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2025年10月23日

企業の美意識を知る!国文学マーケティングプロジェクトの授業で、資生堂企業資料館館長大畑昌弘氏による講演が行われました。

10月2日(月)に国文学マーケティングプロジェクト(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)にて、株式会社資生堂(以下資生堂)資生堂企業資料館館長の大畑昌弘氏をお招きし、企業の歴史と理念についてご講演をいただきました。国文学マーケティングプロジェクトは、文学部国文学科を対象に開講されている専門教育科目です。日本文学とかかわりの深い企業を主体的に調査研究することで、マーケティングと文学の関連性を意識し、学科で学ぶ意義をより深めていくことを目的としています。

講演のはじめに大畑氏は、「資生堂は『変わらないために変わり続けてきた会社』」と紹介し、「『世のためにという思い』『いつの時代も〈本物〉を造り出そうとしたこと』『創り出した〈本物〉の価値をきちんと届けること』この3つのこだわりを大切にしてきました。今回の講演で、それを感じていただけたら」と述べました。

資生堂企業資料館について

静岡県掛川市にある資生堂企業資料館。1992年に設立され、創業当時から今につたわる貴重な資料の保存・収集・展示を行っています。
設立のきっかけは、1972年に社史である「資生堂百年史」を編纂したこと。
資料収集を行う中で、統一された収集ルールと保管システムが求められ、企業資料の長期保存を目的に資料館が企画されました。

「資生堂企業資料館」公式サイト
https://corp.shiseido.com/corporate-museum/jp/

「資生堂企業資料館オンラインツアー」
https://corp.shiseido.com/jp/company/museum/

資生堂の創業

資生堂は1872年、福原有信が日本初の民間洋風調剤薬局として創業しました。1888年には、日本初の練歯磨〈福原衛生歯磨石鹸〉を発売。当時としては高価格でしたが、科学的な機能性や高級感を打ち出し、大きな成功を収めました。大畑氏はこれを「資生堂の本物志向や高品質へのこだわりが表れた商品」と紹介しました。

1897年には、資生堂初の化粧品〈オイデルミン〉を発売。赤い化粧水をガラス瓶に詰めたこの商品も高品質を追求したもので、「資生堂の赤い水」として評判を呼び、資生堂を象徴する存在となりました。

資生堂パーラーについて

資生堂のDNAである「先進性・高品質・本物志向・西洋風」を象徴する事業が、化粧品会社が飲食店を経営するというすこしかわったビジネスである、資生堂パーラーです。1900年、創業者・福原有信はパリ万博視察の帰路にアメリカを訪れ、ドラッグストアで人気を博していたソーダ水に着目。日本でも導入を決断し、機材だけでなくグラスなどの食器もすべて本場から輸入しました。本物へのこだわりが「まるでアメリカにいるよう」と評判を呼び、休日には遠方からも人が訪れる一大名物となりました。

これが発展し、1928年に薬局から独立したレストラン〈資生堂アイスクリームパーラー〉が開業。西洋料理の草分けとして人気を集め、高級志向と本物感を追求する場は文化人のサロンとしても機能しました。当時の小説に「資生堂」や「パーラー」が登場するほど文化的存在感をもち、その洗練されたイメージは資生堂全体のブランド形成に大きく寄与したと紹介されました。

「美と文化の発信者」という企業文化の確立

資生堂の美の提案意識を確立したのは、創業者の理念を継承した初代社長・福原信三でした。画家志望から家業を継ぎ、アメリカで薬学を学んだ信三は、1916年に意匠部と試験室を設立。パッケージや店舗設計、研究開発の体制を整え、現在の研究拠点の礎を築きました。また、鷹の図柄を廃し〈花椿マーク〉を考案、1927年には「資生堂書体」を制定するなど、時代に先駆け企業ブランディングを実施。資生堂のイメージの定着を図りました。

