことを軸に勝負し伝えることで、共感してくれる企業と縁があると思います」と話しました。
岡野氏が働く女性の先輩としての姿を示してくださったことで、学生たちは自身のやりたいことや軸を考えるきっかけになる講演でした。

担当教員からのメッセージ

初めてお会いしたのは今から15年前、私が企業の採用を担当していた時でした。
きらきらと輝く姿は今でも強く印象に残っており、社員として成長を心から
期待していた人材です。今や、グローバル部門におけるブランドマーケティングの中核的存在として活躍されるとともに、出産の期間を経て、久しぶりに私の授業に帰ってきて下さいました。
仕事にも、育児にも、100%以上のスタンスで取り組む姿が、学生の心に強く響いたようです。
岡野さんの益々のご活躍を心からお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。

2023年8月8日

これからのオリンピックの形は?「国際理解とキャリア形成」の授業でオリンピックの将来についてのプレゼンテーションが行われました。

共通教育科目「国際理解とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)で7月11日にスポーツニッポン新聞社とのコラボ授業が行われました。「実践女子大生が考えるこれからのオリンピックの形」について学生たちがプレゼンテーションを行いました。授業の様子は7月12日のスポニチに記事として掲載され、貴重な発信の機会となりました。

メタバースも使って全員参加

最初の発表はグループ3から。
日本では開会式は視聴率がとても高い反面、各競技に対する視聴率は低く、関心がないことに着目。改善に向け、学生を対象にオリンピック関連の授業を実施することを提案しました。歴史や選手の講演を行ったりユニファイドスポーツを知ってもらうきっかけを増やしたりすることを考えました。また、ジェンダー面の解決策として、ユニフォームのデザイン案を選手自身に投票してもらうなども考案しました。

発表後には藤山氏から講評をいただきました。
「全員で参加するという姿勢を感じました。なぜ若者は競技を見ないのか、もう少し深堀してもらえたら更に良かったです」と話されました。

次のグループ1は「全世界に臨場感を届けたい!」をテーマに、メタバース空間を利用した観客参加を提案しました。VR技術を活用し、実際に競技を体験・参加できる場を作ります。エキシビションとして実際にゲームのようにメタバース空間で対戦できることで、親近感がわくシステムを考えました。

藤山氏からも「これからの時代メタバースなどの技術革新は避けては通れないでしょう」と同意のコメントをいただきました。ただ「IOCには厳しい肖像権がある。IOCも時代に合わせ変わって行かなくてはならない」と問題提起も重ねられました。

若者の意見を取り入れるには?

グループ6はオリンピックを現代だけでなく後世に伝えるために「若者に身近であり続ける」ことを目標としました。組織委員会の高齢化を問題点とし、もっと若者の意見を入りやすくするべきと指摘しました。また、スポーツ観戦は時間がかかりタイムパフォーマンスが悪いと若者から嫌煙されている点にも注目。オンラインチケットの販売で、アーカイブ配信をする方法などを提案しました。

藤山氏も「取材していても高齢化は感じていた。オリンピックの組織自体も若返らないと。また、スポーツが生き返るためにも時間の問題は大切だと感じました」と感想を述べられました。

グループ2は多様性に注目。
ユニフォームに自由度がないことを課題に挙げました。ジェンダーや宗教性の違いに配慮するため、それぞれの選手が着たい形状を選択できるようにしたり、選手の意見を取り入れたデザインにしたりすることを提案。また、水泳などの競技では盗撮等の問題があることも挙げ、安心して競技に集中できるユニフォームなどの採用の必要性を伝えました。開会式も競技別の選手入場とするなど、選手が伸び伸びとできる環境へ変わることの大切さを訴えました。

「多様性とスポーツとしての統一性をどう保つかの問題は難しい」と藤山氏。「盗撮の問題も水泳だけでなく深刻。取り上げてもらって良かった」と着眼点の良さを褒められました。

サスティナブルなオリンピックの形

グループ4は「全人類参加型のオリンピック」を掲げました。
ジェンダーに関係ない競技の採用を提案しました。例えばダンスやチアリーディング、アカペラなど、表現力を競うものをあげました。「オリンピックに合わないと思われるかもしれませんが、これくらい大胆に体格差や性別に関係ないものを入れるべき」と主張。その他にもSNSの活用や映画館等でのライブビューイングの活用などを提案しました。