さらに、〈資生堂ギャラリー〉を開設して若手芸術家を支援し、美容科や子供服科を通じて総合的な美容文化を提案。文化情報誌〈花椿〉では、最先端の生活文化の発信と共に、時代の波によって刷新されていく新しい女性像を発信しました。大畑氏は「資生堂は単なる化粧品会社ではなく、文化を創造し生活に彩りを与えてきた」とまとめました。

資生堂の発展

二代目社長・松本昇は、震災や戦争の動乱期に資生堂の価値伝達の仕組みを経営的な側面から確立しました。大畑氏はその具体例として、「品質本位主義」など社員の精神を示す〈五大主義〉や、社員が本物の価値を届ける〈ミス・シセイドウ〉などの取り組みを紹介。

特に重要と話すのが、1923年導入の〈資生堂連鎖店(チェインストア)制度〉です。これは「お客さま・小売店・資生堂が共に栄える」という〈共存共栄主義〉の実践であり、乱売(大変安く売ること)されがちだった化粧品を契約小売店で正規価格のみ販売する仕組みでした。震災で販売網が打撃を受けた中、新しい販売経路を築く狙いもありましたが、資生堂の高級志向のブランドイメージが信頼を呼び、業界の冷笑をよそに契約は年間目標200件に対して1700件を突破。ピンチをチャンスに変え、資生堂の価値を世に広く伝える契機となりました。

時代に合わせた変化

資生堂は戦争で化粧品が奢侈品に指定され生産販売ができなくなった時代も、形を変えて存続しました。戦後では日本初となるカラーポスターを発表し人々に希望を届け、1960年代には特色ある販売キャンペーンを展開。その中で生まれた広告では「上品で清廉な資生堂スタイル」に対抗し、女性自身が求める新しい女性像を提示する「反資生堂スタイル」が登場しました(「太陽に愛されよう」ポスター)。さらに1980年代には「サクセスフルエイジング」を掲げ、老いを前向きにとらえる視点を社会に広めます。近年も、2011年の東日本大震災支援や、2020年のコロナ禍で手に優しい消毒液を開発し売上の一部を寄付するなど、社会の困難に寄り添う取り組みを実施。資生堂は災害や疫病の時代にも「できること」を模索し続け、常に時代に応じた価値を発信し続けています。

本物の価値を創造し、それらを伝えるため、時代や社会に合わせて様々な変化に挑んできた資生堂。大畑氏は「私も『今の私にできることを精一杯やろう』という気持ちで常に活動している。その中で何かしら皆さんや社会に寄与する会社でありたい」と、社員としての在り方を述べ、講演を終了しました。

鑑賞と質疑応答

講演の最後には、資料館から持参された貴重な品々を間近で鑑賞する時間が設けられました。会場では、大畑氏の解説を受けながら、1897年に販売が始まった化粧水「オイデルミン」のレプリカや、シーンに合わせたメイク方法を紹介する「ビューティーチャート」などが紹介されました。なかでも注目を集めたのは、日本で初めて女性ホルモンを配合したクリーム「ホルモリン」です。容器には、繊細な装飾と資生堂の花椿のロゴが施されており、大畑氏は学生に「率直な感想を聞きたい」と問いかけました。学生からは「小さくてかわいい」「ロゴのワンポイントが素敵」などの声があがり、大畑氏は「今の感覚を知りたかったのですが、やはり“かわいい”と感じてもらえるのですね」と満足そうに話しました。

ビューティーチャートを説明する大畑氏
オイデルミンのレプリカを撮る学生
ホルモリンを近くで鑑賞する学生たち

その後の質疑応答の時間でも活発な意見交換が行われました。

学生から「働いている人の男女比率はどのくらいですか?」という質問が出ると、大畑氏は「美容部員を含めると女性が8割。含めなくても5:5か4:6くらいで女性が多いと思います」と回答。学生たちは、その割合が予想以上だったのか、驚いた様子を見せていた。

また「館長の仕事はどのようなことをしているのですか?」という質問には、「開館日・閉館日にかかわらず、見学案内や問い合わせの対応、資料整理や資料の貸出など、資料館ならでの仕事をしています。同時に複数の業務を並行して行うことも少なくないので、メンバーやアシスタントさんたちに対応いただくタスクの優先順位を決めたり、館内における基本的な決裁も私の仕事ですね。」と説明しました。

今回の講演は、文化にも寄与する企業の意識に触れる貴重な機会となりました。

担当教員からのメッセージ

国文学の学びと企業活動を結び付けて考えることをコンセプトにした本講座も6年目を迎えました。
本講座には、資生堂と叶匠寿庵の2社にご協力をいただいて授業が進行していきます。
まずは、資生堂企業資料館の大畑館長からの講話をいただきました。150年を超える長い歴史を持つ資生堂、常に時代の先導者として、「美」へのこだわりを繋ぎ続けてきた社員たちの深い思いがあります。
そして、近代文学の中にも数多く登場する資生堂パーラーなど、国文学の学びが、企業の歴史の中に散りばめられていることを改めて学びました。大畑館長には、この場を借りて心から感謝申し上げます。

2024年10月30日

お化粧は心を満たすもの。「国文学マーケティングプロジェクト」の授業で資生堂企業資料館の貴重な資料を拝見する講義が行われました。 

10月3日に「国文学マーケティングプロジェクト」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、株式会社資生堂の企業資料館の大畑昌弘氏による特別講義が行われました。資料をたどることで、企業の歴史とともに日本の近代史を肌で感じることができる貴重な時間となりました。

貴重な資料を一か所に集約

資生堂の企業資料館は静岡県掛川市にあります。
1、2階が展示スペース、3、4階が保管庫になっています。資料館は1992年に開館。
きっかけは「創業100年に社史を創ろうとしたこと」と大畑氏。
創業当時からの資料を全国から収集したことでした。現在21万点収蔵され、現在も販売されている新商品を集め続けているため年々増えていると言います。

ここで大畑氏は「資生堂はどんな会社だと思っていますか」と学生たちに問い掛けました。
「一言で表すのは難しいですが、私たちは『変わらないために変わり続けてきた会社』だと考えています」と話しました。大切にしているこだわりを守り続けるために、時代に合わせてさまざまな変化をしてきた資生堂。
その歴史を資料とともに紹介してくださいました。

本物を志向し新しいものを生み出す

資生堂は1872年創業。
創業者は医者の家に生まれた福原有信です。
現在の東京大学医学部にあたる幕府医学所にて、当時最先端の西洋薬学に出会います。当時、日本で使われていた薬と言えば漢方でした。
福原は西洋薬学を浸透させたいと、民間では日本初となる西洋薬学の調剤薬局を始めました。
それが資生堂です。

資生堂の名は中国の古典である易経の一節、「万物資生」から採られました。全てのものは大地から生まれるという言葉です。
「ここから考察出来るのは、新しい価値を生み出していくというフロンティアスピリッツです」と大畑氏。
それまでなかった西洋薬学の薬局という新しいものを生み出した福原。
「この新しい価値を生み出すことで、より良い世界にしていくという考えは現在のミッションにもつながる」と話しました。

1888年には日本初の練り歯磨きを発売。
かなり高価でしたが大ヒットしました。陶器に入ったラグジュアリー感もあり、本物を志向する資生堂を象徴する商品となりました。
1897年発売の化粧水「オイデルミン」も、資生堂を代表するヒット商品。当時最先端の技術により作られましたが、現在も改良が重ねられ販売され続けています。