藤山氏は「見出しが良いですね」と感嘆。「全員が納得する条件は難しい。男女の区別がない競技は必要」と共感されました。

最後のグループ5は「持続可能なオリンピック」をテーマにしました。
施設建設時の違法伐採や、終了後の施設の廃墟化、グッズの大量在庫の問題に焦点を当てました。これらの解決策として分散開催を提案しました。アジア・ヨーロッパなどエリア開催や、メタバースを活用することを提案し、地域振興や環境保全と、経済の両立を目指します。

「これからのオリンピックでは分散開催は確実に行われます」と藤山氏。「いままで一つの都市でしか開催できなかったのですが、2019年に改訂されました。少しずつですがオリンピックも変わっています」と話されました。

若者の視点でオリンピックを考える

最後に藤山氏から総評をいただきました。
「ひとつのテーマにも、いろんな切り口がありどれも内容が濃くてびっくりしました。このままオリンピックの委員会に持っていって、若者の意見として伝えても通じるものでした。メタバースやSNSなどはこれからの時代、確実に使われるものだと感じ、オリンピックやオリンピック委員会も変わらないといけないと改めて気付きました」と学生たちの頑張りをねぎらいました。

この授業の模様は、翌日のスポニチに実際に記事として掲載されました。
学生たちにとって貴重な発信の機会となりました。

担当教員からのメッセージ

「東京2020」の開幕前からスポーツニッポン新聞社様にご支援をいただき、6年の歳月が流れたことになります。その間には、開催の延期、無観客開催、そして大会後の様々な問題など、日本社会を大きく揺るがすイベントになりました。一方、実践女子大学では、10,000人を超える学生が、様々な形で東京2020に関わり、きっと彼女たち一人ひとりの心の中には、様々な感情とともに深く刻まれたことと思います。早いもので、来年はパリ五輪が開催されます。平和の祭典として歴史が続くことを祈りたいと思います。この間、様々な形でご支援いただいたスポーツニッポン新聞社の皆様に、改めて感謝申し上げます。

2023年7月20日

「国際理解とキャリア形成」の授業で五輪メダリストの有森裕子氏をお招きしスポーツニッポン新聞社との特別コラボが行われました。

共通教育科目「国際理解とキャリア形成」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、6月27日にスポーツニッポン新聞社との特別コラボセッションが行われました。スペシャルゲストは五輪女子マラソンメダリストの有森裕子氏。藤山健二編集委員との対談という形で、学生たちの前で講演を行って下さいました。世界の第一線で活躍された有森氏の貴重なお話に、学生たちも頷いたりメモを取ったりしながら真剣に耳を傾けていました。

諦めずに陸上部に入部

対談は、藤山氏が有森氏の生涯を振り返っていく形で進んでいきました。
有森氏はバルセロナ五輪で銀メダル、アトランタ五輪で銅メダルを獲得した、押しも押されもせぬオリンピアン。
しかし、子どもの頃は体が弱く、スポーツとは縁遠かったと話します。陸上と出会ったのは中学時代に運動会で800m走に出場したことがきっかけです。
「他の競技は得意な子がやりたがるんですが、800mは誰も出たがらなかったので空きがあったんです」と、有森氏は冗談交じりに話しました。その800m走で3年連続優勝。
「私はできるんだ!」と思った有森氏は高校で陸上をすることを目指します。

有森氏が進学した高校はスポーツ強豪で知られる名門校でした。陸上部の門をたたくも、実績のない有森氏は門前払いに合います。
しかし顧問の先生へ1ヵ月かけしつこく通い詰め直談判。とうとう顧問は折れ、陸上部に入部しました。
なぜそこまでして諦めなかったのかとよく聞かれるという有森氏は「諦める理由がなかった」と力強く仰います。
「できたことができなくなったわけではなく、まだ全部やりつくしていないだけだったので諦める必要がなかったんです」と語りました。