文化発信の役割も担った

資生堂の少し変わったビジネスに飲食業があります。
「資生堂パーラー」は資生堂が運営するレストラン。創業者の福原有信がアメリカのドラッグストアでソーダ水を販売していることをヒントに、ソーダ水製造機を輸入して店内にソーダファウンテンをつくったことから始まりました。
本物志向はしっかり受け継がれ、息子である福原信三が、ソーダファウンテンをレストラン「資生堂パーラー」に発展させ、オーケストラの演奏や銀食器の使用などにより、高級なレストランとして浸透しました。「ものごとはすべてリッチでなければならない」とは息子信三の哲学です。
「資生堂は高級なもの、間違いのないものを扱っているというブランドイメージを醸成した」と大畑氏は説明しました。

1934年のミス・シセイドウが美容部員の起源です。
採用された女性たちは、化粧品の知識やメイク方法などはもちろん、着付けやテーブルマナー、歩き方など教養やマナーをしっかりと叩き込まれました。資生堂を代表する一流の女性として育てたのです。
彼女たちはミスシセイドウとしてスター的な人気を得て、女性たちの憧れの存在になっていきました。

女性文化情報誌「花椿」の発刊もこの頃です。
商品の宣伝のほか、海外の映画情報や献立のレシピなども載せていました。生活の欧米化が進みつつもテレビもない時代、文化の発信も担いました。

化粧は生活に必要なもの

とはいえ、資生堂もすべてが順風満帆だったわけではありません。
1923年の関東大震災や戦争の時代は商品を作ることも売ることも難しいときも。

最近では、2011年の東日本大震災も大きなダメージがありました。
資生堂はすぐ支援のために動きます。物資の輸送はもちろん、社員が現地に赴き化粧品がなくてもできるお手入れ方法を伝える活動も行いました。
現地で被災者の方と交流を重ねる中で、化粧品とは何か、ということと向き合っていったと大畑氏は語ります。
当時の経験から大畑氏は、「化粧は心を満たすものです。化粧品は食料品などと違って、生きることに必要なものではないかもしれませんが、明日を信じることや、前向きになるために重要なものであると知りました」と話しました。

コロナ禍では、手肌が荒れにくいアルコール消毒液を開発。
医療関係者に無償提供しただけでなく、さまざまな企業で作れるよう処方も公開。利益だけを追うのではなく、世の中を良くするために行動し続けています。
「資生堂は今年で152年目を迎えます。これからも想像もつかないような変化がうまれていくことでしょう。それでも変わらないために、変わり続けていくのです」と大畑氏は話しました。

前向きになるために必要なもの

講演後には学生から「お化粧をする日としない日では気分が違う。お化粧をすると気分が上がるので、震災のときの話はとても共感しました」という感想が。
大畑氏は、「化粧品がほしいと思えることは、社会に出る、つながるという感覚がある。生活必需品ではないと思われがちですが、一番大事なものになることがあるんです」と熱意を込めて語られました。

授業の最後には、資料館から持ってきた貴重な資料を実際に鑑賞。
学生たちは美しい化粧水や香水、ヘアトニックの瓶などを真剣に見入っていました。

担当教員のメッセージ

国文学の学びと企業活動を結び付けて考えることをコンセプトにした本講座も5年目を迎えました。
本講座には、資生堂と叶匠寿庵の2社にご協力をいただいて授業が進行していきます。
まずは、資生堂企業資料館の大畑館長からの講話をいただきました。和魂洋才をベースにおく資生堂、
近代文学の中にも数多く登場する資生堂パーラーなど、国文学の学びが、企業の歴史の中に
散りばめられていることを改めて学びました。大畑館長には、この場を借りて心から感謝申し上げます。

2024年2月2日

原材料から育てるこだわりを知る。「国文学マーケティングプロジェクト」の授業で叶 匠壽庵とのコラボ授業が行われました。~後編~ 

2023年11月に、文学部国文学科「国文学マーケティングプロジェクト」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業の一環として、連携企業である株式会社 叶匠寿庵(以下、叶匠庵)の本社がある滋賀県大津市の『寿長生の郷』を訪問しました。 当日は、角田人事部長からのオリエンテーションに続き、西垣執行役員からの講話、社員による施設視察、そして陶器づくりなど、約5時間の滞在期間をフルに活用し、企業の理解に繋げる内容を体験しました。その後、舞台は再び渋谷キャンパスに戻り、学生たちは課題として出されていた叶匠庵の「企業案内」を制作しプレゼンに挑みました。
 ~前編はこちら~

『寿長生の郷』訪問

国文学科の学びとビジネスを結び付けるという全く新しい視点でスタートした「国文学マーケティングプロジェクト」の最大の山場に位置付けた視察研修、4回目を迎えた本年は、新型コロナウイルスの状況も落ち着いており、また、昨年に続き最高の天候にも恵まれ、履修学生9名とともに素晴らしい体験をさせていただきました。叶匠壽庵様は、本年も本学への対応について、芝田社長をはじめ多くの社員の方からは最大限のご配慮とおもてなしをいただき、意義ある時間となりました。

商品名、広報誌、そして包装紙など、様々な部分に万葉集とのつながりがあるなど、国文学と現代企業に極めて深い関係性を再認識するなど、この授業で目指した学びへの進化に繋がったものと考えています。 学生たちは、この視察研修で得た知見や学びを生かし、それぞれの感性や美意識を生かした「企業案内」の制作に取組みます。

学生の声

 お菓子に使用する梅、柚子、蓬などを自社で作り、良い素材から良い商品を作っている様子を実際に見ることができました。また、自然や昔からある建物、道具をできる限りそのままの形で残していくための取り組みを肌で感じ、今社会に求められている持続可能性が如何に当たり前にしなければならないことなのかを改めて考えました。

 今回の訪問を通して、企業理念から伝統文化まで幅広く学ぶことができました。とくに農作物を育てたり、動物を飼ったりと、全て自らの手で取り組んでいることを知り、意識の高さを痛感しました。また、社内の人と連携をとりそれぞれが個性や強みを活かして働ける場所であると感じました。このように、今回感じたことを就活にも活かして行きたいと思います。

 視察を通し、現地では里山に残る自然だけでなく、社会の未来についても考え実践する企業の姿に感動しました。また今回数多くお会いした社員の方々の仕事への真摯な姿勢を拝見したことで、自分の考える社会人像がより明確に固まりました。

最終プレゼンテーション

1月11日の授業では、叶匠壽庵の角田人事部長、伝統工芸士の吉田様に、オンラインでご参加いただき、8名の学生が作成した「企業案内」のプレゼンテーションを行いました。バラエティー豊かなそれぞれの作品に対し、両氏から温かいフィードバックをいただきました。

そしてこの授業のフィナーレは、吉田氏のご指導のもと、『寿長生の郷』で制作に取り組んだ陶器の披露でした。2か月にわたり、心を込めて焼き上げていただき完成した陶器をみて学生も感動の声を挙げていました。
世界に一つのオリジナル陶器を手元に、角田部長と吉田様を囲んでの記念撮影を行い、授業は終了しました。

学生の感想

今回この授業を受けて、国文学をマーケティングに活かしている企業があることを知ることができたことがまず私にとっては大きかったです。専門性を活かすのはとても難しいし、ほとんどの国文学生は一般企業に就職しますし、おそらく私もそうだろうと思っていました。しかし、一般企業に入っても大学で学んだ国文学の専門知識が活かせるかもしれないと知ることができて、企業選びの一つの基準にもなりました。また、国文学がマーケティングを学ぶきっかけにもなりました。マーケティングと聞くと身構えてしまい、今後のために必要な知識だとは分かっていながら積極的に学ぼうとはしてきませんでした。しかし今回、資生堂や叶匠壽庵の国文学を活かしたマーケティングの講義を聞き、また『寿長生の郷』を訪れて興味を持ちました。持続可能で長く愛される場所・商品・企業や、従業員の方同士のコミュニケーション、お客様との交流を間近でみることができました。教室での座学やインターネットで調べるだけでは分からないよりリアルな姿を知ることができたのが良かったです。