「根拠のないやる気」で小出監督に直談判

念願の陸上部に入部したものの、成績は振るいませんでした。大学でも大きな成績がないまま卒業。実業団を探していたときに、リクルート社にアプローチします。
そこで出会ったのが女子マラソンの名監督として名を馳せていた小出義雄監督でした。ここまできたら、と直談判し思いを伝えます。
すると「あなたは実績もなにも持っていない。けれどそれ以上にやりたいという気持ちを持っている。その根拠のないやる気に興味がある」と入社させてくれたのです。

晴れて入団するも自分は無名。
国体の岡山県大会に出場し最終予選で優勝するも、マネージャーが選手登録をしていなかったミスで失格扱いに。
そのときチームも監督もミスを棚に上げ実績がないからだと言われ、とにかく悔しかったと言います。
「それでも、この場所を選んだのは自分。この中で頑張るしかない」と怒りを自分の力に変えられたことが良かったと語り「今でもあの経験は活きています」と話しました。

人生で一番つらい時期は銀メダル獲得後

徐々に力をつけ、バルセロナ五輪に出場し銀メダルを獲得。その後状況は一変したと言います。
女子マラソンでメダルを取った人は有森氏が初めて。扱いに困られたり変に気を遣われたり。
次の五輪を目指し自分はもっと強くなりたかったのに、やりたいことの希望を出すと天狗になっているとか、わがままを言っているなどとねたまれたと言います。精神的につらくなり、成績も落ち込みます。
そんな時に両足のかかとに痛みも出て「人生で一番きつかった」と話しました。

もんもんとしていた日々を振り切るように有森氏は手術に踏み切ります。
手術は無事成功し再び走る意欲を取り戻しました。アトランタ五輪に出場し、銅メダルを獲得。
そのときのインタビューで出た名言はあまりにも有名です。
「自分で自分をほめたい」。
この言葉は「自分で決めたことを自分でできたことに対して出てきた」と話しました。

スペシャルオリンピックスって?

引退後は、国際オリンピック委員をはじめ、数多くのスポーツ振興に尽力されています。
その中で、今回有森氏が学生たちに知ってもらいたいと紹介したのが「スペシャルオリンピックス」です。
スペシャルオリンピックスは、知的障害のある人たちの自立や社会参加を目的とした競技会のこと。スポーツを通して全都道府県で年間を通して行われています。

「できるの?とつい考えてしまうけれど、知的障害の方は教えてもらえる機会があれば、できます」と有森氏。
今まで機会をもらえなかっただけと強調しました。障害を持った人はできないと思ってしまう固定観念を捨て、社会に出て一緒に生きていけることを知ってもらう機会になっています。
日本では健常者が担うパートナーの人材がなかなかいないのが課題。
「興味があるものがあれば参加してみて欲しいと思います」と学生たちに語り掛けました。

「将来のオリンピックの姿」のヒントになる講演

最後に、事前に学生たちから集めた質問の中からいくつかを、藤山氏が質問してくださいました。
「苦しいときのごほうびは?」という質問には「練習はつらかったが、苦しいのは強くなっている証拠なので、いやではなかったですね」と回答しました。
「アスリートの視点からみて、これからの五輪はどうなると思いますか」という問いには、「今はスポーツを通して自分を表現できるチャンスもある。五輪だけを見ている選手は少ないかも。個人的には、五輪を通じてもっと交流できる”祭典”に戻ってもらいたいです」と話しました。
オリンピアンの貴重な経験談は「将来のオリンピックの姿」を考えるヒントになりました。

担当教員からのメッセージ

有森さんにご登壇いただくのは、今回が4回目となります。最初にお越しいただいた時はオンライン授業の頃、学生はオンラインで授業に参加、教室にいたのは、有森さんと藤山さんと私の3人というシチュエーションでした。以来4年が経過、東京2020も延期がありながら開催され、1周年イベントも終わりましたが、早いもので来年はパリ五輪です。そんなタイミングで、もう一度、これからのオリンピックパラリンピックについて考えてみようという課題に挑戦しています。

有森さんの数々のエピソードからは、決してあきらめない心や、逆境の時にこそ「せっかくだから」という言葉を乗せることで、常に前向きに物事を考えること、そして挑戦する気持ちの大切さなど、数々のお言葉をいただきました。この場を借りて、有森さん、そしてスポニチの藤山様には、心から感謝申し上げます。