近年ではインターネット上に様々な情報が溢れ、その影響を無意識のうちに受けていたのか就職活動を進める程、どこか自分の軸ではなく、他人から見てどこがいいのかと考え、経済的・時間的ゆとりのある人間になりたいような、自信がないからこそ人に決めてもらいたい気持ちが増えてきていました。しかし、叶匠壽庵様に伺った際に改めて自分軸で幸せな人生を作る大切さ、角田部長の言われた「自分らしく働ける場所」の大切さを考えさせられました。就職活動を行う中で大企業、専門職など働いている人が凄く特別な人に自分にはなりえないような大人だと感じられますが、その人も普通の人で自分と同じように悩み考えている人間だと認識でき、そのことから「自分を変に着飾らなくていい」と言われているように思いました。

本講義を受けて、「自分らしく働ける場所」「無理のない背伸び」「自分の本当の軸」を大切に着飾らなくていいような業界や業種を見つけていきたいと思いました。また深澤先生自身も何十年もたって教師として大学に勤めているということを聞き、焦らず「今」の納得内定先を見つけていきたいと思います。

担当教員からのメッセージ

この講座も今年で4回目、資生堂の大木企業資料館長、叶匠壽庵の角田人事部長をはじめ、本当に多くの方に支えられていることを改めて深く感じています。これも、資生堂様や叶匠壽庵様が、人を大切にする経営を実践されているからであり、その温かさは年々増していることすら感じています。

そのような中、今年も9名の国文学科3年生が履修してくれました。渋谷キャンパスでの講義、『寿長生の郷』の訪問など、多くの経験を通じて学びを深めてくれたものと感じます。普段学んでいる国文学というものの大切さを、企業活動を通して実感することが出来れば、今の学びの深みや重要性に対する理解がより高まるものと考えています。

本講座に関わって下さった全ての方と、真摯な姿勢で授業に臨んでくれた学生に感謝いたします。

2024年2月2日

原材料から育てるこだわりを知る。「国文学マーケティングプロジェクト」の授業で叶 匠壽庵とのコラボ授業が行われました。~前編~

11月2日に、文学部国文学科「国文学マーケティングプロジェクト」(担当:文学部国文学科 深澤晶久教授)の授業で、和菓子屋の株式会社 叶 匠寿庵(以下、叶 匠壽庵)との特別コラボが行われました。学生たちは翌週に滋賀県大津市にある本社『寿長生の郷(すないのさと)』を来訪し、陶器づくりなど様々なことを体験します。角田徹氏の軽快な語り口に、学生たちは期待に胸を膨らませていました。

手作りにこだわる

角田氏はまず学生たちに「和菓子食べますか?」と問いかけました。
ほとんどの学生が食べると手を挙げます。
「水ようかん」「どら焼き」「大福」などの答えの中、「練り切り」と答えた学生も。茶道をたしなんでいる彼女に角田氏も感心された様子でした。
「では、和菓子屋はどのくらいあるでしょうか」と再度問いかけに今度は「100…1000…」と、学生たちは自信なさ気です。「定かではないですが、13000社くらい」と角田氏が言うと、驚きの声が聞かれました。
ただ上場している大きな企業は少なく、町中の小さな和菓子店や和菓子を卸売りしている企業も含めての数だといいます。「その多くの和菓子屋と叶匠壽庵との違いを紹介します」と講義は始まりました。

叶匠壽庵で一番人気の和菓子は「銘菓あも」。
「あも」とは昔の宮中の女性の言葉で「おもち」を意味する語で、おもちの周りに小豆をまとった上品かつ、いたってシンプルなお菓子です。
一番の決め手の小豆は、職人さんが毎日釜で炊いています。
機械化せず手作業にこだわり、「創業からずっとこれだけは変えずに毎日作り続けています」と角田氏は話しました。

原材料にこだわる

続いて「皆さんに来週来ていただくところです」と『寿長生の郷』についての話に。
『寿長生の郷』は滋賀県大津市にある自然豊かな丘陵地です。山を登っていくと、和菓子の販売はもちろん、茶屋や食事処、パン屋や陶器作り体験ができるなど見どころもたくさん。

春は梅の花が咲き誇り、一番にぎわう時期と言います。
この梅は6月に梅の実を収穫し漬けます。
1年後に出来た梅酒の実を原材料にしたお菓子「標野」。
収穫から2年がかりで作られるお菓子は鮮やかな赤色。
角田氏は「原材料から育てているお菓子屋は多分他にないでしょう」と話され、学生たちにも配られました。

場所にこだわる

叶匠壽庵は町なかの和菓子屋として始まりました。
しかし和菓子作りに大切な季節感が感じられないことや、地元のきれいな美味しい水を使いたいことから、自分たちの手で原材料から育ててお菓子を作ろうと『寿長生の郷』に移りました。

里山を守る取り組みも徹底しています。
工場排水も浄化槽でろ過してから流し、小豆の皮などは堆肥にしています。地域の方々と一緒に水路の掃除や山の間伐も。
伐材は炭にして茶屋で利用するなど、寿長生の郷の土地の中で循環するシステムを作っています。「動植物の多様性は50年後、100年後をイメージして育まれます」と角田氏。
自分がもう生きていない未来のことを考えて間伐や植林をするのです。

その取り組みが「生物多様性の保全が図られている区域」として環境省に認められ、『寿長生の郷』は国の定める「自然共生サイト」に認定されました。
自然共生サイトとは、COP15で採択された環境への取り組みのひとつで、2030年までに陸・海の30%ずつは自然環境を目指すという考えを実行している場所です。
角田氏は「自分たちは当たり前のことをしてきただけですが、取り組みや認定されたことをお客様にも宣伝し関心を持ってもらうことが必要」と話しました。

従業員も納得できる仕事

角田氏は「私たちは沢山売りたいとかあまり思っていません」とあっさり。
流通するには量が必要でコストもかかります。原材料にこだわり売り方を工夫してコストを下げ、納得できる仕事を目指しています。
「標野」は1つ200円で販売。「200円なんだけれども、販売までに携わった人たちの思いがつまったお菓子です」と話しました。

そして、これから就活に向かう学生たちに「どんな会社でもサービスを提供していますが、自分たちが幸せでなければお客様に対してもてなしはできません」と語りました。
従業員も幸せな働きができる会社との出会いの大切さを伝えました。

いよいよ寿長生の郷へ

最後に本授業の1期生にあたるOG田中さんが紹介されました。田中さんは来年から叶匠壽庵へ入社が決まっています。
4年前。本授業で『寿長生の郷』を訪れた田中さんは「最初は旅行気分でした」と話します。
「『寿長生の郷』では従業員の皆さんが生き生きとしていたことが印象的でした。自分たちで育てて加工することに愛着も誇りもあり、お互いをリスペクトしていました」と感想を話しました。
「私は新卒では別の企業に就職しましたが、就活の時にも『寿長生の郷』で聞いた話が自分の軸になりましたし、とても共感したので今回入社を決めました」と語り、学生たちも『寿長生の郷』で良い気付きがあることを期待しました。

学生たちは実際に『寿長生の郷』を訪れ、陶器作り体験をしたり和菓子作りのお話を聞いたりする予定です。
その後の授業では、人事部の立場になり叶匠壽庵の新卒向けの企業案内を作る課題に挑戦します。

深澤教授は「せっかく行くのですからそこでしか得られない情報を盛り込み、皆さんならではのものを作成してください」と伝えました。

~後編へ続く~